12.13.2017

南国科学通信 第3回 アリたちの晴朗な世界

全卓樹
第3回 アリたちの晴朗な世界

高知工科大学で理論物理学の研究をしている全卓樹さんに、自然界の様々な階層を旅する科学エッセイを連載していただきます。月に二度、十五分だけ日常を離れ、自然の世界をのぞいてみませんか?(編集部)


人間は生物界の長をもって任じている。人間は地上すべてのバイオマス(生物量)の30%あまりを占め、脊椎動物界の食物連鎖の頂点に立っているので、その自任は根拠なしとはしない。人間をのぞいては、農業を行い牧畜ぼくちくを行い、王国を共和国をそして大帝国をきずく生物などいないではないか。

しかしはたしてそれは本当だろうか。

世を広く見渡すと、じつは意外なところに、人間以外で農業を行い牧畜を行う生物が、王国を共和国をそして大帝国を築く生物がいる。

それはアリである。

アリはまずもって数が多い。個体あたりで人間の何十万分の一しかない軽さながら、バイオマスとしては人間に匹敵するほどとも言われている。つまり重さで測って地上のバイオマスの3割ほどを占めるのである。昆虫界でもこれは異例の多さである。

アリの長所はその特異な賢さである。それは集団としての賢さ、個体間の協力から生まれる「社会的な知性」であり、そのためにアリは驚くほど精緻せいちに組織された社会をもつ。個体が協力して集団で狩猟を行う動物は少なくない。しかし農業を行うほどに社会的組織を発展させた生物は、アリと、そして我々人間だけである。この社会的知性ゆえに、アリは地上のあらゆる環境に適合しさかえて、それで数が多いのである。

アリは3,000種ほどの種族が知られていて、それぞれ非常に異なった多彩な生活形態をもつ。小さな家族単位で生活する一匹オオカミ的例外を除いて、すべてのアリが、種ごとに異なった、しかしどれも高度に組織化された社会のなかで生活している。1億5000万年におよぶ長い進化の過程を経て、あらゆるタイプの社会形態の実験を行なったかのようである。個々の巣のサイズも数千匹のものから、数百万におよぶ巨大なものまで、じつに幅広い。部族規模を超えた社会組織については、6千年そこそこの歴史しかない我々人間が、アリから学ぶことも多いはずである。

農業を行う「ハキリアリ」の例を見てみよう。一匹の女王の下、すべて遺伝子的クローンであるその娘たちが働いて、巣のなかにキノコを栽培して暮らしているのであるが、その社会は高度な職能しょくのうに分かれた厳格な分業制である。ノコギリのような大きなあごを持った葉切り職人、切り落とされた葉を巣までリレー式に運ぶ運搬うんぱん職、持ち込まれた葉をキノコに与えて育てる園芸家、病原菌がいないか絶えずキノコの状態をチェックしている検査技師、そして最も大切なお役目の次世代育成役、すなわち卵や幼虫の世話をする職能まで、どれも一目でわかるくらい個体の形態や大きさが異なる。


切り取った葉っぱを巣に運ぶハキリアリ
McCook, Henry C.
"Ant communities and how they are governed; a study in natural civics", 1909.


いろいろなハキリアリ。
3 mmほどの小さな働きアリから13 mmほどの大型働きアリ、
20 mm以上ある女王アリまで、大きさや形態はさまざま。
Packard, A. S. "Zoology for high schools and colleges" 1886.


外敵から巣を守る国防軍まである。戦闘職の個体は屈強で、検査技師の個体の5倍ほどの大きさを持つ。幼児段階もしくは卵の段階で、いかなる方法なのかいまだ不明ながら、職能に応じて形態分化する。職能はカーストなのである。カーストごとに脳の大きさや解剖学的構造まで異なる。

脳だって? アリに脳があったのか。アリは頭を落としても生きているとファーブル昆虫記で読まなかっただろうか。

昆虫はすべて脳を持つ。頭を切り落としても死なないのは、ふしごとに小さな神経結節点があって、節ごとの生存の基本機能をつかさどっているからで、ちゃんとした個体として機能するには脳を持つ頭部が必要である。アリの脳は約100万のニューロンからなっている。10億のニューロンを持つ人間とは比較できないが、それでも結構な数である。人間の作った人工知能では、ニューロンの数はいまのところまだ数万である。

その100万ニューロンの脳で、個々のアリは自分の持ち場をわきまえて職務を果たす。すべての個体は、仲間のアリとよそ者のアリ、味方と敵を区別し、仲間の職能を区別し、冒険をして良い餌場えさばを探し当てる。そしてそれを仲間に教える。道を知るアリが触覚で他のアリの体に触れて先導しながら、文字通り手取り足取りで目的地を教えるのである。

組織された社会生活には、個体間の高密度の情報交換が必要であるが、アリはこれを、主に化学物質の放出と検知で行なっている。餌場を見つけた個体はいく先々の道にフェロモンの足跡をつけていく。それに従った別の個体がまたフェロモンを残すので、良い餌場に向かう道は強いフェロモンの跡がついてより多くの個体がその道を選ぶ、という具合である。一種の多数決的集合知である。

多数決といえば、ヒアリの社会に触れないわけにはいかない。ヒアリは近隣のいくつもの同族の巣を襲撃して、そこにある卵や幼虫を自分の巣に拉致らちしてくる。こうしてヒアリの巣は急激に人口を増やすのである。面白いのはその際、卵を強奪ごうだつされた巣の女王が、征服者たちの巣に越してくることである。こうして巨大になった一つの巣に何匹もの女王が同居することになる。


古代エジプト第19王朝の女王ネフェルタリ
ca. 1279–1213 B.C.
The Metropolitan Museum of Art.


もちろんそのような状態は安定的でないので、定期的に正当な女王を一匹だけ、働きアリたち全体で選ぶことになる。選ばれなかった女王たちはすべて殺されてしまうのである。このとき残るのが元の征服者の女王とは限らない。女王は特殊なフェロモンを発して働きアリたちを従えるのだが、そのフェロモンの強さの人気投票で、正当な女王が選ばれるのだという。「化学的民主主義」とでも呼べばいいのだろうか。

音を使う情報交換も知られている。ハキリアリでは、葉に周期的な振動音たてて、その音の間隔を用いて葉の豊饒ほうじょうさを伝えるらしいことがわかっているのである。まだ他にも知られていない情報交換の手法があるにちがいない。

アリの言葉の文法はまったく解明されていない。しかしそれが、非常に高度な情報交換体系だろうことに、疑いの余地はない。そうでないとすれば、いかにして多数のアリが協力して何十倍の大きさの昆虫を襲い、解体し、その大きな断片を、数匹のアリで支えあって巣に運び込むのだろうか。

アリはまた、ける同胞たちのための一種の共同墓地を営むことでも知られる。仲間の死体の発する化学物質を検知すると、アリたちはむくろを担いで決まった部屋に運び入れて並べるという行動を取りはじめる。おそらくは集団の衛生を保つ必要からうまれた習性なのだろう。

他の集団のアリから巣を守って死んだ兵士の大きな死体を、小さなアリたちが巣へと引いていく。あたかもとむらいの儀式のように。

戦にたおれた若人が、青銅の矢に射抜かれて横たわるのは、まったくふさわしい事である。その死にあっては、すべてが正しいものに見えるのだ。
(ホメロス「イリアス」第22巻59節)

アリにいかなる感情があるのか、そもそもアリに心があるのか、それは今のところわからない。しかし人間界で魂と呼ばれるもの、心の美徳のようなものを、アリたちのあいだにも見出せるのはなぜなのか。

この完璧に構成された社会、「超個体」とさえみなせる社会全体の生存に奉仕して、個々のアリは私をめっして自らの持ち場を守る。その一糸乱れぬ統率ぶりは、古代ギリシャのスパルタ人を、征服期チリのアラウコ族を彷彿ほうふつとさせる。アリたちは独裁制恐怖政治の下にあるわけではない。むしろアリの各個体は、他に従属しない集団の自由な構成員という、古典古代的な意味での誇り高い主権者なのである。アリたちの心は、もしそれがあるとすれば、おそらくはエーゲ海のごとく晴朗せいろうなのだろう。


アキレウス
John Flaxman's Iliad 1793. First edition 1795.
wikimedia commons


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