2.12.2019

南国科学通信 第13回 思い出せない夢の倫理学

全卓樹
第13回 思い出せない夢の倫理学

人が夢からめたとき、思い出そうとする端から、夢は溶けるように去ってしまう。誰しも覚えがあるだろう。英国詩人サミュエル・テイラー・コールリッジは、夢の中で奇跡の長詩を授かったが、起床ののち全部は書き留めきれず、残された断章が神韻しんいん「クブラ・カーン」となった。

In Xanadu did Kubla Khan
A stately pleasure-dome decree :
Where Alph, the sacred river, ran
Through caverns measureless to man
Down to a sunless sea……

上都じょうとにて クブラ・カーンは 命じたり
豪奢ごうしゃなる 逸楽いつらくの宮 建つべしと
かの地には 聖なるアルフの 川流れ
人智には 数えおよばぬ ほこら抜け
日もなき海へ 落つると聞けり......

人は起床直後に、直近30秒ほどに見た夢を覚えているのがつねである、と京都大学の脳神経科学者、神谷之康かみたに・ゆきやす博士は語る。長大な夢も一瞬のような時間に圧縮されるのだろうか。

ブレイン・デコーディング(脳信号解読)の研究で有名な神谷博士のグループでは、脳の電気信号をディープラーニングを用いて解析することで、人が脳内に思い描いたイメージをコンピュータ上に再現することができる。体内血流活動測定装置 fMRI のなかで睡眠をとった被験者は、目覚めるとすぐ、夢で何を見たかを報告する。眠ってる間中、被験者の脳内活動画像はリアルタイムで信号処理され解析され、そこから彼らが見ているはずの諸イメージが推定できるようになっている。

この設定で実験を行うと、被験者が「ナイフをもった人魚がいた」と報告したとき、彼の起床直前30秒ほどの脳信号から「ナイフ」「女」「水」のイメージが見事に抽出されてきている、という具合である。つまり夢で見たこれらのイメージは、神経科学的な実体を持って、大脳中にたしかに存在していたのである。


Odilon Redon,
Vision, plate eight from In Dreams,
1879
the art institute of chicago


ところがここで面白いのは、30秒より前の脳信号である。機械学習プログラムは、30秒以前の脳信号からも、脳内で様々なイメージが生起していることを示し続けている。しかしそこに現れるイメージと、被験者が起床後に報告する夢の中の登場事物とは、全く相関が見られないのである。これはどういうことだろうか。

思い出されることのない夢。

人は起きる前ずっと夢を見ているが、直近30秒ほど以前のものは忘れ去られてしまう、とするのが、この実験結果のもっとも自然な解釈であろう。何かさだかでない、思い出せそうでできない、忘れられた夢の残り香のようなものを、われわれ誰しも感ずることがある。忘れ去られる定めの夢を満たしているのは、ただのランダムなイメージなのか、それともわれわれの意識のかけら、心の奥底の希求の残基なのだろうか。

思い出されることのない夢はなぜ存在するのか。それは存在すると言えるのか。本人にとって非在である夢を、他者がディープラーニングによって掘り起こし、存在へと転ずることが許されるのか。

情報技術の社会への浸透で、個人の内面が容赦なくさらされ、本人の気づかぬうちにデータとして、誰かのコンピュータに蓄積されていくのは、多くの人にとって恐ろしいことである。自分自身知ることも叶わぬ忘れられた夢まであばかれるのをみて、呆然ぼうぜんと立ちすくむ以外、われわれに何ができるのだろうか。脳の中の認知過程を探る科学は、認識とは何か、意識とは何かといった根源的な哲学問題に直結する、と神谷之康博士は語る。カリフォルニア工科大で情報神経科学の学位を取る前の彼は、東大駒場の科学哲学科に在籍し、かの廣松渉ひろまつわたるにも師事した哲学青年だったのである。

脳内イメージの抽出技術は、世界各国の研究所にて、恐るべき速度で様々な展開をみせている。ある人の脳内の「イメージ」「言葉」そして「概念」「情念」などを、「声を出す」「目配せする」「キーボードを叩く」等の身体的媒介を経ることなく、別の人の脳に直接伝えるSFの世界が、いまや現実の視野に入ってきた。

脳の情報伝達の観点から言うと、人間の身体はボトルネックに他ならない。脳科学はこのボトルネックを回避して脳と脳、脳と世界を直接つなぐ手段を与えつつある。身体を持たない脳というものさえ、もはや荒唐無稽こうとうむけいの絵空事とは言い切れない。しかし身体性の拘束を脱した脳とは何なのだろうか。身体操作の重荷から解放された脳はいかなる思考をはじめるのだろうか。それはいずれ、夢と思い出せない夢、意識と無意識を統合した高次の意識に至るのだろうか。そして脳科学によって高次の意識を得たわれわれは、ほどなく自らの知能を超知能へと改造する、峻厳しゅんげんな道を歩み始めるのだろうか。


Odilon Redon,
Day, plate 6 from Dreams,
1879
the art institute of chicago


それがはたして新たな人間の解放なのか。それとも人間性を逸脱したむべき怪異、封印すべき技芸であるのか、われわれはそれを知らない。脳神経科学は、間違いなく倫理学の領域に立ち入ったのである。

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