5.03.2011


『社会は絶えず夢を見ている』

あとがき
大澤真幸

今月中旬に刊行する新刊『社会は絶えず夢を見ている』から「あとがき」を転載します。──「いつも「リスク社会」は可能性として語られてきた。ついに到来した「震災・津波・原発」の惨状を見据え、ありうべき克服を提起する強靱な思考」と、書籍の帯に記しました。連続講義の書籍化、第一弾です。


今、われわれは、日本人は、「夢」の中にいるかのようである。3・11の破局の後、すなわち二〇一一年三月十一日午後二時四十六分に東日本の太平洋岸を襲った震災と津波の後、さらにこれにひき続く福島第一原子力発電所の事故の後、私自身を含む多くの日本在住者は、まるで「夢」の中を生きているかのような感覚を覚えている。その夢は、覚醒以上の覚醒であり、破局以前の日常の方こそがむしろ、微温的なまどろみの中にあったことを、われわれに思い知らせる。

本書に収録した四つの講義はすべて、3・11の破局よりも前に行われたものである。しかし、私自身が驚いている。講義の中のさまざまな論材が、破局後の主題とあまりに直接的に対応していることに、である。


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たとえば、「終わり」という主題である。すべての人が、東日本大震災と原発事故によって、何か決定的なものが終わった、と感じている。しかし、その決定的なものとは何か?

日本近代史の特殊事情から、日本人は、震災後の廃墟に、第二次大戦の敗戦後の都市の破壊を連想せざるをえない。まして、東日本大震災は、原発事故に連なっているので、広島・長崎への原爆投下を伴った敗戦の記憶を喚起する。第二次大戦後とこの度の破局を比較してみたらどうであろうか。敗戦時に終わったのは、軍事大国であることによって、西洋の列強と肩を並べようとする試みである。しかし、その終わりは、戦後ただちに、経済大国たらんとする野心によって引き継がれ、その野心は、ある程度実現した。つまり、軍事大国の終わりは経済大国の始まりでもあった。私は、かつて、これを、精神史の水準に写して「理想の時代」(敗戦後から高度成長期の終結まで続く)の始まりであると解釈した(『不可能性の時代』岩波新書、二〇〇八年)。だが、この度の3・11は、このような終わりではない。これは、経済大国への歩み直しを、つまり理想の時代の再開を意味するような終わりではない、と多くの日本人は感じている。

3・11の破局は、日本人に、一九九五年をも想起させた。阪神淡路大震災とオウム真理教事件が連続的に起きた一九九五年を、である。今から振り返れば、一九九五年は、終わりの始まりであった。その直前に、戦後日本の経済の頂点である「バブル経済」が崩壊していた。九五年の震災の後、日本政府は、経済的な繁栄を取り戻そうと、いわゆる新自由主義的な改革を導入したが、それらはたいして成功しなかった。結局かつてのような好景気や繁栄はもう戻ってはこない、ということを日本人は感じている。そのことを、否定し難く告知したのが、二〇〇八年のリーマンショックではなかっただろうか。精神史の段階区分と対応づけると、私の考えでは、一九九五年は、(理想の時代の次の段階にあたる)「虚構の時代」の終わりであり、「不可能性の時代」の始まりである(前掲書)。

このような過去の「終わり」(敗戦と一九九五年)と関係づけてみるならば、3・11の破局が何の終わりかが明らかになってくる。われわれは、今(二〇一一年に)、一九九五年に終わり始めたものの全貌を見ることができる地点に到達したのである。多くの人が直感しているが、しかしはっきりと口にされることがない「それ」は、要するに、資本主義である。資本主義が終わるのではないか、という予感に、今、われわれは戦慄しているのではないか。

このように観察を進めてくると、ここに収録した講義が、あらかじめ、3・11の震災・原発事故が提起する主題と対応していたことがわかっていただけると思う。第二講から第四講までの三つの講義で、いずれも、資本主義の終焉が論じられているからである。とりわけ、第二講が、この主題に深く関わっている。

無論、こうした対応が現れるのは、講義の時点で、私が、今日のような破局を予見していた、ということではない。この事実は、すでにあるもの、可能性や潜在性としてあるものが、真に現実的なものになるためには、ある決定的な出来事が必要だということを例証しているのである。決定的な出来事にあたるのが、3・11である。「資本主義の終わり」は3・11より前からすでにあったのだが、それが「すでにあった」ということが現実になるためには、破局が必要だった。その意味で、3・11の震災や原発事故の後の経過は、われわれの真実が何であるかを教えてくれる「夢」の時間にあたるのである。私は、第四講で、「発話時点に依存して真/偽が変わる命題」について論じているが、資本主義の終わりについての言明は、こうした命題の一例である。


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資本主義が終わるとしても、人類が終わるわけではない。資本主義とは異なるシステムの下で、社会的な生は続くだろう。しかし、そのためには、社会構造や制度を、基礎的な部分から変容させる必要がある。そのような変容のことを、われわれは「革命」と呼ぶ。第四講の主題が、革命である。

革命もまた、この度の3・11の破局と関連が深い。どういう意味か? レベッカ・ソルニットが、『災害ユートピア』(亜紀書房、二〇一〇年)で、一九〇六年のサンフランシスコ大地震や二〇〇五年のニューオーリンズ大洪水等を精査しながら述べているように、大きな災害は革命とよく似ているからである。実際、災害がそのまま革命へと転化していった例は、歴史上、いくつもある。

ソルニットは、そうした例として、一九八五年のメキシコシティ大地震が、その後に続くメキシコの民主化のきっかけになった事実や、あるいは一九七二年のニカラグア大地震が、その七年後の(サンディニスタ民族解放戦線による)革命につながった事実を挙げている。一七八九年のあのフランス革命も、その前年の穀物の不作や飢饉がなければ起きなかったかもしれないことを思えば、災害と深く結びついている。あるいは、一九九一年のソビエト連邦崩壊の原因の一つは、その五年前の大災害、すなわちチェルノブイリ原発事故だった。少なくともミハイル・ゴルバチョフソ連大統領(当時)は、自分が始めたペレストロイカ政策よりも、チェルノブイリの事故の方が、ソ連崩壊のより大きな原因だったと、語っている。

要するに、しばしば、災害と革命は不可分なのだ。どこまでが災害で、どこからが革命だとはっきりと境界線を引くことはできないし、また意味のないことである。どうして、災害が革命へと転ずるのか?

災害においては、「ユートピア」が、つまり「法外な共同体」が生まれるからである。大災害に関して、次のような紋切り型のイメージがある。すなわち、災害時には、法律や警察が機能しなくなり、人はまずは自分が生き延びることを優先させるので、犯罪や強姦が横行するようなホッブズ的な自然状態が、つまり生存のための激しい闘争が出現する、と。しかし、ソルニットによれば、このイメージは、実態とはかけ離れている。むしろ、災害時には、人々は通常よりもはるかに利他的になり、家族や身内はもちろんのこと、見ず知らずの他人に対してさえも思いやりを示し、互いに助け合おうとするのだ。私は、これを「友愛のコミューン」と呼びたい。

東日本大震災の後にも、被災地の至るところに友愛のコミューンが生まれた。まずは被災者たち自身が、互いに互いを助け合おうとした。これに、自衛隊や消防、医者などの職業的な救済者はもちろんのこと、国内外からのボランティアやNPOが加わって、被災者の救出や生存を目的とした友愛のコミューンが発生したのである。

友愛のコミューンが、災害の衝撃が生々しく感じられている短期間においてのみ成立しているだけではなく、そのまま定着し、存続したとしたらどうなるだろうか。それこそ、まさに革命ではないか。災害と革命との内在的な関係は、こうして生ずる。


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友愛のコミューンは、私的所有権を(少なくとも部分的に)否定した関係性によって成り立つ。それは、困っている他者たちへの無償の贈与、報酬を求めない労働によって創り出されるからである。

私は、第二講で、アメリカの哲学者リチャード・ローティの命題、すなわち「困っている人を見たとき、その人のためにあなたが何か実質的な援助を与えようとしないのであれば、「その人たちもまた私たちの道徳共同体の仲間である」というあなたの主張は空虚である」という命題を検討することから始めている。この命題で言われていることは、単に「かわいそう」と思っただけでは、仲間として迎え入れたことにならない、何か実質的な援助をしなければダメだ、ということである。

幸い、東日本大震災の被災者たちとの関係では、ある程度の「道徳共同体」が自然に形成されたのではないか。われわれは、ローティのテストに合格したと言えるのではないか。ほとんどの日本人が、被災者たちに物質や義捐金・支援金を送り、ときには、救済活動のために現場へと直接出て行った。いや、援助の手を差し伸べたのは、日本人だけではない。非常に多くの、海外の人々が、経済的にも、また実質的な労働によっても、被災者たちを助け、支えたのである。道徳共同体は、驚くべき大きな拡がりを見せた。

だが、もちろん、この度出現した道徳共同体が完璧だったわけではない。たとえば、品不足を恐れて、食物や日用品やガソリンを買い漁ったとき、人々は、ホッブズ的と形容するのは大げさに過ぎるとしても、日常の水準を超えた利己性を発揮して競争しあった。これは、困っている他人より自己利益を優先させた行動なので、道徳共同体の精神に反する。

あるいは、原子力発電所との関係を考えた場合には、それほど速やかに道徳共同体にあたるものが形成されたとは言えない。原発を中心においた道徳共同体は、地震や津波の直接の被災者との関係で形成されたような道徳共同体よりも脆弱で、制限されている。たとえば、原発の労働者や作業員を援助しようとする者は、そう多くはない。あるいは、原発事故の被害者(原発周辺からの避難民、農作物や水産物への風評被害に苦しむ人たち)への援助は、そのやり方すらわからず、ごく部分的なものに留まっている。そして、何より、3・11よりも過去に遡って、原発を建設したとき、また原発からの電力を利用していたとき、かつてのわれわれは、この原発の事故によって苦しみを受け取ることになる未来の人々──つまり現在のわれわれ──のことも配慮した道徳共同体を形成してはいなかった。

こうした問題は、すべて、第二講の主題に含まれる。第二講の主題、それは、道徳共同体を可能にする条件を社会学的に探究することにあるからである。


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3・11の破局と最も深く、直接に関係しているのは、リスク社会を論じた第三講である。この度の地震と津波、そして原発事故も、典型的な(リスク社会の)リスクである。それは、この講義を読むことで、ただちに理解していただけるだろう。

たとえば、3・11の破局をめぐる言説の中心を占めているのは、「想定外」という語である。これほどの大きな地震や津波は想定外であった、これほど破壊的な原発事故も想定外だった、と。これらが、「想定外」だったことは、偶然ではない。つまり、われわれは、たまたま運が悪かったわけではない。リスク社会のリスクが「想定外」になることには、社会学的な原因があるのだ。

普通、「想定外」に対抗するものは正確な知であると考えられている。精度が高く、合理的で科学的な予想によってこそ、「想定外」を克服することができる、つまりそれを想定の中に含めておくことができる、と考えられている。しかし、「想定外」を産み出しているのは、知(の不足)ではない。「想定外」を規定しているのは、信である。だから、「想定外」と闘うには、知だけでは足りない。それは、信の構造を換えることによってしかほんとうには乗り越えられない。

どういうことか、少し説明しておこう。人には、起こりうるとわかっているのに、しかしほんとうに起こるとは信じておらず、したがって、事実上は「ありえないこと」と見なしていることがある。極端な破局は、たいていそうした類のことである。たとえば、マグニチュード9の地震とか、高さ30メートルを超す大津波とか、原発の冷却機能の完全なる停止等は、論理的にはありうるとされても、事実上は不可能なことと見なされることに含まれる。どうして、こんなことになるのか。第一に、信と知とは同じものではなく、両者の間にギャップがあるからである。そして、第二に、信と知の間には相互に規定しあうような関係があるが、最終的な決定要因は信の方にあるからである。知っているが信じていないことに関して、優先権をもつのは、「信じていない」ということの方なのである。信じていないことに関して、それを「想定した行動」をとることはできないのだ。

それでは、なぜ、津波や原発事故の可能性を、人は「信じる」ことができなかったのだろうか? そうした可能性を想定できなかったことに関して、それを、一部の人の打算的で意図的な排除の産物であるかのように論じる人がいるが、それは、事態の真の深さを捉えていない解釈である。東京電力等の電力関係者が利潤を優先させて、事故の可能性を意図的に軽視した、あるいは行政が予算の都合や怠惰のために、十分な高さの防波堤を築かなかったといった解釈は、まだ十分な説明にはなっていない。電力会社等が資本の論理に基づいて、利益を重視したことは間違いないだろうし、また行政がさまざまな事情から十分な対策を怠ったことも事実だろうが、しかし、そうした計算や行動を規定する、もっと深い原因があるのだ。それこそ、リスク社会のリスクを本質的に特徴づける構造的な要因である。リスク社会のリスクは、通常の合理性、科学的な合理性を無意味なものにしてしまう性質をもっているのである。

どういうことか? 私は、第三講の中で、リスク社会のリスクには、二つの背反的な特徴がある、と論じている。第一に、それは、いったん生起すると、物的にも精神的にもきわめて深く広範な損害をもたらす、非常に大きな破局である。それは、極端な場合には、一つの国民とか、あるいは人類とかを、全体として危機に陥れるほどの破局である。今回の津波や原発事故もそれにあたる。第二に、それが生起する確率は、非常に小さく、ときに小さ過ぎて計算不能である。今回の地震とそれによって引き起こされた事故が、千年に一度のものであったとすると、まさにこの性質をもっていることになる。こうした二つの特徴をもったリスクに対しては、確率論が教えるような合理的な行動が成り立たない。

確率論によれば、われわれは、リスクに対しては、いわゆる「期待値」に応じたコストをかけるのが合理的である。期待値とは、「損害×確率」という積である。たとえば、自動車事故は一定の確率で起きる。このとき、事故のための安全対策にどのくらいの費用をかければよいのだろうか。事故は、いつも起きるわけではないのだから、一台あたり何億もの巨費を投じて装甲車のような車を造るのは、得策ではない。かといって、シートベルトも、エアバッグも何もない、まったく安全対策を講じていない車は危険すぎる。予想される事故がもたらす損害額と、その事故の生起確率を掛け合わせて得られる金額が、ちょうど適当な安全対策の費用である。それは、慎重過ぎでもなければ、無防備に過ぎてもいない、中庸を教えてくれる。

リスク社会のリスクにも、これと同じ論理で対抗すればよいではないか、と思うかもしれない。しかし、そうはいかないのだ。先ほど挙げた、リスクの二つの性質は、「期待値」の計算において、互いに相殺しあうような効果をもつ。損害額は、きわめて大きい。何兆円にも上り、国家予算並である。しかし、その損害が出る確率は、たとえば千年に一度程度だとしよう。千年に一度ということは、キリストが生まれてから今日までに、せいぜい二度くらいしか起きない、ということである。両者の積を取ると、自動車事故の場合と同じように、「そこそこ」の中庸な対策の費用を導き出すことができる。損害額は莫大でも、確率が非常に小さいので、積をとれば、中庸になる。

しかし、講義でも述べているように、リスク社会のリスクに対しては、中庸な選択は、最も価値がない方法なのである。リスクとして予想されている破局は、あまりに激しく、大きいので、中くらいの費用をかけた対策、中途半端な対策など、いざ問題が生じたときには、何の役にも立たないからだ。とすれば、いくら確率が低そうでも、最悪の事態に備えた対策をとるのが合理的だということになるのだろうか。それは、たまに起きる自動車事故に備えて、皆が、何億円もする、装甲車のような車に乗るということである。

だが、ここで確率のあまりの低さや計算不能性がネックになる。たとえば、千年に一度程度であるとすると、次にそのリスクが生ずるときには、われわれは皆、死んでいる、ということである。千年前のことを思えばただちに理解できるが、千年後には、「日本」が存在しているかどうかすら怪しい。少なくとも、千年前には、われわれが理解しているような意味での日本政府も日本国民も存在してはいなかった。千年後には、間違いなく、自民党も、民主党も、みんなの党も存在していないだろう。

とすれば、千年に一度のリスクに備えてこれこれの対策をとるべきだ、ということをどうやって合理的に説得することができるのだろうか。われわれは、千年に一度のリスクに備えていない人を、無用心な人とも、愚かな人とも考えないだろう。隕石に当たって死ぬことを恐れて、重いヘルメットを被り続けている人の方が、むしろ奇人に見える。「千年に一度くらいはたいへんに困ったことになるから……しておこう」と説明するとき、困ったことになる主体、不幸に陥る主体は、いったい誰なのか。それが「あなた」である確率は、きわめて低く、ほとんどゼロである。では、「われわれ」なのか。しかし、その「われわれ」とは誰か。子孫を含む親族なのか。国民なのか。地域共同体なのか。人類なのか。こうして、リスクの確率があまりに低いとき、そのリスクにさらされる主体を定義することができなくなってしまう。

今、「千年」というスパンを例に用いたが、原発のような放射性物質にかかわるリスクと安全性について考えるときには、千年どころか、万年にのぼるような時間的なスパンを考慮に入れることがときに必要になる。それは、個人の人生の長さはもちろんのこと、いかなる共同体の生の長さをも、はるかに超えている。このとき、合理的な行動、科学的・知的な意味で合理的な行動を決定することは、不可能になってしまう。かくして、めったに起きそうもないリスクを想定の外におくことが、合理的なことに──少なくとも不合理とは必ずしも言えないことに──見えてくるのである。ついでに述べておけば、現在の原発事故で拡散している放射性物質の危険についての科学的な解説(「ホウレンソウを毎日食べ続けると、人が一年間に浴びてよい放射線量のおよそ二倍になる」云々といった解説)に、多くの一般の人々が、もうひとつ腑に落ちないのは、この危険が、今述べたようなリスクの二つの性質を備えているからである(被曝が目に見える被害をもたらす確率は低いが、もし一定量を超えて被曝すれば、生体全体を破壊するような最も恐ろしい死が待っている)。

だから、リスク社会のリスクに対応するためには、科学的・知的な合理的計算や対策だけでは明らかにたりない。それは、広い意味での信仰や宗教の問題であると言うほかない。そして、人が何を信じるのか、何を信じうるのかは、個人的な心理の問題ではなく、社会性の問題、その人がどのような社会構造の中を生きているのかということに規定される問題である。だからこそ、リスク社会論が必要になる。リスク社会のリスクと向かい合い、その恐怖を克服し、問題を解決するために。第三講は、そうした考察のひとつである。

第三講で、私は、空中で爆発し、海面に叩きつけられるまでの宇宙船チャレンジャー(乗員キャビン)を、寓意的な事例として用いている。今や何も役に立たず、致死的な脅威だけをばらまきつづける巨大なゴミと化した原子力発電所をかかえ、それを廃炉にするために今後何十年も莫大な資金と労働を投入しなくてはならない日本社会は、まさに、あの墜落途上の宇宙船チャレンジャーのようなものである。われわれは皆、間延びしたチャレンジャーに乗っているのだ。

二〇一一年四月十五日
大澤真幸 

[著者紹介]

5月中旬刊行予定
社会は絶えず夢を見ている
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