12.25.2018

南国科学通信 第12回 シラード博士と死の連鎖分裂

全卓樹
第12回 シラード博士と死の連鎖分裂


いかなる大河もその源流を一筋の流れにさかのぼることができる。

始まりはチェコのヨアヒムスタール銀鉱に産するボヘミア装飾ガラスの緑色の原料、ウラニウム元素であった。アンリ・ベクレルによる1896年のウラニウム放射線の発見が源流となり、放射能と原子核物理学の探求が欧州の各地で始まった。美しい緑色ガラスの奥の極微世界に魔力が宿るというのである。研究の流れは勢いを増し、やがてウラニウム核兵器開発の奔流となって、半世紀後の広島の街に凄惨せいさんな地獄絵を現出させることを、まだ誰も見通せなかった。

源流からの曲がりくねった川のみちすじがやがて定まるように、原子核エネルギーの封印が解かれて、歴史の悲劇のみちすじが定まったのは、1933年のロンドンの街角においてであった。信号を待っていたハンガリーからの亡命物理学者レオ・シラードに、連鎖核反応のアイデアが降りてきた。中性子を当てることで原子核を崩壊させる研究が当時各地ではじまっていた。もしその崩壊の過程で中性子が複数出てくる事があるならば、それが別な核の崩壊を引き起こし、それがまた複数の中性子を放出し、という具合に続けざまな核の崩壊の連鎖が起こって、厖大ぼうだいなエネルギーが放出されるだろう。

12.17.2018

南国科学通信 第11回 ベクレル博士の遥かな記憶

全卓樹
第11回 ベクレル博士の遥かな記憶

Dédié à l'anniversaire de Yumi

(悲しいことであるが)放射線強度の単位「ベクレル」は、今では誰もが知る一般常識である。放射能をはじめて見つけた19世紀フランスの物理学者、アンリ・ベクレルにちなんだ名前である。

時は1895年、欧州は「人体を透過する新しい光」X線の発見にいていた。X線、またの名をレントゲン線は、それまでの科学では全く予想されなかった、不気味な新現象であった。「世のすべては原理的に解明されている」とする当時の物理学界の雰囲気は、一夜にしてくつがえされた。強大な力を秘めた光が、他にもまだ気づかれぬままに存在するのではと、多くの人が疑いはじめた。


女性の手
Josef Maria Eder, 1896
メトロポリタン美術館


パリ自然史博物館の主席研究官アンリ・ベクレルは、レントゲンの論文を精読して考えた。目に見えぬX線が蛍光物質を塗った紙を光らすのなら、蛍光物質に光を当てることでX線を作れないものか。あるいはX線以外の、さらに未知の光が見つかるかも知れない。

彼は太陽光を様々な手持ちの物質に当てて、物質が蛍光を発するかを調べ始めた。すぐに彼の注意を引いたのは、「ウラニウム塩」が太陽光にさらされて発する燐光りんこうであった。これはボヘミアングラスの美しい緑の発色に使われていた顔料で、ズデーテン山系はカールスバードの温泉街に近い、ヨアヒムスタール銀山のみで産出する希少な素材である。

自分自身にも説明のできない奇妙な予兆を感じたベクレルは、陽光にさらしたウラニウム塩を厚い黒紙に包んで、十字架を間に挟んで写真乾板の上に置いた。

数日放置して取り出した乾板を現像すると、彼はそこに案の定、十字架の影を除いて真っ白に感光した写真を見出した。太陽光を浴びたウラニウム塩は、燐光だけでなく、黒紙をも通す目に見えない何かを放射していたのだ!

これはX線だろうか。実験を続けるうちに、この未知の放射線が周りの空気を激しく電離させている事をみつけた。どうやらレントゲンの発見したX線より、はるかに強いエネルギーを持っているようである。それは透過するというよりも、目には見えぬまま物質を打ち、貫通するのであった。

最後の僥倖ぎょうこうが曇り空の姿でやってきた。1896年の2月のパリに、太陽のない暗い日々が続いた。実験は中断され、ウラニウム塩は黒紙に包まれたまま、実験室の棚にしまわれた。晴れの日がようやく訪れ、実験を始めようと試料の検証を始めたアンリ・ベクレルを驚愕が襲った。ウラニウム塩を包んだ黒紙の下に、偶然置かれていた写真乾板がすでに感光していたのである。十字架の影もくっきりと浮き出ていた。ウラニウム塩は陽光をまったく浴びなくとも、自分自身で自然に未知の放射線を放っていたのだ。

人類が放射能を初めて識った瞬間である。