10.11.2016

断片的なものの社会学|韓国語版刊行!



『断片的なものの社会学』
韓国語版刊行!





2016年10月5日、『断片的なものの社会学』の韓国語版が刊行されました。韓国語版の版元は、wisdomhouseさんです。写真だとわかりづらいのですが、韓国語版のほうは、手漉きの紙のような手触りのある紙がカバーに使われていて、高級感があります。


カバーをめくると、青い表紙が見えます。そして見返しが茶色。おしゃれです。


■ノ・ミョンウ氏の推薦文

カバーの裏に、韓国の著名な社会学者、ノ・ミョンウ氏(亞洲大学教授)が、推薦文を寄せてくださっています。以下に、日本語訳を紹介します。



この社会学者の岸政彦さんは、
世の中で、世界で起こっているすべてのことを審判官の観点から判定する、「私たちが知っていた社会学者」の姿とは、あまりにも違う。

彼は他人の人生を腕を組んで見物する観察者ではない。
悲しい声、悲壮な声、抗議する声、皮肉の声ではなく、人間は他にどのような声を出すことができるのか? 
人間が出せる声のすべてが込められているようなこの作品は、人生劇場とあまりにも似ている。

社会学が人々の人生を記述するには、その社会学者が駆使する言語は、人生の特性に合っていなければならない。
もし、人生が断片的にできているモザイクであれば、その断片を記述する言語ももちろん、断片のモザイクでなければならない。

だから、岸政彦さんは繊細に人生の断片を組み合わせてこの本を執筆したのだと思うし、私はこの本を読みながら、彼と心の中で友人になった。
――ノ・ミョンウ氏(亞洲大学教授)

※ノ・ミョンウ氏のプロフィールは、こちらをご参照ください(韓国語)。


■韓国語版への序文

本の冒頭には、岸政彦さんによる、韓国語版のための序文が収録されています。以下に、日本語の原文を転載いたします。





このたび、私のこの小さな本が韓国語に翻訳されると聞き、たいへんうれしく思っています。まだ行ったことのない国(こんなに近いのに!)の、まだ会ったことのない人々に読んでいただけると思うと、ほんとうに幸せです。

私は子どものころ、「伝言ゲーム」という遊びが大好きでした。小学校の遠足などでよくやる遊びです。韓国にも同じ遊びがあると聞きました。

みんなが一列につながり、最初のひとが考えた、すこし長めの文章を、他のひとたちに聞こえないように、二人めのひとにそっと耳打ちします。二人めのひとは、同じように他のひとに聞こえないように小さな声で、三人めのひとに囁きます。

伝言が最後まで届いたときに、最初のひとが考えた最初の文章が発表されます。次に、最後のひとが、自分が聞いたと思っている文章を発表します。人数が多いほど、文が長いほど、最初の文章と最後の文章は、信じられないぐらい違っています。それがいつも、あまりにも違った文章なので、思わず笑ってしまうのです。そんなゲームです。

日本や韓国だけでなく、世界中に同じような遊びがあります。どうしてこんな単純なゲームが、これほど世界に広がって愛されているのでしょうか。

このゲームから私たちが得られる教訓は、ふたつあります。まず、話が伝わっていくと、かならずそれは変化してしまって、もとの姿をとどめなくなっているということ。これは、私たちが何かを伝えることが、いかに難しいかということをあらわしています。

もうひとつの教訓は、意味を伝達するときにノイズが混じったり、意味自体が変化してしまったりすることは、悪いことばかりじゃなくて、みんなが大笑いするような、面白いことでもある、ということです。


私たちが生きるこの社会では、意味が間違って伝わったり、そこにおかしなものが紛れ込んだりすることは、とても悪いことだと言われます。たしかに、日本で大きな地震や津波、あるいは原発事故が起きたときは、インターネットでとても悪質なデマが広がりました。

しかしまた同時に、定まった、決まった意味しか伝えることのできない世界は、生きていてとても息苦しいものだと思います。


私のこの本は、はっきりしたテーマや内容があるわけではありません。文字通り断片的なエピソードをつなげて並べ、そこから「生きるということはどういうことか」ということを考えた本です。そういう、あやふやで曖昧な本ですから、これが日本で出版されてからずっと、読者によってほんとうに様々な読み方をされてきました。書いた私でさえ驚くような感想をもらうことも、少なくありません。

この本がはじめて国境を越え、異なる言語に翻訳されることになり、私が楽しみにしていることは、それがうまく伝わるということよりもむしろ、それが私でさえ思ってもみなかったような読まれ方をするということです。翻訳する、ということは、ただ単に、意味をそのまま伝えるということではなく、そこに意味を新しく付け加えるということだと思います。


どうか、この小さな本にたくさん書かれたささやかなエピソードに、あなた自身のものを付け加えてください。そしてそれがいつか、私のもとまで届きますように。

――2016年8月  岸 政彦





韓国語版が刊行されること、とてもうれしいです。とても美しい本に仕上げていただきました。ますます、たくさんの方に届くことを祈っています。(編集部)

2.19.2016

聖書

末井昭
第2回 他者の中に自己を見る

気持ちが沈んでいる時期に訪ねて来た、現実から数センチ浮いているような少女Y。彼女と一緒にいたいがために作った少女雑誌が全く売れず、さらに落ち込む末井さん。そして千石剛賢さんの聖書の話が頭から離れなくなる――。他者に尽くせるときというのは、自分の心に余裕があり、相手も自分に好感を持ってくれているときです。「自分がどういう状態であっても、相手がどんな状態でも、相手のことを思うことはできるのでしょうか」(編集部)。

1987年~1988年は僕にとって最悪の2年間でした。千石剛賢さんの本『父とは誰か、母とは誰か』を読んで、千石さんに会いに行こうと思ったのは、その最悪期に入りかけたころでした。

1981年に創刊した『写真時代』は、創刊号から完売で順調に部数を伸ばしていき、問題は何もなかったのですが、私生活に問題がありました。妻に内緒でコソコソと付き合っていた人が統合失調症(当時は分裂病と言っていました)になり、精神病院に入院しました。そして退院したあとマンションの8階から飛び降り、奇跡的に助かりましたが杖なしでは歩けない体になっていました。自分のせいでそうなったのかと思い、気持ちが落ち込みました。

それに加えて、毎月雑誌を面白くしないといけないというプレッシャーがありました。『写真時代』は僕を入れて7人で編集していましたが、面白いか面白くないかの判断はすべて僕がやっていて、みんなで会議をしても面白いと思うアイデアがなかなか出でこないので、結局自分で考えることになります。そうやって面白い企画を捻り出しても、1ヵ月で消費されてしまうことの虚しさもありました。
それに、「もうすぐ三重苦だ」と言って笑っていましたが(39歳になるということですが、本当に三重苦みたいになるとは思ってもみませんでした)、年を取っていくことの寂しさも加わり、気持ちが沈みがちな日々が続いていました。

そんなとき、僕に会いたいという女の子が会社にやって来ました。僕へのプレゼントだと言って、自分の好きな曲を録音した3枚のカセットテープを持ってきていました。浮浪者がする小便のにおいが充満している高田馬場駅の汚いガード下(いまは手塚プロのおかげできれいになりましたが)を通って来たらしく、「わたし、高田馬場に住めない……」と困ったような顔で言いました。そのあと喫茶店で3時間ほど、とぎれとぎれのまとまらない会話をしたのですが、僕にとって久し振りの心がなごむ時間でした。