2.19.2016

聖書

末井昭
第2回 他者の中に自己を見る

気持ちが沈んでいる時期に訪ねて来た、現実から数センチ浮いているような少女Y。彼女と一緒にいたいがために作った少女雑誌が全く売れず、さらに落ち込む末井さん。そして千石剛賢さんの聖書の話が頭から離れなくなる――。他者に尽くせるときというのは、自分の心に余裕があり、相手も自分に好感を持ってくれているときです。「自分がどういう状態であっても、相手がどんな状態でも、相手のことを思うことはできるのでしょうか」(編集部)。

1987年~1988年は僕にとって最悪の2年間でした。千石剛賢さんの本『父とは誰か、母とは誰か』を読んで、千石さんに会いに行こうと思ったのは、その最悪期に入りかけたころでした。

1981年に創刊した『写真時代』は、創刊号から完売で順調に部数を伸ばしていき、問題は何もなかったのですが、私生活に問題がありました。妻に内緒でコソコソと付き合っていた人が統合失調症(当時は分裂病と言っていました)になり、精神病院に入院しました。そして退院したあとマンションの8階から飛び降り、奇跡的に助かりましたが杖なしでは歩けない体になっていました。自分のせいでそうなったのかと思い、気持ちが落ち込みました。

それに加えて、毎月雑誌を面白くしないといけないというプレッシャーがありました。『写真時代』は僕を入れて7人で編集していましたが、面白いか面白くないかの判断はすべて僕がやっていて、みんなで会議をしても面白いと思うアイデアがなかなか出でこないので、結局自分で考えることになります。そうやって面白い企画を捻り出しても、1ヵ月で消費されてしまうことの虚しさもありました。
それに、「もうすぐ三重苦だ」と言って笑っていましたが(39歳になるということですが、本当に三重苦みたいになるとは思ってもみませんでした)、年を取っていくことの寂しさも加わり、気持ちが沈みがちな日々が続いていました。

そんなとき、僕に会いたいという女の子が会社にやって来ました。僕へのプレゼントだと言って、自分の好きな曲を録音した3枚のカセットテープを持ってきていました。浮浪者がする小便のにおいが充満している高田馬場駅の汚いガード下(いまは手塚プロのおかげできれいになりましたが)を通って来たらしく、「わたし、高田馬場に住めない……」と困ったような顔で言いました。そのあと喫茶店で3時間ほど、とぎれとぎれのまとまらない会話をしたのですが、僕にとって久し振りの心がなごむ時間でした。

それから、その女の子のことが頭から離れなくなりました。名前はYといい、暗い感じではないのですが、現実から数センチ浮いてふわふわしているような、現実に対してどこか絶望しているような感じがありました。そんなYを見て、過敏な少女たちはみんな絶望感を持っているのではないか、苦しみもがく絶望ではなく、甘いものを食べたいのに太ってしまうという絶望、いつまでも少女のままでいたいのに大人になってしまうという絶望、好きな男の子がいるけど恋は成就しないという絶望……そんな絶望と言っていいのかわからないような絶望で、少女達は深刻に悩んでいるのではないかと、自分の浮かない気持ちと重ね合わせて想像してしまったのでした。そして『写真時代』に少々飽きていた僕は、少女達の絶望と遊びながら、少女達を救い、自分も救われるような雑誌を作ろうと、それをYと一緒に作ろうと思って、無理矢理企画を通して出したのが『MABO』という雑誌でした。

それまで少女向け雑誌を編集したことがないので、カメラマンもスタイリストもライターもイラストレーターも占い師も、一緒に仕事をするのは初めての人がほとんどでした。「どういうコンセプトの雑誌ですか?」と聞かれて、さすがに「明るい絶望の雑誌」とは言えなくて「少女向けカルチャーマガジン」とか言って誤摩化していました。

女の子向け雑誌なので、ヌード写真が散乱している『写真時代』編集部の隣ではマズいと思い、新たにビルの一室を借りて、女性編集者を募集しました。そして、僕を入れて5人のスタッフで『MABO』はスタートしました。

僕は『写真時代』の編集長もしていたので、『写真時代』と『MABO』の編集部を自転車で行ったり来たりするようになり、急に忙しくなりました。忙しいのは慣れていたので、『MABO』が売れていれば何も問題はなかったのですが、これがまったく売れません。1号目は10万部出して9万部ほど返品があったと思います。社長からは、2500万円の赤字が出そうだけど、続けるのかどうするのかと迫られ、スタッフには不安感が広がり、僕は増々気持ちが沈んでいきました。

そんなときに、商品先物取引の営業マンが『MABO』編集部にひょっこり現れました。その営業マンの「金で大儲けできますよ」という言葉に心が揺らぎ、投資もギャンブルも一切やったことがなかったのに、いきなり金の先物取引を始めました。もし大儲けしたら、自分でも重荷になっていた『MABO』を廃刊にし、編集部のみんなに退職金を払って辞めてもらい、僕も一緒に会社を辞めようと思っていました。ところが、さっぱり大儲けにはならなくて、ジリジリ値下がりしていました。

僕は何かに集中しているとき心が一番安定しているのですが、集中するものがなくなったとたんに沈みがちになり、心が揺れ出します。少女Yに惹かれたのも、高田馬場の小汚いガード下から、どこかキラキラした世界に連れて行ってくれるのではないかと、夢でも見ているような気持ちになっていたのかもしれません。先物取引も、大儲けという威勢のいい幻想で、沈みがちな気分を盛り上げようとしたのではないかと思います。

『MABO』は、本当は少女Yと一緒にいたいという、自分の欲望のために作ったような雑誌で、そんな雑誌が売れるわけがないことは、自分でも薄々感じていたことでした。


自分から抱えた2つの憂うつ、『MABO』と先物取引で、気持ちはさらに落ち込んでいきました。『父とは誰か、母とは誰か』を読んで、千石さんが解説する聖書の話が頭から離れなくなったのは、自分の揺れ動く心を支えてくれるものが欲しかったからではないかと思います。この本に次のような一文があります。

私たちの聖書に対する姿勢のもっとも大事なものは、他の中に自己を見ることだ。人間はみんな、それをまちがっちまった。幸せになろうということは、なにも悪いことじゃないけれども、その道を踏みまちごうてしもうた。つまり、幸せになりたいということはまちがっていないが、自分だけ幸せになろうとすると、絶対になれない仕掛けがしてあるんだ。神が人間を造られた時点で、そうされている。だから、他者の中に自己を見ること、つまり行動的にいうならば、他者が幸せになるようにふるまってこそ、はじめて自分の幸せということが具体的になる。これが私たちを支えているものの一つなんです。(「私たち」というのは、イエスの方舟の人達のことです)

この箇所は一番気になったところでした。若いころ、僕は1人で生まれて1人で死んでいくのが人間だと思っていました。人と人がつながり合っているように見えても、それぞれが自分のことしか考えていなくて、誰もが孤独を抱えて生きているのだと思っていました。だから独立心を持って、人に頼らないで生きなければいけないと考えていて、人に依存する人が大嫌いでした。しかし、それは自分が人とうまくつながれないことの裏返しで、本当は人と深くつながりたかったのではないかと思います。

先に引用した箇所は、聖書に「だれでも、自分の利益ではなく他人の利益を追い求めなさい」(コリントの信徒への手紙一10-24)と書かれていることにつながることですが、千石さんは、人間は自分のことしか考えられないことが本音で、他人のことを思っているようにふるまうことは偽善だと、つまり嘘だと言っています。他人が他人のままでは、本気で他人のことを思うことはできないと言うのです。
しかし、自分の幸せを、自分がよくなりたいということをとことん突き詰めていったら、他者の中に自己を見ていく境地が出てくると言います。それが「隣人を自分のように愛しなさい」(マタイによる福音書19-19)の真意だと。

他者に尽くせるときは、自分の心に余裕があって、相手も自分に対して好感を持ってくれているときです。そういうときは、相手に対していくらでも尽くすことができるのですが、たとえば相手が自分に敵意を持ったりすると、相手のことを思う気持ちはスーッと引いてしまいます。

また、自分がイライラしているときや、塞ぎ込んでいるときは、僕の場合は1人になりたくて、とても相手のことを思うことはできなくなります。つまり、自分と他者という区分けがある以上、最終的には自分を優先してしまうのです。

自分がどういう状態であっても、相手がどんな状態でも、相手のことを思うことはできるのでしょうか。ふと思うのは、親が子を思うとき、あるいは仲のよい夫婦がお互いのことを思うとき、そういうこともあるのかもしれません。もし、自分がどんなに都合が悪い状態でも、自然に相手のことを思うことができれば、そのときは自分という意識は消えて、相手のことだけになっているはずです。このことが「他者の中に自己を見る」ことではないかと思うのです。

千石さんは「摂取」という言葉を遣っています。相手を自分の中に取り込み自分にするということです。そういうことでいえば、イエスはすべての人を「摂取」していたということになるのではないでしょうか。

人が楽しくしていると自分も楽しくなり、人が悲しんでいると自分も悲しくなるときがあります。そういうとき感じるのは、人と人はもとからつながっているのではないかということです。他者の中に自己を見るということは、そのつながりを取り戻すことではないでしょうか。

人とつながることによって自分の中に充実感が生まれ、虚無や孤独から抜け出せるのだと思います。もしそうなら、僕にとって指針になるものは、聖書以外にないのではないかと思うようになったのです。


千石さんに早く会いたいと思っていたのですが、いきなり「会わせてください」と言って、福岡のイエスの方舟に行くのも厚かましいし、『MABO』の立て直しのことがあってなかなか時間が取れません。そこで思い付いたのが、『MABO』で千石さんをインタビューさせてもらうということでした。そういう旨をイエスの方舟に電話してみると許可が出たのでした。

一緒に行ったのは、女性ライターと少女Yでした。飛行機で福岡空港まで行き、地下鉄で中洲川端駅まで行くと、イエスの方舟の女性2人が迎えにきてくれていました。2人ともフォーマルな黒っぽいスーツで、ハイヒールを履いていました。社交辞令もまったくしないで、背筋を伸ばしてハイヒールの音をコツコツと響かせて歩く2人のうしろ姿を見ながら、クールでカッコいいなあと思っていました。

中洲の大通りを途中から右に曲がると狭い路地があり、飲食店や風俗店がゴチャゴチャと建ち並んでいます。その中の1軒に、「シオンの娘」と白地に黒で書かれた小さな看板のある店があり、そこの2階に案内されました。シオンの娘はイエスの方舟の女性達で運営されているショーがあるクラブで、2階はカラオケルームとして使われていました。壁に小さな可愛い十字架が掛かっていて、少女Yはその十字架をじっと見つめていました。

ビロードの椅子に座って待っていると、縦襟の黒い服を着た千石さんが聖書を持って現れました。そのうしろからテープレコーダーを持った、先ほどの女性が入ってきました。「これは遠いところからどうも、どうも」と千石さんはニコニコしながら、僕らの前に座りました。そうしている間に、テープレコーダーがセットされました。これまでマスコミであることないこと書かれてきたので、取材の会話は全部録音しておくのかもしれませんが、自分達の会話が録音されると思うと少し緊張しました。

インタビューは家族のことから聞きました。千石さんは本の中で、親子という関係は幻想的人間関係だと言っています。イエスの方舟事件で問題になったのも、親子の問題が根本にありました。

「親と子はランクが低くて、いくら愛し合ってもすばらしい人格的一体が出ない、それを〝幻想〟と言ってるんです」「私たちが問題を起こしたといわれたけど、あれは社会的に起こされてしもたんや。つまりね、子供さんを家庭からね、連れ出してしもうたとかナンとか言ってね。連れ出したんやなくて、聖書にはそう書いてあるんですよ。『父母を離れなさい』って。その通りのこと言ったら、騒がれちゃった」「単に親不孝して離れろ、なんてもちろん書いてないんです。そうじゃなくて、もっとね、濃密な人間関係に入りなさいというのが、真意なんです」「私がいちばん嫌いなのは、親が子供に依存することです。それは間違ってるとゆうことです、聖書的に。聖書には依存するようなことはどこにもないですもの」千石さんの話すことには、迷いが一切ありませんでした。

このあと「霊」のこと、「いじめ」のこと、「イエスに性欲がないのはなぜか」ということを聞きました。千石さんには心筋梗塞という持病があり、しかも風邪で調子が悪くて病院で点滴を打ったというのに、気が付けば3時間に及ぶインタビューになっていました。

最後に、申し訳ないと思いながらも、僕が一番聞きたかった自分の不倫問題について質問しました。簡単に自分のことを説明し、ずばり「男は同時に何人もの女を愛せるんですか?」と聞くと、千石さんは即座に「30人が限界でっしゃろ」と、妙に具体的なことをおっしゃいました。

僕はてっきり聖書にある姦淫のことを指摘されて、1人しか愛してはいけないと言われると思っていたので、30人と聞いて心の中でクスッと笑い、気持ちが楽になりました。僕の気持ちを楽にしてくれるために言ってくれたのかと思っていましたが、そうではなく、30人といえばイエスの方舟で共同生活している人達の数でした。

イエスの方舟には千石さんの実子や奥さんだった人もいましたが、血縁とか家族という意識は消滅していてイエスの方舟自体が大きな家族のようでした。集団生活をしている一番の目的はエゴをなくすることです。「他者の中に自己を見る」ということを実践する上で、どうしても邪魔になるのがエゴです。
家族が家族のまま集団の中にいると、家族のエゴが生まれます。親子とか家族という幻想的な関係を捨てて、人と人が本音で付き合い、その中でお互いを思いやる生活をしていたのがイエスの方舟でした。

千石さんは『父とは誰か、母とは誰か』の中で、鮎川信夫さんの言葉を借りて、救うということはとことん付き合うことだと言っています。1人の人でもとことん付き合うのは大変なことなのに、千石さんは30人の人ととことん付き合っているのです。逆に言えば、とことん付き合ってくれるから、みんながイエスの方舟を離れないのです。

それでも、イエスの方舟事件の騒動のとき、疲れ切った会員の1人が飛び出して戻ってこなくなったことがあったそうです。千石さんは、その人が意志を持ってイエスの方舟を離れたのではなく、感情的に混乱して飛び出したと判断して徹底的に探します。その人が行きそうな町に行き、働きそうなところを1軒づつ廻ります。「30人が限界でっしゃろ」と言うのは、千石さんの実感ではないかと思ったのでした。


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(次回に続く)

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