12.29.2015

聖書


末井昭
第1回 世間がひっくり返る

『自殺』の末井昭さん新連載。「みんな、何を指針にして生きているんだろう?」。聖書に出会って、ものの見方がひっくり返ったという末井昭さん。信仰を持っているわけではない末井さんは、聖書を「実用書」として読んでいると言います。聖書に書かれているように生活したいと思うが、できない自分。日常と聖書との往復で見えてくるものとは。初回はイエスの方舟事件と、「こんな世の中、ぶっ壊れてしまえ」と思っていたことが、頭の中で本当に起こってしまったこと。聖書を生涯読まないかもしれない、信仰をもたない方々へ贈ります。

僕は世間話というものが苦手です。たとえば、イスラム国の話から東京もテロの対象になるのかという話になり、国際情勢の話が続くのかなと思っていたら、僕の一番苦手な自分たちの子供の話になり、しまいには飼っている猫の話になったり、話題はコロコロと変わっていきます。

僕は宴会などのとき、世間話にうまく入っていけなかったので、黙っていることが多く、無口だと思われていたと思いますが、心の中では「お前らバカか。クソ面白くもない話を延々しやがって」と罵声を浴びせながら、その宴会を呪っていました。無口でも、自意識だけは人一倍強かったのです。

先日ある宴会で、〝少年A〟が書いた本『絶歌』が面白かったと言ったら、とたんに場がシーンとなり、誰かが「人を殺しておいて本出すってのはねぇ……」と言ったあと、その話は途切れてしまいました。僕は『絶歌』を読んだばかりだったので、〝少年A〟とこの本について人に話したかったのですが、ここでは話さないほうがいいと思ってやめました。世間話では、世間の常識から外れたことを言うと拒否反応が出ます。当たり障りのないことしか言ってはいけないのです。

世間話は世間のうわずみのようなもので、世間の価値観がもとになっています。僕が世間話が嫌いな理由は、人と話すことが苦手なことや、意味のない会話に耐えられないこともありますが、それよりも前に世間というものが嫌いだからです。

世間が押しつけてくる価値観は、いい学校に入ることだとか、大きな会社に入ることだとか、人から誉められることだとか、子供から愛される親になることだとか、どうでもいいことばかりで、それは人間として本当に大切なこととは違います。

だからといって世間に背けば、世間は怖いものになります。世間の価値観から外れると、たとえば公園で寝泊まりなんかしていると、世間から排除されます。世間が脅かされるようなときには(たとえば〝少年A〟の存在のように)攻撃してきます。

僕は、子供のときの母親の自殺や、貧乏だったことやいじめに遭ったことが影響して、世間になじめない人間になっていました。

といっても、世間に逆らうと怖いから、なるべく世間にすり寄るようにしてきましたが、そうするとストレスが溜まってきます。そういうモヤモヤから、「こんな世の中、ぶっ壊れてしまえ」と思ったりするときがあります。若いころ、ビルの屋上から道行くサラリーマンを機関銃で撃ちまくりたいという妄想にかられたことがあったのですが、妄想で終わってつくづくよかったと思います。

そういう人間なので、世間から逸脱している人や逸脱した考え方に惹かれるところがあります。僕がのちに深い関わりを持つことになる、聖書研究会・イエスの方舟と、そのリーダー千石剛賢という人に関心を持ったのも、イエスの方舟が世間やマスコミからひどいバッシングを受けていたからでした。


僕がイエスの方舟を知ったのは、マスコミがイエスの方舟事件で騒ぎ始めた1980年の初めのころです。

この事件に火がつく1977年当時、イエスの方舟は国分寺の空き地に建てたトタン板で囲ったテントを教会とし、そこで男性4人と女性22人が共同生活していました。お茶や海苔を売ったり、刃物研ぎをしながら、「聖書の勉強をしませんか?」と人々を集会に誘っていました。

と書くと、もうこれだけで怪しいと思いませんか? トタン板で囲ったテントというのも怪しい、そんなところで大勢の人が共同生活しているというのも怪しい、しかも女の人が多いのも怪しい、刃物研ぎというのも怪しい、聖書の勉強と言っているけど、本当は怪しい宗教団体ではないだろうか……と世間は思うわけです。 

事件の発端は、イエスの方舟の教会に通っていた数名の娘さんたちが家に帰ってこなくなくなったことで、そのうちの1人、当時女子高校生だった娘さんの母親が中心となり、被害者の会のようなものが作られます。そして行方不明者の家族や親戚が集まって、自分たちの娘を取り戻すために、イエスの方舟に連日押しかけるようになります。その騒ぎの真っ最中、1978年の5月、イエスの方舟の人たちは、国分寺から忽然と姿を消してしまうのです。

最初にマスコミでイエスの方舟が取り上げられたのは、1979年の暮れに雑誌『婦人公論』に載った、行方不明の女子高校生の母親が書いた「千石イエスよ、わが娘を返せ」という手記でした。

この手記に書かれている〝千石イエス〟こと、イエスの方舟の責任者、千石剛賢さんの印象は、「白いカラーの立襟がついた裾の長い黒い服を着て、口にはチョビ髭を生やし、牧師のように振る舞い、猫なで声を出し、たいそうなお世辞を平気で言う。聖書やキリスト教について学問的な勉強は何もしてないように見えた」というもので、その怪しいイメージはそのまま世間に受け継がれていきます。

この手記は、『あなたが「イエス」とか「キリスト」の名前を口にするならば、今すぐ迷える娘たちを親のもとに戻し、健全な社会に復帰させて下さい。日本のどこかに隠れて暮していないで、堂々と姿を現しなさい』という千石剛賢氏に向けたメッセージで結ばれています。自分たちが善人で、自分たちの社会が健全であると信じ切っているのも、世間というものの特徴です。

その後、この事件は国会でも取り上げられ、当時の国家公安委員長・後藤田正晴が「法に触れていれば刑事事件として追求する」と言ったことから警察も動きだします。そこからマスコミも騒ぎ始め、千石イエス、洗脳、ハーレム、現代の神隠し、といった言葉が、新聞や週刊誌の見出しを賑わすようになります。

マスコミが作りだしたイエスの方舟のイメージは、千石イエスを中心とした邪教集団、千石イエスのハーレム、といったものでした。恥ずかしながら、僕もその〝ハーレム〟ということにことさら興味を持った1人でした。

イエスの方舟の人たちは、1980年7月に週刊誌『サンデー毎日』のスクープ(『「千石イエス」独占会見』)と同時に世間に姿を現すことになります。

『サンデー毎日』の協力で、熱海の製本会社の寮に千石剛賢さんとイエスの方舟メンバーはかくまわれていましたが、そこに熱海警察が捜査に入ります。しかし、犯罪性は何もなくおとがめなしとなります。その後、捜査願いが出ている女性たちは家に帰りますが、結局はイエスの方舟に戻ってくることになります。

それまで、邪教集団だハーレムだと騒いでいたことが、『サンデー毎日』の記事で全部でっち上げだったということがわかり、マスコミはイエスの方舟のことを取り上げなくなります(マスコミは人々が喜ぶスキャンダルだけが欲しいわけですから当然のことです)。それにつれて世間の人たちも僕も、イエスの方舟事件のことをだんだん忘れていきました。


それから6年ほど経って偶然書店で見つけたのが、千石剛賢氏の『父とは誰か、母とは誰か』(春秋社)という本でした。

僕はあまり本を読まないので、書店に行くこともまれなのに、たまたま入った書店で、棚差しで1冊しかなかったこの本の背表紙に目が止まったのは、いま思えば何かに導かれていたような気がするのです。

この本は、評論家の芹沢俊介さんと編集者の小関直さんが千石剛賢氏をインタビューした記事と、会員のみなさんの座談会で構成されています。僕はイエスの方舟がその後どうなったのか知りたくてこの本を買ったのですが、読んでいるうちに千石剛賢という人にどんどん引き寄せられていくのでした。

本の中で千石さんの生い立ちが語られているところがあります。生まれが兵庫県加西郡(現加西市)とあって、僕が生まれた岡山県和気郡(現備前市)と距離が近いので、妙な親近感をまず覚えました。

16、7歳のころ、仏の声を聞きたいと思った千石さんは、人間は口が臭いから仏の声が聞こえないのだと言われ、だったら物を食べなきゃいいだろうと、生駒山の断食寮院で1週間断食をします。しかし仏の声は聞こえません。1週間じゃ足りないと、今度は21日間断食するのですが、満願の日になっても仏の声はやはり聞こえません。滝に打たれたら聞こえるかもしれないと、12月のものすごく寒い夜、断食寮院を抜け出し、這うようにして1キロほど先にある不動の滝に行き、滝壺に入ったまま気絶していたところを、不動尊にお参りに来ていた人に助けられたそうです。仏の声を聞きたいと思ったら(そんなことあるはずがないとあとから気づきますが)、それを命がけでやってしまうところが可笑しかったのですが、その大真面目さがイエスの方舟のあり方に繋がっているように思いました。

千石さんが聖書に入っていくきっかけになったのは、神戸でキリスト教会の牧師と知り合ったことですが、千石さんはとにかく反抗心が強い人だったらしく、牧師に食ってかかったりして、牧師から教会に来るなと言われたりしたそうです。

驚いたのは、大阪で友達と2人で聖書を学んでいたころ、聖書に書かれていることが矛盾だらけでわからなくなってしまい、友達も「こんなものに権威なんかあるか」と言いだして、生きていても何もいいことがないから2人で死のうということになったのだそうです。

ところが自殺する勇気がない、だったら人に殺してもらおうと、鯨を料理する大きな包丁を買ってきて、お互い2本づつ体に縛りつけて、梅田の人が大勢いる場所で二人肩を組んで走り回ろうと、通行人が怪我をするし死者も出るから、曾根崎警察の警官が飛んできて射殺してくれるだろうと、まるで秋葉原通り魔事件みたいなことを真剣に考えていたそうです。

そういう千石さんの、世間からかけ離れたところに共感しながら読んだのですが、読み終わったとき、世間に逆らうとか、世間から逸脱するとか、そんなことじゃなくて、僕がいつか「こんな世の中、ぶっ壊れてしまえ」と思っていたことが、頭の中で本当に起こってしまったのでした。

つまり、千石さんが聖書に基づいて話していることは、世間の価値観なんか吹っ飛んでしまい、社会を形成している論理も解体してしまうようなことでした。

神は人間を神のごとく造ったのだから、悩んだり苦しんだりするはずはない。しかし現実は、逆風に向かって歩くように生きづらいのはなぜか。それはこの世が悪魔に牛耳られているからだ。そこから抜け出すために聖書にすがっていく。ここまでは教会で牧師が話していることと同じなのかもしれません。

僕が驚いたのは、自分がイエスになるということです。キリスト教の人が聞いたら「何をおっしゃいますか! イエス様を冒涜するにもほどがあります」となるかもしれません。

僕にも経験がありますが、日曜日に教会に礼拝に行き、イエス・キリストを崇め、牧師さんの説教を聞いただけでは、一時的に敬虔な気持ちにはなりますが、明日になればいつもの自分がいるだけです。そういうこともあってか、自分がイエスになるということに、驚くと同時に妙に納得してしまったのでした。

千石イエス、スエイイエス(回文みたい)、イエス玉川(これは冗談です)……100人のイエス、1000人のイエス、10000人のイエス、イエスが増えていけば戦争もなくなります。

聖書を自分がイエスになるためのハウツー書と捉えたら、それまでなんの役にも立たないただの神話だと思っていた聖書が、まったく違った意味を持つようになったのです。

イエスの方舟はイエスを生活している集団でした。イエスを生活していくということは、理屈から考えても、世間の価値観からどんどん遠ざかっていきます。『婦人公論』に「千石イエスよ、わが娘を返せ」という手記を書いた母親は、娘さんに「どこか私大出身の人とお見合いの練習をして、本命の東大出の人とお見合いさせてあげるから」と言うのが口癖だったそうです。娘さんが聖書を勉強してイエスを生活しようとしていけば、その家には帰れなくなるのではないでしょうか。帰ったとしても親と喧嘩になるだけだと思います。

イエスの方舟事件のとき、『週刊サンケイ』に「三億円事件犯人と千石イエスの酷似点を見つけた!」という記事が載ったことがあります。つまり千石さんが、三億円事件の犯人と間違われたわけです。僕はその記事も読んでいて、「それはないんじゃないか」と思っていたのですが、「確かに地理的にも事件に近いところにいたし、そのあたりを研ぎ物で1軒1軒廻っていたから、地理にも詳しいし、そう思われても仕方がなかった」と、千石さんはのんきに言っています。そして「あの記事は、わかりきった妄想ですけれど、人間の想像力の豊かさというような点から考えるのなら、たいへんおもしろい記事で、ようみんなで笑ってた。三億円あったらみんなを楽さしてあげるのに、ないもんはない、と笑うた」と言っています。あれだけ世間が騒いでいたというのに、余裕というかなんというか、世間がなんと言おうと意に介さないところがあります。

イエスの方舟事件があれほど騒がれたのは、千石さんもイエスの方舟のみなさんも、世間に対して無頓着で、それゆえ無防備なところがあったからではないかと僕は思っています。


僕が『父とは誰か、母とは誰か』に出会ったのは38歳のときでした。

世間から逸脱した人たちのことを、無頼とかアウトサイダーとかアングラとか言いますが、僕はそういう人たちに憧れながら、世間とアウトサイドの境界あたりをウロウロしていたのではないかと思います。

気持ちは世間に背を向け、自分に利益があると思えば世間にすり寄り、理想とするものも目的もなく、そのときそのときが面白ければそれでいいと思っていました。自分では世渡りのバランス感覚だけは抜群だと思っていて、それなりにうまくやってきたと思うのですが、ふと虚しい気持ちになることもありました。さらに恋人の自殺未遂などがあり、千石さんの本を読んだころは、気持ちが相当塞いでいたときでした。

千石さんの本を読んで、自分の中で常識がひっくり返って、以前ならそこでおしまいになり、次の面白いものを探したはずですが、僕の中で千石剛賢という人がものすごく気になる存在になってしまったのです。そして、「千石さんに会いに行かなければならない」と思うようになったのでした。

(次回に続く)

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