3.16.2018

末井昭
自殺した息子に対して加害者であるという意識を持ち続ける映画監督 原一男インタビュー

『自殺』で自身の半生を丸裸でひょうひょうと綴った末井昭さんが、自殺に関係するさまざまな人と出会い、いろんな場所を訪れながら、人間と自殺についてぐるぐる考えてゆく、そんな書籍を制作中です。今回は、23年ぶりの新作ドキュメンタリー映画『ニッポン国VS泉南石綿村』を公開中の映画監督・原一男さんとのお話を公開します。息子さんが自殺された原一男さんとの自殺の話。ぜひどうぞ。(編集部)

原一男さんは元々は写真家志望でした。一九六九年に障害児をテーマにした「ばかにすンな」という写真展を銀座ニコンサロンで開催したとき、それを観に来た小林佐智子さんと出会います。その後、小林さんの提案で映画をつくり始め、原さんの彼女だった武田美由紀さんもそれに参加します。一九七二年、最初の映画『さようならCP』が完成すると同時に、小林佐智子さんと「疾走プロダクション」を設立し、小林さんは映画と私生活両方のパートナーとなります。

『さようならCP』は、重度の障害者は町に出られなかった時代に、脳性麻痺者たちが街頭で不自由な体を積極的に人目に晒していく映画です。観ている自分が障害者をどう見ているかを問われる映画であるとともに、観終わると心が解放されている不思議な映画でした。

その二年後に公開する『極私的エロス 恋歌1974』は、二人の女性の自力出産の映画です。原さんの元恋人の武田美由紀さんが、原さんのアパートで自力出産し、それに続いて、小林佐智子さんも自力出産します。前彼女と現彼女が同じ部屋で自力出産し、それを撮るという、なんとも変わったショッキングな映画です。画面いっぱいに開かれた股間から子供の頭が出てくるところは、どんな映画よりも迫力ある感動的なシーンです。

この映画が話題になって、原一男の名が世に知られるようになります。僕はこの映画をリアルタイムで観ていないのですが、公開当時はどこの会場も満員だったそうで、四谷公会堂では大島渚監督も入場者の列に並んでいたそうです。

その後、五年かけて完成した、奥崎謙三を追ったドキュメンタリー映画『ゆきゆきて、神軍』(一九八七年)が大ヒットします。原一男の名前をこの映画で知った人も多いのではないでしょうか。

奥崎謙三さんという人は、神戸のバッテリー屋さんなのですが、天皇の戦争責任を追求する過激なアナーキストでもあります。僕はこの映画が公開される十五年前、奥崎謙三さんが書いた本『ヤマザキ天皇を撃て!』(三一書房)を読んでファンになりました。

1.31.2018

更新情報 

更新情報



★2017年1月31日 全卓樹さん「南国科学通信」第5回 流星群の夜にを更新しました!


2017年12月29日 全卓樹さん「南国科学通信」第4回 アリと自由を更新しました!

2017年12月13日 全卓樹さん「南国科学通信」第3回 アリたちの晴朗な世界を更新しました! 

2017年11月22日 全卓樹さん「南国科学通信」第2回 世界の中心にすまう闇を更新しました! 

★2017年11月22日 仲谷正史+傳田光洋+阿部公彦「触感 × 皮膚 × 文学 「触れること」をめぐる冒険」を公開しました! 

2017年11月8日 全卓樹さん「南国科学通信」第1回を更新しました! 

末井昭「聖書と生活」第1回 世間がひっくり返る 第2回 他者の中に自己を見る 

加藤陽子さん「戦争が平場に降りてきた時代を生きる」フェア

岸政彦『断片的なものの社会学』特設ページ 

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おしらせ
・安東量子+ジャック・ロシャール「渡し舟の上で――現存被曝状況から、現存被曝状況へ」 第2回
・梶谷懐「現代中国――現在と過去のあいだ」第13回

上記の2つの連載は、下記のサイトに移行しました。ひきつづき、下記のサイトにて、お楽しみください。
「路上の人」http://editionhomoviator.blogspot.jp/

-----> これまでの連載のもくじはこちらです。

南国科学通信:第5回 流星群の夜に

全卓樹
第5回 流星群の夜に


流れ星はどこから来たのだろうか。

流星に願いをたくならわしは、昔から世界中に広く行き渡っている。予告なく現れて、一瞬の光芒とともに消え去る流星は、天界からつかわされた僥倖ぎょうこうの使者のように思えるからだろう。

流れ星は天の星が落ちて来たもの、という我々の素朴な推論は、古代の学術界では否定されていた。アリストテレスの著作には、流星は大気圏内の現象であって天界とは無関係、と書き残されているのである。

しかしこの場合は、学者たちの説よりも素朴な理解のほうが、真実に近かったことになる。現代の天文学によると、流星の正体は、彗星すいせいや小惑星がその軌道上に撒き散らす、直径10cmほどの岩石や氷の欠片かけらである。これが地球の重力に捕らわれて、大気中を燃えながら落ちていくのが流星なのである。地球が惑星や小惑星の軌道上にある欠片の多い場所を通過すると、一時間に何十もの流れ星が降り注ぐ流星群となる。


しし座流星群。
1868年11月13日~14日の夜12時から5時にかけて観察されたもの。
Trouvelot, E. L.
NEW YORK PUBLIC LIBRARY
しし座流星群は1833年には北米で1時間あたり5万個、
1866年には1時間あたり6千個が観察されたという。


たいていの流星は大気中で燃え尽きてしまうが、なかには大きすぎて燃え残り、地上まで落ちてくるものがある。これが隕石だ。隕石の成分は地表のほかの物質とはっきり異なっていて、元になった彗星や小惑星の構成要素を推測する手がかりとなる。

場合によっては欠片ではなく、彗星や小惑星がほぼそのまま降って来ることもある。ごく最近でも1994年7月に、シューメイカー=レヴィ第9彗星が木星軌道に捕らえられて、木星の潮汐力で20以上に分解させられた末、次々と木星表面に飲み込まれていくのが見られた。


木星に落ちた
シューメイカー=レヴィ第9彗星の衝突痕
(衝突痕は地球とほぼおなじ大きさ)
Hubble Space Telescope Jupiter Imaging Team


木星に比べて重力の弱い地球では、このような直接の衝突はずっとまれであるが、それでも何千万年に一度くらいは起きているはずである。仮に直径数10kmの彗星がそのまま降って来ると、そのエネルギーは人間が現在保有する核兵器全部の数万倍となる。複数の強い証拠から考えて、実際に今から6600万年前、巨大流星が地球に降ってきて、巨大地震と津波そして十年近く続く噴煙による「隕石衝突の冬」を引き起こしたらしい。地上の生物の95%が死に絶えた、いわゆる「中世代=新世代境界」の大絶滅である。そしてこの特大流星のおかげで、恐竜がほぼ絶滅して哺乳類が地上の主人になった。このことを考えれば、人間が流れ星を美しいと感じてそれに願いをかけるのは、とても理にかなったことにも思えて来る。

流れ星がもたらすものは、破壊と生態系の交代にとどまらない。地上にある水の少なくとも一部は、巨大な彗星または小惑星が地球と衝突したことでもたらされた、とする説が有力である。また生命の基礎となる有機物の多くが、地上でゆっくり生成されたのではなく、彗星起源の隕石に付着して地上にもたらされたとする学説もある。それどころか原始生命そのものが宇宙起源だとする説、いわゆるパンスペルミア説も、生物学界や天文学界の一部に根強く存在するのだ。

流れ星なしでは、おそらくは読者諸氏が今、この文をこうして読んでいることもなかっただろう。一瞬の光芒とともに消え去る流星は、天界から遣わされた僥倖の使者であり、人間の生存のための要件の一つだったのである。


12.29.2017

南国科学通信第4回「アリと自由」

全卓樹
第4回 アリと自由


Pour l'anniversaire de Yumi.

アリは本来自由であった。

地をって生きるアリであるが、彼らは元々は天からやってきた。アリの祖先は大空を舞うハチなのである。大国家を打ち立てるために、アリは自らはねを切り落として地上に降り立ったのだ。

アリが翅を切り落とす、というのは比喩でなく、文字通りそうなのである。一般のアリは進化の途上で翅を失ったが、女王になるべく育てられた処女女王アリと、彼女らとつがうためだけに生まれたオスアリたちだけは、翅をもっている。新たな王国を始めるため母の巣から飛び立ったアリの新女王は、結婚飛行を終え地上に降り立つと、自らの翅を切り落とすのだ。

ちなみにオスアリはすべて、一度だけの飛行で自由を味わって自らの役目を終えると、そのまま落ちて息絶える。

翅を落としたのちの女王アリは、巣穴を掘って卵を産み、最初の世代の働きアリとなる娘たち育て上げると、あとは生涯、ただひたすら卵を産むことに専念する。女王は君臨すれども統治することはない。働きアリたちは卵を育て、自ら数を増して、社会システムを自ら組み上げ、巣穴を広げ餌場を広げ、アリの王国は領土を広げていくのである。

しかしすべての王国に順調な発展が保証されているわけではない。ある女王アリにとっての棲息適地は、当然他の女王アリにとっても適地である。発展するアリの王国の最大の敵は、同族異族のほかのアリの王国である。


第一次世界大戦時のドイツの風刺画
Berlin State Library


屈強の兵隊アリをそろえた防衛軍も、往々にしてほかのアリの王国との戦闘に敗れる。とりわけ恐ろしいのは、戦闘と支配に特化した、奴隷狩りをするサムライアリの種族である。

12.13.2017

南国科学通信 第3回 アリたちの晴朗な世界

全卓樹
第3回 アリたちの晴朗な世界

高知工科大学で理論物理学の研究をしている全卓樹さんに、自然界の様々な階層を旅する科学エッセイを連載していただきます。月に二度、十五分だけ日常を離れ、自然の世界をのぞいてみませんか?(編集部)


人間は生物界の長をもって任じている。人間は地上すべてのバイオマス(生物量)の30%あまりを占め、脊椎動物界の食物連鎖の頂点に立っているので、その自任は根拠なしとはしない。人間をのぞいては、農業を行い牧畜ぼくちくを行い、王国を共和国をそして大帝国をきずく生物などいないではないか。

しかしはたしてそれは本当だろうか。

世を広く見渡すと、じつは意外なところに、人間以外で農業を行い牧畜を行う生物が、王国を共和国をそして大帝国を築く生物がいる。

それはアリである。

アリはまずもって数が多い。個体あたりで人間の何十万分の一しかない軽さながら、バイオマスとしては人間に匹敵するほどとも言われている。つまり重さで測って地上のバイオマスの3割ほどを占めるのである。昆虫界でもこれは異例の多さである。

アリの長所はその特異な賢さである。それは集団としての賢さ、個体間の協力から生まれる「社会的な知性」であり、そのためにアリは驚くほど精緻せいちに組織された社会をもつ。個体が協力して集団で狩猟を行う動物は少なくない。しかし農業を行うほどに社会的組織を発展させた生物は、アリと、そして我々人間だけである。この社会的知性ゆえに、アリは地上のあらゆる環境に適合しさかえて、それで数が多いのである。

アリは3,000種ほどの種族が知られていて、それぞれ非常に異なった多彩な生活形態をもつ。小さな家族単位で生活する一匹オオカミ的例外を除いて、すべてのアリが、種ごとに異なった、しかしどれも高度に組織化された社会のなかで生活している。1億5000万年におよぶ長い進化の過程を経て、あらゆるタイプの社会形態の実験を行なったかのようである。個々の巣のサイズも数千匹のものから、数百万におよぶ巨大なものまで、じつに幅広い。部族規模を超えた社会組織については、6千年そこそこの歴史しかない我々人間が、アリから学ぶことも多いはずである。

11.22.2017

南国科学通信 第2回 世界の中心にすまう闇

全卓樹
第2回 世界の中心にすまう闇

高知工科大学で理論物理学の研究をしている全卓樹さんに、自然界の様々な階層を旅する科学エッセイを連載していただきます。月に二度、十五分だけ日常を離れ、自然の世界をのぞいてみませんか?(編集部)


世界の中心には巨大な暗闇がある。

高知大物理学科の飯田けい教授の講演はこのように始まった。

宇宙の中心はどこであろうか。実はこの質問には答えがない。宇宙は、より多次元の空間にめ込まれた、両端がつながった閉じた空間だからである。ちょうど地球の表面の二次元世界に生きる生物にとって、地表のどの地点が中心かという質問が無意味なように。

昼空には輝く太陽がある。コペルニクス以来よく知られている通り、この太陽が、地球や金星、火星を含む太陽系全体の中心である。では夜の星空の世界の中心はどこにあるのだろうか。目に見える星のほぼすべては我々も属している銀河、すなわち「天の川銀河」の構成員である。天の川銀河の中心こそが、さしあたって我々の目にする世界の中心だと考えてよいだろう。

初夏の深夜の天頂にかかる天の川、これは円盤状の銀河を内側から見た様子にほかならない。中天の白鳥座が身をひたすあたりからたどって、天の川が南の地平線に落ちる少し手前、真赤なさそり座のアンタレスのとなり、射手いて座でひときわ明るくなっているあたり、そこに天の川銀河の中心がある。


Elijah Hinsdale Burritt
"The Constellations (July, August, September)"
1856
wikimedia commons



銀河を外から見た想像図などでは、薄い円盤状の周辺部にくらべて、銀河の中心はひときわ明るいミカン状の形に見えるが、我々の空にはそのようなものは見当たらない。むしろ中心付近で天の川はけずり取られたように暗くなっている。その理由は暗黒星雲と言って、光をあまり通さない暗いガスが、我々の太陽系と銀河中心のあいだに横たわっているからである。我々の世界の中心である「銀河中心」は長いあいだ、人間の視野のおよばない空白の世界であった。

赤外線天文学そしてX線天文学の発展で、その状況が近年一変した。可視光より波長の長い赤外線や、ずっと波長の短いX線は、暗黒星雲を突き抜けてくるからである。

鼎談:「触れること」をめぐる冒険


触感 × 皮膚 × 文学

「触れること」をめぐる冒険


仲谷正史+傳田光洋+阿部公彦


文学にも「感触」を感じる? 皮膚感覚がパーソナリティと結びつく? 文学の触覚から、触覚の文学へ。『触楽入門』の刊行を記念して開催したトークイベント(2016年3月15日、青山ブックセンター本店)をもとに、『早稲田文学』2016年夏号に掲載された鼎談を、同誌のご厚意で公開いたします。(編集部)

仲谷   『触楽入門』の著者の仲谷と申します。僕は触覚の神経科学の研究をしていまして、触ることに新しい価値を与えられないか、触る文化みたいなものが作れないかと考えて、二〇〇七年に「テクタイル」という活動を立ち上げました。新しい触覚の技術をみなさんにお見せする展示会や、触ることに親しむワークショップを行っています。

僕が資生堂に勤めていたとき、だいたい二年強、傳田でんだ光洋さんとお仕事をする機会を得ました。傳田さんは二五年以上、皮膚の研究をされていて、この数年は皮膚感覚についても新しい仮説を提唱されています。それだけでなく、文学にもアートにも造詣が深い方です。

阿部公彦さんとはじめてお会いしたのは、阿部公彦さんがメンバーとなっている「飯田橋文学会」のイベントで、谷川俊太郎さんがゲストでいらっしゃったときでした。そのあと、上梓じょうしした『触楽入門』をお送りしましたところ、ツイッターで感想を書いてくださって感激しました。阿部さんは傳田さんの『皮膚感覚と人間のこころ』についても、紀伊國屋の書評サイト「書評空間」にてお書きになられていて、でしたら大胆にもこのお二人をお呼びしてお話ししたら面白いのではないかと思いまして、この会を開催する運びとなりました。

好評発売中
テクタイル著 『触楽入門』
3刷で帯を新しくしました!

11.08.2017

南国科学通信 第1回

全卓樹
第1回

高知工科大学で理論物理学の研究をしている全卓樹さんに、自然界の様々な階層を旅する科学エッセイを連載していただきます。月に二度、十五分だけ日常を離れ、自然の世界をのぞいてみませんか?(編集部)


海辺にたたずんで、寄せては返す波の響きをきいていると、「永遠」という言葉が心に浮かぶ。


"Cabin of the Customs Watch" by Claude Monet, 1882. (Metropolitan Museum of Art)


死と静止はおそらくは永遠の安らぎではない。死してのちも万物が色せ崩れゆき、世界が無慈悲に年老いていくことを、熱力学の第二法則は命ずるのだ。永遠の喩えとされるダイヤモンドの輝きも、決して永遠ではない。ダイヤモンドは、30億年前に高温高圧のマグマの中で作られて以来、再び作り出されることはなく、何十億年ののちすべて灰として散っていくことだろう。

むしろ絶えず巡りきて繰り返すもの、周回し回帰するものの中にこそ、永遠はあるのではないか。満ち潮引き潮の繰り返し、太古から変わることなく同じリズムを刻む昼と夜の交代や月の満ち欠け、そのような永劫えいごうに回帰する運動の中にこそ、永遠が見出されるはずである。

7.28.2017

加藤陽子さんブックフェア

「過去を正確に描くことで未来をつくるお手伝いができる。それが歴史学の強みです」歴史学者の加藤陽子さんが、いま、読んでほしい本、20冊を選びました。「戦争が平場に降りてきた時代を生きる」選書フェアを開催いただいている書店さんでは、各書籍への加藤陽子さんのコメントの入った小冊子も配布しています。末尾に掲載しているフェア開催書店さんで、ぜひお手に取ってみてください。(編集部)

「寓話は、今この瞬間に起こっている戦争には無力であるが、永遠に起こりつづけるかも知れない戦争というものに呼びかける力はある」とは、敬愛する劇作家・野田秀樹の言葉です。

冒頭の「寓話」の二文字には、「歴史」あるいは「学問」など代入可能でしょう。

約140億年前にできたこの宇宙の中に、約46億年前に生まれたこの地球の上で、約20万年前に誕生した我らが祖先、その伝来の知恵を総動員し、地球が廃墟と化すのを押しとどめる時期に今や我らは到達したのではないかと思います。

後から振り返り、正真正銘の「危機の時代」だったと総括される時代が、素知らぬ顔をして脇腹を通り過ぎてゆく時の感覚、その感覚を体感できる本を選んでみました。
――加藤陽子 


10.11.2016

断片的なものの社会学|韓国語版刊行!



『断片的なものの社会学』
韓国語版刊行!





2016年10月5日、『断片的なものの社会学』の韓国語版が刊行されました。韓国語版の版元は、wisdomhouseさんです。写真だとわかりづらいのですが、韓国語版のほうは、手漉きの紙のような手触りのある紙がカバーに使われていて、高級感があります。


カバーをめくると、青い表紙が見えます。そして見返しが茶色。おしゃれです。


■ノ・ミョンウ氏の推薦文

カバーの裏に、韓国の著名な社会学者、ノ・ミョンウ氏(亞洲大学教授)が、推薦文を寄せてくださっています。以下に、日本語訳を紹介します。



この社会学者の岸政彦さんは、
世の中で、世界で起こっているすべてのことを審判官の観点から判定する、「私たちが知っていた社会学者」の姿とは、あまりにも違う。

彼は他人の人生を腕を組んで見物する観察者ではない。
悲しい声、悲壮な声、抗議する声、皮肉の声ではなく、人間は他にどのような声を出すことができるのか? 
人間が出せる声のすべてが込められているようなこの作品は、人生劇場とあまりにも似ている。

社会学が人々の人生を記述するには、その社会学者が駆使する言語は、人生の特性に合っていなければならない。
もし、人生が断片的にできているモザイクであれば、その断片を記述する言語ももちろん、断片のモザイクでなければならない。

だから、岸政彦さんは繊細に人生の断片を組み合わせてこの本を執筆したのだと思うし、私はこの本を読みながら、彼と心の中で友人になった。
――ノ・ミョンウ氏(亞洲大学教授)

※ノ・ミョンウ氏のプロフィールは、こちらをご参照ください(韓国語)。


■韓国語版への序文

本の冒頭には、岸政彦さんによる、韓国語版のための序文が収録されています。以下に、日本語の原文を転載いたします。





このたび、私のこの小さな本が韓国語に翻訳されると聞き、たいへんうれしく思っています。まだ行ったことのない国(こんなに近いのに!)の、まだ会ったことのない人々に読んでいただけると思うと、ほんとうに幸せです。

私は子どものころ、「伝言ゲーム」という遊びが大好きでした。小学校の遠足などでよくやる遊びです。韓国にも同じ遊びがあると聞きました。

みんなが一列につながり、最初のひとが考えた、すこし長めの文章を、他のひとたちに聞こえないように、二人めのひとにそっと耳打ちします。二人めのひとは、同じように他のひとに聞こえないように小さな声で、三人めのひとに囁きます。

伝言が最後まで届いたときに、最初のひとが考えた最初の文章が発表されます。次に、最後のひとが、自分が聞いたと思っている文章を発表します。人数が多いほど、文が長いほど、最初の文章と最後の文章は、信じられないぐらい違っています。それがいつも、あまりにも違った文章なので、思わず笑ってしまうのです。そんなゲームです。

日本や韓国だけでなく、世界中に同じような遊びがあります。どうしてこんな単純なゲームが、これほど世界に広がって愛されているのでしょうか。

このゲームから私たちが得られる教訓は、ふたつあります。まず、話が伝わっていくと、かならずそれは変化してしまって、もとの姿をとどめなくなっているということ。これは、私たちが何かを伝えることが、いかに難しいかということをあらわしています。

もうひとつの教訓は、意味を伝達するときにノイズが混じったり、意味自体が変化してしまったりすることは、悪いことばかりじゃなくて、みんなが大笑いするような、面白いことでもある、ということです。


私たちが生きるこの社会では、意味が間違って伝わったり、そこにおかしなものが紛れ込んだりすることは、とても悪いことだと言われます。たしかに、日本で大きな地震や津波、あるいは原発事故が起きたときは、インターネットでとても悪質なデマが広がりました。

しかしまた同時に、定まった、決まった意味しか伝えることのできない世界は、生きていてとても息苦しいものだと思います。


私のこの本は、はっきりしたテーマや内容があるわけではありません。文字通り断片的なエピソードをつなげて並べ、そこから「生きるということはどういうことか」ということを考えた本です。そういう、あやふやで曖昧な本ですから、これが日本で出版されてからずっと、読者によってほんとうに様々な読み方をされてきました。書いた私でさえ驚くような感想をもらうことも、少なくありません。

この本がはじめて国境を越え、異なる言語に翻訳されることになり、私が楽しみにしていることは、それがうまく伝わるということよりもむしろ、それが私でさえ思ってもみなかったような読まれ方をするということです。翻訳する、ということは、ただ単に、意味をそのまま伝えるということではなく、そこに意味を新しく付け加えるということだと思います。


どうか、この小さな本にたくさん書かれたささやかなエピソードに、あなた自身のものを付け加えてください。そしてそれがいつか、私のもとまで届きますように。

――2016年8月  岸 政彦





韓国語版が刊行されること、とてもうれしいです。とても美しい本に仕上げていただきました。ますます、たくさんの方に届くことを祈っています。(編集部)

2.19.2016

聖書

末井昭
第2回 他者の中に自己を見る

気持ちが沈んでいる時期に訪ねて来た、現実から数センチ浮いているような少女Y。彼女と一緒にいたいがために作った少女雑誌が全く売れず、さらに落ち込む末井さん。そして千石剛賢さんの聖書の話が頭から離れなくなる――。他者に尽くせるときというのは、自分の心に余裕があり、相手も自分に好感を持ってくれているときです。「自分がどういう状態であっても、相手がどんな状態でも、相手のことを思うことはできるのでしょうか」(編集部)。

1987年~1988年は僕にとって最悪の2年間でした。千石剛賢さんの本『父とは誰か、母とは誰か』を読んで、千石さんに会いに行こうと思ったのは、その最悪期に入りかけたころでした。

1981年に創刊した『写真時代』は、創刊号から完売で順調に部数を伸ばしていき、問題は何もなかったのですが、私生活に問題がありました。妻に内緒でコソコソと付き合っていた人が統合失調症(当時は分裂病と言っていました)になり、精神病院に入院しました。そして退院したあとマンションの8階から飛び降り、奇跡的に助かりましたが杖なしでは歩けない体になっていました。自分のせいでそうなったのかと思い、気持ちが落ち込みました。

それに加えて、毎月雑誌を面白くしないといけないというプレッシャーがありました。『写真時代』は僕を入れて7人で編集していましたが、面白いか面白くないかの判断はすべて僕がやっていて、みんなで会議をしても面白いと思うアイデアがなかなか出でこないので、結局自分で考えることになります。そうやって面白い企画を捻り出しても、1ヵ月で消費されてしまうことの虚しさもありました。
それに、「もうすぐ三重苦だ」と言って笑っていましたが(39歳になるということですが、本当に三重苦みたいになるとは思ってもみませんでした)、年を取っていくことの寂しさも加わり、気持ちが沈みがちな日々が続いていました。

そんなとき、僕に会いたいという女の子が会社にやって来ました。僕へのプレゼントだと言って、自分の好きな曲を録音した3枚のカセットテープを持ってきていました。浮浪者がする小便のにおいが充満している高田馬場駅の汚いガード下(いまは手塚プロのおかげできれいになりましたが)を通って来たらしく、「わたし、高田馬場に住めない……」と困ったような顔で言いました。そのあと喫茶店で3時間ほど、とぎれとぎれのまとまらない会話をしたのですが、僕にとって久し振りの心がなごむ時間でした。

12.29.2015

聖書


末井昭
第1回 世間がひっくり返る

『自殺』の末井昭さん新連載。「みんな、何を指針にして生きているんだろう?」。聖書に出会って、ものの見方がひっくり返ったという末井昭さん。信仰を持っているわけではない末井さんは、聖書を「実用書」として読んでいると言います。聖書に書かれているように生活したいと思うが、できない自分。日常と聖書との往復で見えてくるものとは。初回はイエスの方舟事件と、「こんな世の中、ぶっ壊れてしまえ」と思っていたことが、頭の中で本当に起こってしまったこと。聖書を生涯読まないかもしれない、信仰をもたない方々へ贈ります。

僕は世間話というものが苦手です。たとえば、イスラム国の話から東京もテロの対象になるのかという話になり、国際情勢の話が続くのかなと思っていたら、僕の一番苦手な自分たちの子供の話になり、しまいには飼っている猫の話になったり、話題はコロコロと変わっていきます。

僕は宴会などのとき、世間話にうまく入っていけなかったので、黙っていることが多く、無口だと思われていたと思いますが、心の中では「お前らバカか。クソ面白くもない話を延々しやがって」と罵声を浴びせながら、その宴会を呪っていました。無口でも、自意識だけは人一倍強かったのです。

先日ある宴会で、〝少年A〟が書いた本『絶歌』が面白かったと言ったら、とたんに場がシーンとなり、誰かが「人を殺しておいて本出すってのはねぇ……」と言ったあと、その話は途切れてしまいました。僕は『絶歌』を読んだばかりだったので、〝少年A〟とこの本について人に話したかったのですが、ここでは話さないほうがいいと思ってやめました。世間話では、世間の常識から外れたことを言うと拒否反応が出ます。当たり障りのないことしか言ってはいけないのです。

7.27.2015

『きみの町で』(重松清さん著)ミロコマチコさん原画展全国巡回地図


『きみの町で』(重松清さん著)
ミロコマチコさん原画展 
全国巡回地図

きみの町で

あの町と、この町、あの時と、いまは、つながっている。


全国の町で、移動展示をつづけている『きみの町で』展が、青山・表参道の山陽堂書店さんで、2015年7月27日から開催します。
http://sanyodo-shoten.co.jp/gallery/schedule.html

★山陽堂書店さんで、ミロコマチコさんサイン会があります。
7月28日(火)19時~20時
ミロコさんとゆっくりお話できる機会です。ぜひ遊びに来て下さい。

これまでの全国巡回地図を、営業部の(橋)が作りました。
開催くださった書店さんに感謝しています。
山陽堂書店さんに地図を貼っていますので、ぜひご覧ください。



※クリックで拡大



★全国巡回振り返り
(※リンク先でそれぞれの原画展の詳細が見られます)

パルコブックセンター吉祥寺店
2013年11月

リブロ福岡天神店
2014年2月3日~3月4日

学芸大学SUNNY BOY BOOKS
2014年3月
◆2014年3月16日/ライブペインティング

オリオン書房ノルテ店(立川)
2014年4月

くまざわ書店相模大野店(神奈川)
2014年6月

FOLK old bookstore(大阪)
2014年7月
◆2014年7月26日/サイン会

ジュンク堂書店難波店
2014年9月17日~10月13日

イハラ・ハートショップ(和歌山)
2014年11月1日~30日

カネイリミュージアムショップ6・あゆみブックス仙台一番町店
2015年2月7日~22日

日田シネマテーク・リベルテ(大分)
2015年3月14日~29日

ソリッド&リキッド リーディングスタイル町田
2015年4月

正文館書店知立八ッ田店(愛知)
2015年7月4日~20日

山陽堂書店(青山・表参道)
2015年7月27日~8月8日

5.28.2015

断片的なものの社会学●朝日出版社特設ページ


岸政彦『断片的なものの社会学』特設ページ



紀伊國屋じんぶん大賞2016、第1位!
祝・韓国語版刊行!

1.30.2015

『自殺』トークイベントのご案内|あゆみブックス仙台一番町店

トークイベントのご案内
2015年2日21日(土)
あゆみブックス仙台一番町店にて開催 ☆終了しました

笑って脱力して、きっと死ぬのが
バカらしくなります。

末井昭さんと「自殺」の話 ~仙台篇~
ゲスト:岩崎航さん

 

母親のダイナマイト心中から約60年。愛人の自殺未遂、3億の借金、自身のがん――衝撃の半生と自殺者への想いを、ひょうひょうと丸裸で綴った『自殺』が反響を呼び、講談社エッセイ賞を受賞した末井昭さん。

『自殺』は、2011年の東日本大震災に後押しされるように、書き始めた本でした。

「こんなやつでも生きていけるんだ、と笑ってもらえれば」と面白い自殺の本を目指した末井さんですが、執筆中に読んで励まされたと言う本が、岩崎航さんの『点滴ポール』(写真・齋藤陽道さん、ナナロク社)です。

絶望の中の希望を見つけ出すこと。ネガティブなことをポジティブに変えてゆく力って、どうすれば湧いてくるのでしょう。

「「今」が自分にとって一番の時だ」と綴る岩崎さんを特別ゲストとして迎え、末井さんが、肩の力を抜いて、楽しく真面目に「自殺」について語ります。

日時:2015年2日21日(土)15時~(14時半開場)
会場:あゆみブックス仙台一番町店
参加費:1000円(税込)1ドリンク、オリジナル特典付き
定員:25名
ご予約・お問合せ:あゆみブックス仙台一番町店カウンター
電話 022-211-6961


末井昭(すえい・あきら)
1948年、岡山県生まれ。工員、キャバレーの看板描き、イラストレーターなどを経て、セルフ出版(現・白夜書房)の設立に参加。『ウィークエンドスーパー』、『写真時代』、『パチンコ必勝ガイド』などの雑誌を創刊。2012年に白夜書房を退社、現在はフリーで編集、執筆活動を行う。平成歌謡バンド・ペーソスのテナー・サックスを担当。主な著書に『素敵なダイナマイトスキャンダル』(北宋社→角川文庫→ちくま文庫→復刊ドットコム)、『絶対毎日スエイ日記』(アートン)、『純粋力』(ビジネス社)、『自殺』(朝日出版社)などがある。2014年、『自殺』で第30回講談社エッセイ賞受賞。


岩崎航(いわさき・わたる)
1976年、仙台市生まれ。詩人。本名は岩崎稔。3歳の頃に進行性筋ジストロフィーを発症。17歳のとき、自分の未来に絶望して死のうとまで考えたが、「病をふくめてのありのままの姿」で自分の人生を生きようと思いを定める。現在は胃ろうからの経管栄養と人工呼吸器を使用し、仙台市内の自宅で暮らしている。20代半ばから詩の創作を始め、2006年に『五行歌集 青の航』を自主制作。
2013年、『点滴ポール 生き抜くという旗印』(ナナロク社)を刊行。谷川俊太郎氏、糸井重里氏ほか、多くの賞賛を受ける。
航の SKY NOTE http://skynote21.jugem.jp/



絵:南伸坊