8.22.2019

更新情報

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★「南国科学通信」の連載は終了しました。改題・加筆のうえ、2020年1月に小社より本として刊行する予定です。どうぞよろしくお願いいたします。――編集部
第15回 トロッコ問題の射程 | 「南国科学通信」第1回


★2018年6月16日 人類の夜明けをめぐる本棚会議 本棚会議vol.2『先史学者プラトン』刊行記念 前編 後編 
本棚案内 山本貴光+吉川浩満 井手ゆみこ(ジュンク堂書店人文書担当)


2017年11月22日 仲谷正史+傳田光洋+阿部公彦「触感 × 皮膚 × 文学 「触れること」をめぐる冒険」を公開しました! 

-----> これまでの連載のもくじはこちらです。

7.26.2019

第15回|トロッコ問題の射程|南国科学通信|

全卓樹
第15回 トロッコ問題の射程


吉良貴之きらたかゆき氏が語り始めた。

「トロッコ問題」について聞き及んだ人はどれくらいいるだろうか

新装なった高知市図書館「オーテピア」、最上階プラネタリウム横会場での、寒風にんだ師走しわすひと日の夕刻であった。「高知サイエンスカフェ」の講師は、東京の若き法哲学者である。

炭鉱の採掘現場でブレーキが壊れて暴走するトロッコが、線路の先の5人の鉱夫に向かっている。切り替え路線の向こうでは別な1人が線路上で作業中である。たまたま路線切替機の隣にいたあなたは、そのまま5人がかれ死ぬのを見過ごすか、レバーを引き路線を切替えて、本来無関係な1人の死を引き起こすかの選択を迫られている。あなたはどうするのか?


CC BY-SA 4.0 image created by McGeddon

6.16.2018

本棚会議vol.2『先史学者プラトン』刊行記念|後半


人類の夜明けをめぐる本棚会議

本棚会議vol.2『先史学者プラトン』刊行記念

<後編>

本棚案内 山本貴光+吉川浩満 井手ゆみこ(ジュンク堂書店人文書担当)


←前編を読む

●UFO・宇宙人・超古代史棚


吉川:……まあ、アトランティスときたら、UFO、宇宙人、超古代文明ということで、けっこう親しみの……みなさんに親しみがあるかどうかはわかりませんが、このアトランティスには親しみのあるテーマです。

山本:ムー大陸とか、オーパーツとか。実際、プラトンの『ティマイオス』でもアトランティスの描写をするなかで、ファンタジーの世界でよく活躍する、「ミスリル」という謎の金属が出てくるんだよね。そういう話もつながる。

吉川:ミスリルなんて、こないだまで、私、別に好きでやってたわけじゃないんですが、ライトノベルの校正の仕事をしてたんですけど、めっちゃ出てくる。

山本:あはは。

吉川:魔法みたいな金属で、もうなんでもできちゃう。
あと、これね、みなさん、ご記憶にないかもしれないですけれど、『神々の沈黙』(紀伊國屋書店)って覚えてないですか。3千年前まで人間には意識がなかったっていう話ですね。じゃあどうしてたのかっていうと、神からの声を直に聞いてたんですよ。だから、いまの、現代のわれわれみたいな自己意識、俺はとか私はとか、そういうのが一切なかったっていう。……まあ、なんていったらいいですかね……トンデモ、というのかわからないけれども、でも、すごく興味深い。案外、そうかもなと思わせないこともない。
『神々の沈黙』

山本:心がなかった時代っていうのはね。

吉川:だって、われわれだって、ほとんどの時間、心なんてないわけですから。

山本:ちょっと問題発言(笑)。でも、確かにそうだ。

吉川:あと、まあ、果たしてその方向に進んでいいのかっていう問題はあるけれども、『先史学者プラトン』を読んで本当にアトランティスに興味を持った人は、どのへんを読めば……。

山本『失われた世界の超古代文明FILE』

吉川:ああ、このへんですかね。

山本:ムーだね、これはね。

吉川:そっちにいっていいのかっていう問題はありますけれども、まあ、あります。興味がある方は、あとでこっそり手にとって……。

山本:こういうのも歴史と背中合わせで必ず出てくる。証拠があるような、ないようなときに、「こういう可能性もあるじゃん」という話が出てくるわけですね。

吉川:こういう、ある種の陰謀論みたいなものは、切っても切り離せないものですね。なにか物事を探究するときには絶対に出てくる。

山本:出てくるし、いちおう、その話に対してどういう態度をとるのかは考えておきたい。常に出てくるだけに、完全にスルーってわけにもいかないから。

吉川:うん。


●魔術・錬金術・占星術棚


吉川:錬金術とか神秘思想、占星術にご興味ある人、どれくらいいるかわからないですけれど、ちょっとね、『先史学者プラトン』から離れますけど、魔術の話、ちょっとしていい?

山本:いいよいいよ(笑)。

吉川:私、魔術にまったく疎くて、なんにも知らないんですけど、でも、言いたいことがひとつあって。つまり思い入れがあって、個人的に。

山本:うかがいましょう。

吉川:私が最初に勤めた会社は国書刊行会という出版社で、この本を売ってたんですよ。『法の書』っていう、20世紀最大の魔術師といわれるアレイスター・クロウリーの本。……まあ、そもそも魔術師ってなんなんだって話ですけど。オジー・オズボーンが歌ってたりして、すごく有名な人ですよ。「ミスター・クロウリー」なんて曲もあってですね。
『法の書』

井手:あ、『法の書』は、いまでもすごくよく売れます。

山本:最近もね、『麻薬常用者の日記』が新装版で出てました。

吉川:でね、これ、袋とじになってるんですよ。本文が全部袋とじになってる。


全員:ええ…!?

吉川:本文まるごと(笑)。でね、「本書は非常に強力な魔術的パワーを秘めています」と。「開封後、9ヵ月後にいかなる災害、大戦争、天変地異が生じても、小社は一切の責を負いかねます」って書いてあるんですよ。

『法の書』を開く吉川さん

全員:ふふふ……。

吉川:でもね、これ、売り本じゃないですか。で、国書刊行会で働いていると、どんどん返ってくるわけですよ。返品で。見たら、ぜんぶ袋が破ってあるんですよ。当たり前ですけど。っていうことは、ほぼ毎日、破られてるわけじゃないですか。だからそれを見て、ああ、毎日何かが起こってもおかしくないなと思って。実際、ニュースを見ると、毎日どこかで必ず悲劇が起こっていて、クロウリーは正しかったな、と(笑)。

山本:うん(笑)。

吉川:もうひとつね。私が会社に入ったときに、この『黄金の夜明け魔法体系』っていうシリーズを会社がやってたの。黄金の夜明け団っていう有名な魔法の団体があって。ゴールデン・ドーン、略してGD。そこでね、編集部に、のちに私の妻となる、先輩の編集者がいてですね。

山本:お、なんかいい話の流れに。

吉川:なにやってるんですかって見たら、この『黄金の夜明け魔法体系6性魔術の世界』の編集を、額に汗してやっていて。性魔術って、わかります? セックスマジック。おそろしいですよね。この第6巻はいまたぶん品切れだと思うんですけど。いやぁ、とんでもない本を出してる会社に入っちゃったもんだなぁ、と。……以上です。

全員:(笑)。

本棚会議vol.2『先史学者プラトン』刊行記念|前半


人類の夜明けをめぐる本棚会議

本棚会議vol.2『先史学者プラトン』刊行記念

<前編>

本棚案内 山本貴光+吉川浩満 井手ゆみこ(ジュンク堂書店人文書担当)


5月25日にジュンク堂書店池袋本店さんで行われた「本棚会議」の様子をお届けします。本棚会議とは、ジュンク堂書店池袋本店4Fの人文書フロアで開催しているイベントで、本棚のあいだで話を聞き、時には棚をまわってたくさんの本を眺めながら、著者の方とそぞろ歩く会です。今回は第2回の本棚会議とのこと、『先史学者プラトン』を翻訳された山本貴光さん・吉川浩満さんと、ジュンク堂書店池袋本店・人文書ご担当の井手ゆみこさんが、本棚をご案内してくださいました。冒頭、井手さんが『先史学者プラトン』のことを、ちょっと謎につつまれた本だとおっしゃいますが、さて、どんな本棚めぐりになるのか。ぜひどうぞ。(編集部)

井手:「本棚会議」は、いつも、当店の喫茶でやっているトークイベントとは違って、もうちょっと先生たちと近い距離で、しかも棚を見ながら、気軽にお話を聞けるというイベントです。今回は、実際に棚をまわりながらお話いただけるということで、一般のお客様もいらっしゃるので、ゆずりあって見ていただけたらと思います。

吉川:営業時間内なので、本もご購入可能ですので。たくさん本を買いたい人はかごをお持ちになると、楽かもしれないですね。
まず、『先史学者プラトン』のことをちょっとご説明すると、プラトンという古代ギリシアの哲学者の著作を実際の考古学のいろんな案件と付き合わせていったらどんなことが見えてくるのか、っていう感じの本です。若干……なんていうか、ちょっとやばいところにも踏み込んだ、面白い本です。

『先史学者プラトン』について語る


山本:うん、ポイントとしては、プラトンの時代から見て、数千年前の歴史の話をプラトンが描いているということがある。それはアトランティスという帝国が出てくるお話なんですが、そのプラトンの対話篇自体が、与太話なのか、ほんとに歴史を書いてあるのか。そうした解釈もいろいろあるわけです。この著者のメアリー・セットガストさんは、いったん、プラトンは歴史を書いてるという立場に立って検証してみましょうと提案しているのですね。で、そのときの材料は、先史時代なので、文字資料じゃなくて、考古学による物的資料なんです。それをいっぱい付き合わせて、さあ、プラトンが書いたことは物語なのか事実なのか、それを検証しようっていう内容です。

吉川:そもそも、副題の紀元前1万年―5千年っていうのが、まず、インパクトありますよね。

山本:うん。

吉川:もちろん、紀元前1万年っていう時代があったであろうことは、われわれも薄々知ってはいるんですけれども、でも、まあ、その時代にどんな文化があったのかっていうのは、じつのところわれわれはよく知らなかったりする。なんとなくの常識だと、紀元前4千年とか、だいたい四大文明(メソポタミア文明・エジプト文明・インダス文明・黄河文明)と呼ばれるようなものが出てきたあたりから人間は人間っぽくなったみたいなイメージあると思うんですけど、じつはぜんぜん違っているという。

山本:そうね。もうひとつつけ加えるなら、先史とは歴史以前ですね。で、なにが有史で、なにが先史かという区別は、先ほども少し述べたように文字が使われていたかどうかです。これも、いろんな意見や説があるものの、一応、いまのところ、最初期の文字は、紀元前3千年ぐらいの古代メソポタミアの楔形文字ということになります。
さっき吉川くんがいった、副題の1万年から5千年とは、それより前の話です。ただし、その時代にも、なんだか文字っぽいものはあったという見解もあります。そこは今後揺れ動くかもしれません。今日のところは、とりあえず紀元前3千年ぐらいで先史と有史が区切れると仮に置いておきましょう。

吉川:あともう一個、また雑談。哲学にご興味ある方にも、プラトンっていうのはちょっと特別な哲学者です。さっき、文字以前・以降っていうのは先史時代と歴史時代を分けるメルクマールだっていう話がありましたけれど、哲学においてはプラトンが、まあ、思考における文字以前と文字以降のメルクマールといえるわけで。プラトンの師匠のソクラテスは、有名なことですけれども、文字を書き残さなかった。

山本:自分では作品を残さずに、弟子のプラトンがぜんぶ、「先生はこう言いました」というかたちで、対話篇で書き残しているんですね。といっても、その対話自体、ソクラテス先生が文字通りそう述べたのか、プラトンの創作なのかは分からないわけですけれど。

吉川:そういう意味ではけっこう、複数のレイヤーというか視点から、文字の以前と以降っていうのを、見られるかもしれない。

山本:そうだね。

井手:棚をまわるまえに、もうちょっとだけいいですか。ちょっと気になっていたんですけど、『先史学者プラトン』の原著というか、この本自体がどういう位置にあるのか、あとは、これを出すことになったきっかけなどを教えていただければ。ちょっと謎につつまれた本なので。

山本:そうですね。今回、訳者あとがきを入れてないので、けっこうお叱りをいただいていることもあるので、ここで弁明してから進みましょうか。
著者のメアリー・セットガストさんという方は、ご自身で、なんと自称してたっけ。

吉川:インディペンデント・スカラーだね。

山本:うん、独立研究者という肩書で、つまりアカデミアなどに所属しないかたちで研究をして、ものを書いて発表するっていう方です。著作としては、今回私たちが訳した『先史学者プラトン』と、それから『ザラスシュトラが語った時代』(When Zarathustra Spoke)という、続編みたいなものがもう一冊。さらに、マルセル・デュシャンがモナリザにひげを書いた、いたずらみたいな絵があるんですけど、その絵を書名に冠したモダンアートの話をした本(Mona Lisa's Moustache: Making Sense of a Dissolving World)がもう一冊あります。著作としては、その3冊です。翻訳はこれが初めてですね。

吉川:いいとこ突いてるっていうか、どれもおもしろそう。ザラスシュトラについての本は、ニーチェの有名な『ツァラトストラかく語りき』と対比させたうえで、『ザラスシュトラが語った時代』と、ちょっとずらしたタイトルにしてある。

山本:つまり、ザラスシュトラがいつごろの人かということを、同じように考古学的に追い詰める。この本の最後のほうも、実はそういう議論をしている。
で、『先史学者プラトン』については、私が調べた狭い範囲だけれど、専門家からも好意的な書評が複数出ていました。まあ、その……そんなに変な本ではない(笑)。
ただし、プラトンが書いた古代の戦争の話が、彼女が同書で仮説として言っているようなマドレーヌ文化(後期旧石器時代末、西ヨーロッパに広がった文化。ラスコーほか多くの洞窟芸術が作られた)の時代に起きた戦争のことなのか否かは確認のしようがない。今日の最後にもうひとつのテーマとしてその話になると思いますが、ある意味、知の限界を探るこころみでもある。
それについてせっかくなので一冊だけご紹介しますと、マーカス・デュ・ソートイという数学者が『知の果てへの旅』という本を書いておりまして、この翻訳が、新潮クレスト・ブックスから出たばかりです。
『知の果てへの旅』

吉川:この階にはないですかね。あとで探してみてください。文学の棚にあるので。

山本:『知の果てへの旅』は、自然科学における知の果ての話をしています。たとえば、サイコロをふったとき、これは偶然の出来事なので、人間にはどの目が出るか、完全に当てることはできない。どうしてそうなのか、なぜこんな簡単なことを人間が予測できないのか。この疑問に対して物理、量子論、確率統計、複雑系の理論など、いろんな角度から自然科学における知の限界をたどる。そういう旅に連れていってくれるのが、ソートイさんの本。
で、セットガストさんのこの本は、いうなれば人間の歴史についてやっている。過去、人間はいろんなことをやってきたけれど、どこまでその実像に迫れるか。過去の出来事という、知の果てに迫ろうという、そういう旅です。この2冊を並べると、またさらに面白いんじゃないかなと思います。

吉川:この本は翻訳が今年出たので、新しい本だとお考えの方もいらっしゃるかもしれなくて、そうだとしたら申し訳ないんですけど、原著の刊行は1987年です。底本にしたのは1990年の版ですけど。なので、まあ、けっこう古いっちゃあ、古い。だからそのあいだに、考古学上のいろんな発見もあったかもしれない。そこはまた、個別にキャッチアップする必要があるかな。

井手:じゃあ、さっそく棚をまわりましょう。

山本:今日は、ざっくばらんに行きましょう。もし、途中でなにかあったら、いつでもおっしゃってください。

吉川:もし購入をご検討されている本とかあったら、尋ねていただければ。「あり」とか「ありとは言えない」、とか「やれたかも委員会」みたいにお答えしますので(笑)。

11.22.2017

鼎談:「触れること」をめぐる冒険


触感 × 皮膚 × 文学

「触れること」をめぐる冒険


仲谷正史+傳田光洋+阿部公彦


文学にも「感触」を感じる? 皮膚感覚がパーソナリティと結びつく? 文学の触覚から、触覚の文学へ。『触楽入門』の刊行を記念して開催したトークイベント(2016年3月15日、青山ブックセンター本店)をもとに、『早稲田文学』2016年夏号に掲載された鼎談を、同誌のご厚意で公開いたします。(編集部)

仲谷   『触楽入門』の著者の仲谷と申します。僕は触覚の神経科学の研究をしていまして、触ることに新しい価値を与えられないか、触る文化みたいなものが作れないかと考えて、二〇〇七年に「テクタイル」という活動を立ち上げました。新しい触覚の技術をみなさんにお見せする展示会や、触ることに親しむワークショップを行っています。

僕が資生堂に勤めていたとき、だいたい二年強、傳田でんだ光洋さんとお仕事をする機会を得ました。傳田さんは二五年以上、皮膚の研究をされていて、この数年は皮膚感覚についても新しい仮説を提唱されています。それだけでなく、文学にもアートにも造詣が深い方です。

阿部公彦さんとはじめてお会いしたのは、阿部公彦さんがメンバーとなっている「飯田橋文学会」のイベントで、谷川俊太郎さんがゲストでいらっしゃったときでした。そのあと、上梓じょうしした『触楽入門』をお送りしましたところ、ツイッターで感想を書いてくださって感激しました。阿部さんは傳田さんの『皮膚感覚と人間のこころ』についても、紀伊國屋の書評サイト「書評空間」にてお書きになられていて、でしたら大胆にもこのお二人をお呼びしてお話ししたら面白いのではないかと思いまして、この会を開催する運びとなりました。

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テクタイル著 『触楽入門』
3刷で帯を新しくしました!

11.08.2017

南国科学通信 第1回

全卓樹
第1回

高知工科大学で理論物理学の研究をしている全卓樹さんに、自然界の様々な階層を旅する科学エッセイを連載していただきます。月に二度、十五分だけ日常を離れ、自然の世界をのぞいてみませんか?

★本連載は終了しました。改題・加筆のうえ、2020年1月に小社より本として刊行する予定です。どうぞよろしくお願いいたします。――編集部
 

海辺にたたずんで、寄せては返す波の響きをきいていると、「永遠」という言葉が心に浮かぶ。


"Cabin of the Customs Watch" by Claude Monet, 1882. (Metropolitan Museum of Art)


死と静止はおそらくは永遠の安らぎではない。死してのちも万物が色せ崩れゆき、世界が無慈悲に年老いていくことを、熱力学の第二法則は命ずるのだ。永遠の喩えとされるダイヤモンドの輝きも、決して永遠ではない。ダイヤモンドは、30億年前に高温高圧のマグマの中で作られて以来、再び作り出されることはなく、何十億年ののちすべて灰として散っていくことだろう。

むしろ絶えず巡りきて繰り返すもの、周回し回帰するものの中にこそ、永遠はあるのではないか。満ち潮引き潮の繰り返し、太古から変わることなく同じリズムを刻む昼と夜の交代や月の満ち欠け、そのような永劫えいごうに回帰する運動の中にこそ、永遠が見出されるはずである。

7.28.2017

加藤陽子さんブックフェア

「過去を正確に描くことで未来をつくるお手伝いができる。それが歴史学の強みです」歴史学者の加藤陽子さんが、いま、読んでほしい本、20冊を選びました。「戦争が平場に降りてきた時代を生きる」選書フェアを開催いただいている書店さんでは、各書籍への加藤陽子さんのコメントの入った小冊子も配布しています。末尾に掲載しているフェア開催書店さんで、ぜひお手に取ってみてください。(編集部)

「寓話は、今この瞬間に起こっている戦争には無力であるが、永遠に起こりつづけるかも知れない戦争というものに呼びかける力はある」とは、敬愛する劇作家・野田秀樹の言葉です。

冒頭の「寓話」の二文字には、「歴史」あるいは「学問」など代入可能でしょう。

約140億年前にできたこの宇宙の中に、約46億年前に生まれたこの地球の上で、約20万年前に誕生した我らが祖先、その伝来の知恵を総動員し、地球が廃墟と化すのを押しとどめる時期に今や我らは到達したのではないかと思います。

後から振り返り、正真正銘の「危機の時代」だったと総括される時代が、素知らぬ顔をして脇腹を通り過ぎてゆく時の感覚、その感覚を体感できる本を選んでみました。
――加藤陽子 


10.11.2016

断片的なものの社会学|韓国語版刊行!



『断片的なものの社会学』
韓国語版刊行!





2016年10月5日、『断片的なものの社会学』の韓国語版が刊行されました。韓国語版の版元は、wisdomhouseさんです。写真だとわかりづらいのですが、韓国語版のほうは、手漉きの紙のような手触りのある紙がカバーに使われていて、高級感があります。


カバーをめくると、青い表紙が見えます。そして見返しが茶色。おしゃれです。


■ノ・ミョンウ氏の推薦文

カバーの裏に、韓国の著名な社会学者、ノ・ミョンウ氏(亞洲大学教授)が、推薦文を寄せてくださっています。以下に、日本語訳を紹介します。



この社会学者の岸政彦さんは、
世の中で、世界で起こっているすべてのことを審判官の観点から判定する、「私たちが知っていた社会学者」の姿とは、あまりにも違う。

彼は他人の人生を腕を組んで見物する観察者ではない。
悲しい声、悲壮な声、抗議する声、皮肉の声ではなく、人間は他にどのような声を出すことができるのか? 
人間が出せる声のすべてが込められているようなこの作品は、人生劇場とあまりにも似ている。

社会学が人々の人生を記述するには、その社会学者が駆使する言語は、人生の特性に合っていなければならない。
もし、人生が断片的にできているモザイクであれば、その断片を記述する言語ももちろん、断片のモザイクでなければならない。

だから、岸政彦さんは繊細に人生の断片を組み合わせてこの本を執筆したのだと思うし、私はこの本を読みながら、彼と心の中で友人になった。
――ノ・ミョンウ氏(亞洲大学教授)

※ノ・ミョンウ氏のプロフィールは、こちらをご参照ください(韓国語)。


■韓国語版への序文

本の冒頭には、岸政彦さんによる、韓国語版のための序文が収録されています。以下に、日本語の原文を転載いたします。





このたび、私のこの小さな本が韓国語に翻訳されると聞き、たいへんうれしく思っています。まだ行ったことのない国(こんなに近いのに!)の、まだ会ったことのない人々に読んでいただけると思うと、ほんとうに幸せです。

私は子どものころ、「伝言ゲーム」という遊びが大好きでした。小学校の遠足などでよくやる遊びです。韓国にも同じ遊びがあると聞きました。

みんなが一列につながり、最初のひとが考えた、すこし長めの文章を、他のひとたちに聞こえないように、二人めのひとにそっと耳打ちします。二人めのひとは、同じように他のひとに聞こえないように小さな声で、三人めのひとに囁きます。

伝言が最後まで届いたときに、最初のひとが考えた最初の文章が発表されます。次に、最後のひとが、自分が聞いたと思っている文章を発表します。人数が多いほど、文が長いほど、最初の文章と最後の文章は、信じられないぐらい違っています。それがいつも、あまりにも違った文章なので、思わず笑ってしまうのです。そんなゲームです。

日本や韓国だけでなく、世界中に同じような遊びがあります。どうしてこんな単純なゲームが、これほど世界に広がって愛されているのでしょうか。

このゲームから私たちが得られる教訓は、ふたつあります。まず、話が伝わっていくと、かならずそれは変化してしまって、もとの姿をとどめなくなっているということ。これは、私たちが何かを伝えることが、いかに難しいかということをあらわしています。

もうひとつの教訓は、意味を伝達するときにノイズが混じったり、意味自体が変化してしまったりすることは、悪いことばかりじゃなくて、みんなが大笑いするような、面白いことでもある、ということです。


私たちが生きるこの社会では、意味が間違って伝わったり、そこにおかしなものが紛れ込んだりすることは、とても悪いことだと言われます。たしかに、日本で大きな地震や津波、あるいは原発事故が起きたときは、インターネットでとても悪質なデマが広がりました。

しかしまた同時に、定まった、決まった意味しか伝えることのできない世界は、生きていてとても息苦しいものだと思います。


私のこの本は、はっきりしたテーマや内容があるわけではありません。文字通り断片的なエピソードをつなげて並べ、そこから「生きるということはどういうことか」ということを考えた本です。そういう、あやふやで曖昧な本ですから、これが日本で出版されてからずっと、読者によってほんとうに様々な読み方をされてきました。書いた私でさえ驚くような感想をもらうことも、少なくありません。

この本がはじめて国境を越え、異なる言語に翻訳されることになり、私が楽しみにしていることは、それがうまく伝わるということよりもむしろ、それが私でさえ思ってもみなかったような読まれ方をするということです。翻訳する、ということは、ただ単に、意味をそのまま伝えるということではなく、そこに意味を新しく付け加えるということだと思います。


どうか、この小さな本にたくさん書かれたささやかなエピソードに、あなた自身のものを付け加えてください。そしてそれがいつか、私のもとまで届きますように。

――2016年8月  岸 政彦





韓国語版が刊行されること、とてもうれしいです。とても美しい本に仕上げていただきました。ますます、たくさんの方に届くことを祈っています。(編集部)

2.19.2016

聖書

末井昭
第2回 他者の中に自己を見る

気持ちが沈んでいる時期に訪ねて来た、現実から数センチ浮いているような少女Y。彼女と一緒にいたいがために作った少女雑誌が全く売れず、さらに落ち込む末井さん。そして千石剛賢さんの聖書の話が頭から離れなくなる――。他者に尽くせるときというのは、自分の心に余裕があり、相手も自分に好感を持ってくれているときです。「自分がどういう状態であっても、相手がどんな状態でも、相手のことを思うことはできるのでしょうか」(編集部)。

1987年~1988年は僕にとって最悪の2年間でした。千石剛賢さんの本『父とは誰か、母とは誰か』を読んで、千石さんに会いに行こうと思ったのは、その最悪期に入りかけたころでした。

1981年に創刊した『写真時代』は、創刊号から完売で順調に部数を伸ばしていき、問題は何もなかったのですが、私生活に問題がありました。妻に内緒でコソコソと付き合っていた人が統合失調症(当時は分裂病と言っていました)になり、精神病院に入院しました。そして退院したあとマンションの8階から飛び降り、奇跡的に助かりましたが杖なしでは歩けない体になっていました。自分のせいでそうなったのかと思い、気持ちが落ち込みました。

それに加えて、毎月雑誌を面白くしないといけないというプレッシャーがありました。『写真時代』は僕を入れて7人で編集していましたが、面白いか面白くないかの判断はすべて僕がやっていて、みんなで会議をしても面白いと思うアイデアがなかなか出でこないので、結局自分で考えることになります。そうやって面白い企画を捻り出しても、1ヵ月で消費されてしまうことの虚しさもありました。
それに、「もうすぐ三重苦だ」と言って笑っていましたが(39歳になるということですが、本当に三重苦みたいになるとは思ってもみませんでした)、年を取っていくことの寂しさも加わり、気持ちが沈みがちな日々が続いていました。

そんなとき、僕に会いたいという女の子が会社にやって来ました。僕へのプレゼントだと言って、自分の好きな曲を録音した3枚のカセットテープを持ってきていました。浮浪者がする小便のにおいが充満している高田馬場駅の汚いガード下(いまは手塚プロのおかげできれいになりましたが)を通って来たらしく、「わたし、高田馬場に住めない……」と困ったような顔で言いました。そのあと喫茶店で3時間ほど、とぎれとぎれのまとまらない会話をしたのですが、僕にとって久し振りの心がなごむ時間でした。

12.29.2015

聖書


末井昭
第1回 世間がひっくり返る

『自殺』の末井昭さん新連載。「みんな、何を指針にして生きているんだろう?」。聖書に出会って、ものの見方がひっくり返ったという末井昭さん。信仰を持っているわけではない末井さんは、聖書を「実用書」として読んでいると言います。聖書に書かれているように生活したいと思うが、できない自分。日常と聖書との往復で見えてくるものとは。初回はイエスの方舟事件と、「こんな世の中、ぶっ壊れてしまえ」と思っていたことが、頭の中で本当に起こってしまったこと。聖書を生涯読まないかもしれない、信仰をもたない方々へ贈ります。

僕は世間話というものが苦手です。たとえば、イスラム国の話から東京もテロの対象になるのかという話になり、国際情勢の話が続くのかなと思っていたら、僕の一番苦手な自分たちの子供の話になり、しまいには飼っている猫の話になったり、話題はコロコロと変わっていきます。

僕は宴会などのとき、世間話にうまく入っていけなかったので、黙っていることが多く、無口だと思われていたと思いますが、心の中では「お前らバカか。クソ面白くもない話を延々しやがって」と罵声を浴びせながら、その宴会を呪っていました。無口でも、自意識だけは人一倍強かったのです。

先日ある宴会で、〝少年A〟が書いた本『絶歌』が面白かったと言ったら、とたんに場がシーンとなり、誰かが「人を殺しておいて本出すってのはねぇ……」と言ったあと、その話は途切れてしまいました。僕は『絶歌』を読んだばかりだったので、〝少年A〟とこの本について人に話したかったのですが、ここでは話さないほうがいいと思ってやめました。世間話では、世間の常識から外れたことを言うと拒否反応が出ます。当たり障りのないことしか言ってはいけないのです。

7.27.2015

『きみの町で』(重松清さん著)ミロコマチコさん原画展全国巡回地図


『きみの町で』(重松清さん著)
ミロコマチコさん原画展 
全国巡回地図

きみの町で

あの町と、この町、あの時と、いまは、つながっている。


全国の町で、移動展示をつづけている『きみの町で』展が、青山・表参道の山陽堂書店さんで、2015年7月27日から開催します。
http://sanyodo-shoten.co.jp/gallery/schedule.html

★山陽堂書店さんで、ミロコマチコさんサイン会があります。
7月28日(火)19時~20時
ミロコさんとゆっくりお話できる機会です。ぜひ遊びに来て下さい。

これまでの全国巡回地図を、営業部の(橋)が作りました。
開催くださった書店さんに感謝しています。
山陽堂書店さんに地図を貼っていますので、ぜひご覧ください。



※クリックで拡大



★全国巡回振り返り
(※リンク先でそれぞれの原画展の詳細が見られます)

パルコブックセンター吉祥寺店
2013年11月

リブロ福岡天神店
2014年2月3日~3月4日

学芸大学SUNNY BOY BOOKS
2014年3月
◆2014年3月16日/ライブペインティング

オリオン書房ノルテ店(立川)
2014年4月

くまざわ書店相模大野店(神奈川)
2014年6月

FOLK old bookstore(大阪)
2014年7月
◆2014年7月26日/サイン会

ジュンク堂書店難波店
2014年9月17日~10月13日

イハラ・ハートショップ(和歌山)
2014年11月1日~30日

カネイリミュージアムショップ6・あゆみブックス仙台一番町店
2015年2月7日~22日

日田シネマテーク・リベルテ(大分)
2015年3月14日~29日

ソリッド&リキッド リーディングスタイル町田
2015年4月

正文館書店知立八ッ田店(愛知)
2015年7月4日~20日

山陽堂書店(青山・表参道)
2015年7月27日~8月8日

5.28.2015

断片的なものの社会学●朝日出版社特設ページ


岸政彦『断片的なものの社会学』特設ページ



紀伊國屋じんぶん大賞2016、第1位!
祝・韓国語版刊行!

1.30.2015

『自殺』トークイベントのご案内|あゆみブックス仙台一番町店

トークイベントのご案内
2015年2日21日(土)
あゆみブックス仙台一番町店にて開催 ☆終了しました

笑って脱力して、きっと死ぬのが
バカらしくなります。

末井昭さんと「自殺」の話 ~仙台篇~
ゲスト:岩崎航さん

 

母親のダイナマイト心中から約60年。愛人の自殺未遂、3億の借金、自身のがん――衝撃の半生と自殺者への想いを、ひょうひょうと丸裸で綴った『自殺』が反響を呼び、講談社エッセイ賞を受賞した末井昭さん。

『自殺』は、2011年の東日本大震災に後押しされるように、書き始めた本でした。

「こんなやつでも生きていけるんだ、と笑ってもらえれば」と面白い自殺の本を目指した末井さんですが、執筆中に読んで励まされたと言う本が、岩崎航さんの『点滴ポール』(写真・齋藤陽道さん、ナナロク社)です。

絶望の中の希望を見つけ出すこと。ネガティブなことをポジティブに変えてゆく力って、どうすれば湧いてくるのでしょう。

「「今」が自分にとって一番の時だ」と綴る岩崎さんを特別ゲストとして迎え、末井さんが、肩の力を抜いて、楽しく真面目に「自殺」について語ります。

日時:2015年2日21日(土)15時~(14時半開場)
会場:あゆみブックス仙台一番町店
参加費:1000円(税込)1ドリンク、オリジナル特典付き
定員:25名
ご予約・お問合せ:あゆみブックス仙台一番町店カウンター
電話 022-211-6961


末井昭(すえい・あきら)
1948年、岡山県生まれ。工員、キャバレーの看板描き、イラストレーターなどを経て、セルフ出版(現・白夜書房)の設立に参加。『ウィークエンドスーパー』、『写真時代』、『パチンコ必勝ガイド』などの雑誌を創刊。2012年に白夜書房を退社、現在はフリーで編集、執筆活動を行う。平成歌謡バンド・ペーソスのテナー・サックスを担当。主な著書に『素敵なダイナマイトスキャンダル』(北宋社→角川文庫→ちくま文庫→復刊ドットコム)、『絶対毎日スエイ日記』(アートン)、『純粋力』(ビジネス社)、『自殺』(朝日出版社)などがある。2014年、『自殺』で第30回講談社エッセイ賞受賞。


岩崎航(いわさき・わたる)
1976年、仙台市生まれ。詩人。本名は岩崎稔。3歳の頃に進行性筋ジストロフィーを発症。17歳のとき、自分の未来に絶望して死のうとまで考えたが、「病をふくめてのありのままの姿」で自分の人生を生きようと思いを定める。現在は胃ろうからの経管栄養と人工呼吸器を使用し、仙台市内の自宅で暮らしている。20代半ばから詩の創作を始め、2006年に『五行歌集 青の航』を自主制作。
2013年、『点滴ポール 生き抜くという旗印』(ナナロク社)を刊行。谷川俊太郎氏、糸井重里氏ほか、多くの賞賛を受ける。
航の SKY NOTE http://skynote21.jugem.jp/



絵:南伸坊       

1.15.2015

伊勢崎賢治「本当の戦争の話をしよう」まえがき+目次

まえがき+目次  
伊勢崎賢治さんの『本当の戦争の話をしよう ――世界の「対立」を仕切る』を1月15日に刊行いたしました。伊勢崎さんが「気がついたときには、こちらが丸裸にされていた」と語る5日間の講義録。扱うテーマは「テロリスト」との戦い、「自衛」と戦争の関係、国連の武力行使のジレンマ、著者がかかわった国での核の問題についてなど。現場の迫力に触れ、日本内部の視点をちょっと抜け出て、生涯出会うことのない異なる価値観と出会う時、何がもたらされるか。それを体感できる講義を目指しました。「まえがき」と目次を公開いたします。全国の書店さんで、ぜひお手に取ってみてください。(編集部)

まえがき

2012年1月8日、日曜日。

雪がチラホラ降るなか、初めて訪れた福島県立福島高等学校は、東日本大震災で2つの校舎が使用不可能になっていた。

底冷えのするプレハブ仮設校舎に入り、足を床に付けるたびに周囲の壁、天井が震えるあの独特の感触のなか、休日の誰もいない静まりかえった廊下をしばらくたどると、かすかにざわめきが聞こえて来る。ドアをあけると、総勢18名の高校2年生。

このときの僕は、ガチガチに緊張していたと思う。

相手は多感な年頃である。子供には、理想を思い描き、没頭する特権がある。そうであればこそ、冷たい現実のなかで彼らに知らせなくていいものは、確かに存在する。2人の息子の親として、そう思う。

本書の企画は、僕の講義の相手をずっと探していた。福島高校になった経緯は、あとがきに譲るが、僕の経験のどこまでを知らせていいのか。実は、この初日までまったく焦点が定まっていなかったのである。

1.13.2015

伊勢崎賢治「本当の戦争の話をしよう」第四回

第4回
伊勢崎賢治さんの『本当の戦争の話をしよう ――世界の「対立」を仕切る』を1月15日に刊行します。伊勢崎さんが「気がついたときには、こちらが丸裸にされていた」と語る5日間の講義録。引き続き、1章の一部をお届けします。2001年の9.11と、2011年5月2日のアメリカの特殊部隊によるオサマ・ビンラディン殺害。荒唐無稽だと思うかもしれないけれど、設定として考えてみましょう。「もしも歌舞伎町でビンラディンが殺害されたとしたら」。(編集部)

1章
もしもビンラディンが
新宿歌舞伎町で
殺害されたとしたら(その2)

もしも歌舞伎町でビンラディンが殺害されたとしたら

テロリストとの戦いのきっかけとなった9・11に話を戻しますが、この事件が起きたとき、繰り返し流れたメディアの映像で、みなさんの印象にいちばん残っているのは、ワールドトレードセンターの崩壊でしょう。ちなみに、設計した人って、誰か知ってる?

確か日系人って。

そう、ミノル・ヤマサキという日系アメリカ人の建築家です。ところで、9・11は自作自演である、つまりアメリカ自身がやったんじゃないかっていう陰謀説があるのを知っていますか?

ビルの崩れ方が異常だったとか、突っ込む前に下から爆風が出ていたとか、聞いたことがあります。

確かに予想外な崩れ方でした。旅客機のジェット燃料の火災の高熱で、ビルの主構造である鉄骨の強度が落ちたとか、旅客機が高速でぶつかった衝撃波が共鳴して、鉄骨構造を一気にバラバラにしたとか、いろいろなことがいわれています。

僕はイスラムの世界で仕事することが多いのですが、民衆レベルでは陰謀説が根強くて、今でもさかんです。アルカイダは反米とともに激しい反ユダヤを掲げているから、アメリカを本気で怒らせるためにイスラエル諜報機関が仕組んだとか。陰謀説って面白いし、人を魅きつけるものです。戦争は、軍産複合体など一部の人たちを儲けさせるし、ナショナリズムも高揚する。それを利用したい政治家もいるはずです。まあ、陰謀説はちょっと置いておいて、9・11が起きた背景を考えてみましょう。