10.19.2016

更新情報

更新情報

★末井昭「聖書と生活」
第1回 世間がひっくり返る 
第2回 他者の中に自己を見る 


岸政彦『断片的なものの社会学』特設ページ 
★紀伊國屋じんぶん大賞2016、大賞を受賞しました!

伊勢崎賢治『本当の戦争の話をしよう』
序章 講義の前に 第1回 第2回
1章 もしもビンラディンが新宿歌舞伎町で殺害されたとしたら(その1)第3回 (その2)第4回

吉川浩満『理不尽な進化』刊行記念!
「絶滅の視点から世界を眺める」ブックリスト、書目を公開しました! 

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おしらせ
・安東量子+ジャック・ロシャール「渡し舟の上で――現存被曝状況から、現存被曝状況へ」
・梶谷懐「現代中国――現在と過去のあいだ」
上記の2つの連載は、下記のサイトに移行しました。ひきつづき、下記のサイトにて、お楽しみください。
「路上の人」
http://editionhomoviator.blogspot.jp/

安東量子+ジャック・ロシャール「渡し舟の上で――現存被曝状況から、現存被曝状況へ」 第2回

梶谷懐「現代中国――現在と過去のあいだ」 第13回

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吉川浩満『理不尽な進化』が本になります(10/25発売)。つきましては、「まえがき」を公開いたします10/9 UP

安東量子+ジャック・ロシャール「渡し舟の上で――現存被曝状況から、現存被曝状況へ」第1回
Sur la barque des passeurs : entre deux situations d'exposition existante

加藤陽子さんが選ぶ2014年夏に読んでほしい本

『修道院のレシピ』電子化記念! 特別レシピ公開 7/23 UP

『暮らしの放射線Q&A』書評と読者から寄せられた声  4/6 UP

末井昭『自殺』まえがき ★絶賛発売中です


-----> これまでの連載のもくじはこちらです。

10.11.2016

断片的なものの社会学|韓国語版刊行!



『断片的なものの社会学』
韓国語版刊行!





2016年10月5日、『断片的なものの社会学』の韓国語版が刊行されました。韓国語版の版元は、wisdomhouseさんです。写真だとわかりづらいのですが、韓国語版のほうは、手漉きの紙のような手触りのある紙がカバーに使われていて、高級感があります。


カバーをめくると、青い表紙が見えます。そして見返しが茶色。おしゃれです。


■ノ・ミョンウ氏の推薦文

カバーの裏に、韓国の著名な社会学者、ノ・ミョンウ氏(亞洲大学教授)が、推薦文を寄せてくださっています。以下に、日本語訳を紹介します。



この社会学者の岸政彦さんは、
世の中で、世界で起こっているすべてのことを審判官の観点から判定する、「私たちが知っていた社会学者」の姿とは、あまりにも違う。

彼は他人の人生を腕を組んで見物する観察者ではない。
悲しい声、悲壮な声、抗議する声、皮肉の声ではなく、人間は他にどのような声を出すことができるのか? 
人間が出せる声のすべてが込められているようなこの作品は、人生劇場とあまりにも似ている。

社会学が人々の人生を記述するには、その社会学者が駆使する言語は、人生の特性に合っていなければならない。
もし、人生が断片的にできているモザイクであれば、その断片を記述する言語ももちろん、断片のモザイクでなければならない。

だから、岸政彦さんは繊細に人生の断片を組み合わせてこの本を執筆したのだと思うし、私はこの本を読みながら、彼と心の中で友人になった。
――ノ・ミョンウ氏(亞洲大学教授)

※ノ・ミョンウ氏のプロフィールは、こちらをご参照ください(韓国語)。


■韓国語版への序文

本の冒頭には、岸政彦さんによる、韓国語版のための序文が収録されています。以下に、日本語の原文を転載いたします。





このたび、私のこの小さな本が韓国語に翻訳されると聞き、たいへんうれしく思っています。まだ行ったことのない国(こんなに近いのに!)の、まだ会ったことのない人々に読んでいただけると思うと、ほんとうに幸せです。

私は子どものころ、「伝言ゲーム」という遊びが大好きでした。小学校の遠足などでよくやる遊びです。韓国にも同じ遊びがあると聞きました。

みんなが一列につながり、最初のひとが考えた、すこし長めの文章を、他のひとたちに聞こえないように、二人めのひとにそっと耳打ちします。二人めのひとは、同じように他のひとに聞こえないように小さな声で、三人めのひとに囁きます。

伝言が最後まで届いたときに、最初のひとが考えた最初の文章が発表されます。次に、最後のひとが、自分が聞いたと思っている文章を発表します。人数が多いほど、文が長いほど、最初の文章と最後の文章は、信じられないぐらい違っています。それがいつも、あまりにも違った文章なので、思わず笑ってしまうのです。そんなゲームです。

日本や韓国だけでなく、世界中に同じような遊びがあります。どうしてこんな単純なゲームが、これほど世界に広がって愛されているのでしょうか。

このゲームから私たちが得られる教訓は、ふたつあります。まず、話が伝わっていくと、かならずそれは変化してしまって、もとの姿をとどめなくなっているということ。これは、私たちが何かを伝えることが、いかに難しいかということをあらわしています。

もうひとつの教訓は、意味を伝達するときにノイズが混じったり、意味自体が変化してしまったりすることは、悪いことばかりじゃなくて、みんなが大笑いするような、面白いことでもある、ということです。


私たちが生きるこの社会では、意味が間違って伝わったり、そこにおかしなものが紛れ込んだりすることは、とても悪いことだと言われます。たしかに、日本で大きな地震や津波、あるいは原発事故が起きたときは、インターネットでとても悪質なデマが広がりました。

しかしまた同時に、定まった、決まった意味しか伝えることのできない世界は、生きていてとても息苦しいものだと思います。


私のこの本は、はっきりしたテーマや内容があるわけではありません。文字通り断片的なエピソードをつなげて並べ、そこから「生きるということはどういうことか」ということを考えた本です。そういう、あやふやで曖昧な本ですから、これが日本で出版されてからずっと、読者によってほんとうに様々な読み方をされてきました。書いた私でさえ驚くような感想をもらうことも、少なくありません。

この本がはじめて国境を越え、異なる言語に翻訳されることになり、私が楽しみにしていることは、それがうまく伝わるということよりもむしろ、それが私でさえ思ってもみなかったような読まれ方をするということです。翻訳する、ということは、ただ単に、意味をそのまま伝えるということではなく、そこに意味を新しく付け加えるということだと思います。


どうか、この小さな本にたくさん書かれたささやかなエピソードに、あなた自身のものを付け加えてください。そしてそれがいつか、私のもとまで届きますように。

――2016年8月  岸 政彦





韓国語版が刊行されること、とてもうれしいです。とても美しい本に仕上げていただきました。ますます、たくさんの方に届くことを祈っています。(編集部)

2.19.2016

聖書

末井昭
第2回 他者の中に自己を見る

気持ちが沈んでいる時期に訪ねて来た、現実から数センチ浮いているような少女Y。彼女と一緒にいたいがために作った少女雑誌が全く売れず、さらに落ち込む末井さん。そして千石剛賢さんの聖書の話が頭から離れなくなる――。他者に尽くせるときというのは、自分の心に余裕があり、相手も自分に好感を持ってくれているときです。「自分がどういう状態であっても、相手がどんな状態でも、相手のことを思うことはできるのでしょうか」(編集部)。

1987年~1988年は僕にとって最悪の2年間でした。千石剛賢さんの本『父とは誰か、母とは誰か』を読んで、千石さんに会いに行こうと思ったのは、その最悪期に入りかけたころでした。

1981年に創刊した『写真時代』は、創刊号から完売で順調に部数を伸ばしていき、問題は何もなかったのですが、私生活に問題がありました。妻に内緒でコソコソと付き合っていた人が統合失調症(当時は分裂病と言っていました)になり、精神病院に入院しました。そして退院したあとマンションの8階から飛び降り、奇跡的に助かりましたが杖なしでは歩けない体になっていました。自分のせいでそうなったのかと思い、気持ちが落ち込みました。

それに加えて、毎月雑誌を面白くしないといけないというプレッシャーがありました。『写真時代』は僕を入れて7人で編集していましたが、面白いか面白くないかの判断はすべて僕がやっていて、みんなで会議をしても面白いと思うアイデアがなかなか出でこないので、結局自分で考えることになります。そうやって面白い企画を捻り出しても、1ヵ月で消費されてしまうことの虚しさもありました。
それに、「もうすぐ三重苦だ」と言って笑っていましたが(39歳になるということですが、本当に三重苦みたいになるとは思ってもみませんでした)、年を取っていくことの寂しさも加わり、気持ちが沈みがちな日々が続いていました。

そんなとき、僕に会いたいという女の子が会社にやって来ました。僕へのプレゼントだと言って、自分の好きな曲を録音した3枚のカセットテープを持ってきていました。浮浪者がする小便のにおいが充満している高田馬場駅の汚いガード下(いまは手塚プロのおかげできれいになりましたが)を通って来たらしく、「わたし、高田馬場に住めない……」と困ったような顔で言いました。そのあと喫茶店で3時間ほど、とぎれとぎれのまとまらない会話をしたのですが、僕にとって久し振りの心がなごむ時間でした。

12.29.2015

聖書


末井昭
第1回 世間がひっくり返る

『自殺』の末井昭さん新連載。「みんな、何を指針にして生きているんだろう?」。聖書に出会って、ものの見方がひっくり返ったという末井昭さん。信仰を持っているわけではない末井さんは、聖書を「実用書」として読んでいると言います。聖書に書かれているように生活したいと思うが、できない自分。日常と聖書との往復で見えてくるものとは。初回はイエスの方舟事件と、「こんな世の中、ぶっ壊れてしまえ」と思っていたことが、頭の中で本当に起こってしまったこと。聖書を生涯読まないかもしれない、信仰をもたない方々へ贈ります。

僕は世間話というものが苦手です。たとえば、イスラム国の話から東京もテロの対象になるのかという話になり、国際情勢の話が続くのかなと思っていたら、僕の一番苦手な自分たちの子供の話になり、しまいには飼っている猫の話になったり、話題はコロコロと変わっていきます。

僕は宴会などのとき、世間話にうまく入っていけなかったので、黙っていることが多く、無口だと思われていたと思いますが、心の中では「お前らバカか。クソ面白くもない話を延々しやがって」と罵声を浴びせながら、その宴会を呪っていました。無口でも、自意識だけは人一倍強かったのです。

先日ある宴会で、〝少年A〟が書いた本『絶歌』が面白かったと言ったら、とたんに場がシーンとなり、誰かが「人を殺しておいて本出すってのはねぇ……」と言ったあと、その話は途切れてしまいました。僕は『絶歌』を読んだばかりだったので、〝少年A〟とこの本について人に話したかったのですが、ここでは話さないほうがいいと思ってやめました。世間話では、世間の常識から外れたことを言うと拒否反応が出ます。当たり障りのないことしか言ってはいけないのです。

7.27.2015

『きみの町で』(重松清さん著)ミロコマチコさん原画展全国巡回地図


『きみの町で』(重松清さん著)
ミロコマチコさん原画展 
全国巡回地図

きみの町で

あの町と、この町、あの時と、いまは、つながっている。


全国の町で、移動展示をつづけている『きみの町で』展が、青山・表参道の山陽堂書店さんで、2015年7月27日から開催します。
http://sanyodo-shoten.co.jp/gallery/schedule.html

★山陽堂書店さんで、ミロコマチコさんサイン会があります。
7月28日(火)19時~20時
ミロコさんとゆっくりお話できる機会です。ぜひ遊びに来て下さい。

これまでの全国巡回地図を、営業部の(橋)が作りました。
開催くださった書店さんに感謝しています。
山陽堂書店さんに地図を貼っていますので、ぜひご覧ください。



※クリックで拡大



★全国巡回振り返り
(※リンク先でそれぞれの原画展の詳細が見られます)

パルコブックセンター吉祥寺店
2013年11月

リブロ福岡天神店
2014年2月3日~3月4日

学芸大学SUNNY BOY BOOKS
2014年3月
◆2014年3月16日/ライブペインティング

オリオン書房ノルテ店(立川)
2014年4月

くまざわ書店相模大野店(神奈川)
2014年6月

FOLK old bookstore(大阪)
2014年7月
◆2014年7月26日/サイン会

ジュンク堂書店難波店
2014年9月17日~10月13日

イハラ・ハートショップ(和歌山)
2014年11月1日~30日

カネイリミュージアムショップ6・あゆみブックス仙台一番町店
2015年2月7日~22日

日田シネマテーク・リベルテ(大分)
2015年3月14日~29日

ソリッド&リキッド リーディングスタイル町田
2015年4月

正文館書店知立八ッ田店(愛知)
2015年7月4日~20日

山陽堂書店(青山・表参道)
2015年7月27日~8月8日

5.28.2015

断片 特設ページ


岸政彦『断片的なものの社会学』特設ページ



紀伊國屋じんぶん大賞2016、第1位!
祝・韓国語版刊行!

1.30.2015

『自殺』トークイベントのご案内|あゆみブックス仙台一番町店

トークイベントのご案内
2015年2日21日(土)
あゆみブックス仙台一番町店にて開催 ☆終了しました

笑って脱力して、きっと死ぬのが
バカらしくなります。

末井昭さんと「自殺」の話 ~仙台篇~
ゲスト:岩崎航さん

 

母親のダイナマイト心中から約60年。愛人の自殺未遂、3億の借金、自身のがん――衝撃の半生と自殺者への想いを、ひょうひょうと丸裸で綴った『自殺』が反響を呼び、講談社エッセイ賞を受賞した末井昭さん。

『自殺』は、2011年の東日本大震災に後押しされるように、書き始めた本でした。

「こんなやつでも生きていけるんだ、と笑ってもらえれば」と面白い自殺の本を目指した末井さんですが、執筆中に読んで励まされたと言う本が、岩崎航さんの『点滴ポール』(写真・齋藤陽道さん、ナナロク社)です。

絶望の中の希望を見つけ出すこと。ネガティブなことをポジティブに変えてゆく力って、どうすれば湧いてくるのでしょう。

「「今」が自分にとって一番の時だ」と綴る岩崎さんを特別ゲストとして迎え、末井さんが、肩の力を抜いて、楽しく真面目に「自殺」について語ります。

日時:2015年2日21日(土)15時~(14時半開場)
会場:あゆみブックス仙台一番町店
参加費:1000円(税込)1ドリンク、オリジナル特典付き
定員:25名
ご予約・お問合せ:あゆみブックス仙台一番町店カウンター
電話 022-211-6961


末井昭(すえい・あきら)
1948年、岡山県生まれ。工員、キャバレーの看板描き、イラストレーターなどを経て、セルフ出版(現・白夜書房)の設立に参加。『ウィークエンドスーパー』、『写真時代』、『パチンコ必勝ガイド』などの雑誌を創刊。2012年に白夜書房を退社、現在はフリーで編集、執筆活動を行う。平成歌謡バンド・ペーソスのテナー・サックスを担当。主な著書に『素敵なダイナマイトスキャンダル』(北宋社→角川文庫→ちくま文庫→復刊ドットコム)、『絶対毎日スエイ日記』(アートン)、『純粋力』(ビジネス社)、『自殺』(朝日出版社)などがある。2014年、『自殺』で第30回講談社エッセイ賞受賞。


岩崎航(いわさき・わたる)
1976年、仙台市生まれ。詩人。本名は岩崎稔。3歳の頃に進行性筋ジストロフィーを発症。17歳のとき、自分の未来に絶望して死のうとまで考えたが、「病をふくめてのありのままの姿」で自分の人生を生きようと思いを定める。現在は胃ろうからの経管栄養と人工呼吸器を使用し、仙台市内の自宅で暮らしている。20代半ばから詩の創作を始め、2006年に『五行歌集 青の航』を自主制作。
2013年、『点滴ポール 生き抜くという旗印』(ナナロク社)を刊行。谷川俊太郎氏、糸井重里氏ほか、多くの賞賛を受ける。
航の SKY NOTE http://skynote21.jugem.jp/



絵:南伸坊       

1.15.2015

伊勢崎賢治「本当の戦争の話をしよう」まえがき+目次

まえがき+目次  
伊勢崎賢治さんの『本当の戦争の話をしよう ――世界の「対立」を仕切る』を1月15日に刊行いたしました。伊勢崎さんが「気がついたときには、こちらが丸裸にされていた」と語る5日間の講義録。扱うテーマは「テロリスト」との戦い、「自衛」と戦争の関係、国連の武力行使のジレンマ、著者がかかわった国での核の問題についてなど。現場の迫力に触れ、日本内部の視点をちょっと抜け出て、生涯出会うことのない異なる価値観と出会う時、何がもたらされるか。それを体感できる講義を目指しました。「まえがき」と目次を公開いたします。全国の書店さんで、ぜひお手に取ってみてください。(編集部)

まえがき

2012年1月8日、日曜日。

雪がチラホラ降るなか、初めて訪れた福島県立福島高等学校は、東日本大震災で2つの校舎が使用不可能になっていた。

底冷えのするプレハブ仮設校舎に入り、足を床に付けるたびに周囲の壁、天井が震えるあの独特の感触のなか、休日の誰もいない静まりかえった廊下をしばらくたどると、かすかにざわめきが聞こえて来る。ドアをあけると、総勢18名の高校2年生。

このときの僕は、ガチガチに緊張していたと思う。

相手は多感な年頃である。子供には、理想を思い描き、没頭する特権がある。そうであればこそ、冷たい現実のなかで彼らに知らせなくていいものは、確かに存在する。2人の息子の親として、そう思う。

本書の企画は、僕の講義の相手をずっと探していた。福島高校になった経緯は、あとがきに譲るが、僕の経験のどこまでを知らせていいのか。実は、この初日までまったく焦点が定まっていなかったのである。

1.13.2015

伊勢崎賢治「本当の戦争の話をしよう」第四回

第4回
伊勢崎賢治さんの『本当の戦争の話をしよう ――世界の「対立」を仕切る』を1月15日に刊行します。伊勢崎さんが「気がついたときには、こちらが丸裸にされていた」と語る5日間の講義録。引き続き、1章の一部をお届けします。2001年の9.11と、2011年5月2日のアメリカの特殊部隊によるオサマ・ビンラディン殺害。荒唐無稽だと思うかもしれないけれど、設定として考えてみましょう。「もしも歌舞伎町でビンラディンが殺害されたとしたら」。(編集部)

1章
もしもビンラディンが
新宿歌舞伎町で
殺害されたとしたら(その2)

もしも歌舞伎町でビンラディンが殺害されたとしたら

テロリストとの戦いのきっかけとなった9・11に話を戻しますが、この事件が起きたとき、繰り返し流れたメディアの映像で、みなさんの印象にいちばん残っているのは、ワールドトレードセンターの崩壊でしょう。ちなみに、設計した人って、誰か知ってる?

確か日系人って。

そう、ミノル・ヤマサキという日系アメリカ人の建築家です。ところで、9・11は自作自演である、つまりアメリカ自身がやったんじゃないかっていう陰謀説があるのを知っていますか?

ビルの崩れ方が異常だったとか、突っ込む前に下から爆風が出ていたとか、聞いたことがあります。

確かに予想外な崩れ方でした。旅客機のジェット燃料の火災の高熱で、ビルの主構造である鉄骨の強度が落ちたとか、旅客機が高速でぶつかった衝撃波が共鳴して、鉄骨構造を一気にバラバラにしたとか、いろいろなことがいわれています。

僕はイスラムの世界で仕事することが多いのですが、民衆レベルでは陰謀説が根強くて、今でもさかんです。アルカイダは反米とともに激しい反ユダヤを掲げているから、アメリカを本気で怒らせるためにイスラエル諜報機関が仕組んだとか。陰謀説って面白いし、人を魅きつけるものです。戦争は、軍産複合体など一部の人たちを儲けさせるし、ナショナリズムも高揚する。それを利用したい政治家もいるはずです。まあ、陰謀説はちょっと置いておいて、9・11が起きた背景を考えてみましょう。

1.08.2015

伊勢崎賢治『本当の戦争の話をしよう』第三回

第3回
伊勢崎賢治さんの『本当の戦争の話をしよう ――世界の「対立」を仕切る』を1月15日に刊行します。伊勢崎さんが「気がついたときには、こちらが丸裸にされていた」と語る5日間の講義録。今回は1章の一部をお届けします。自己紹介も兼ねて、初めて暮らした外国、インドのこと。スラムに入り浸り、住民運動を組織し、国外退去命令をくらって追い出される。その後、「紛争屋」となり、アメリカの戦争に巻き込まれてゆくまで。(編集部)

1章
もしもビンラディンが
新宿歌舞伎町で
殺害されたとしたら(その1)

23歳でインドのスラムに入り浸る

僕が最初に行った外国、インドのことから話します。僕は、高校を卒業して早稲田大学の建築学科に入り、大学院に進みました。小さいころから芸術家志向で、画家か建築家のどちらかになりたかったのですが、人生を狂わせてくれたのが(笑)、このインドでした。

建築を学ぶ学生としては、僕の美的感覚はちょっと変わっていて、教科書に載っているような世界の名だたる建築家がデザインしたものを、どうしても美しいと感じられなかったんです。なんかわざとらしいと……わざとって、デザインだからどうしようもないんだけどね。
じゃあ自分は何をしたいんだろうって悶々としているとき、ある写真集に衝撃を受けたのです。それはアジアの貧民街、スラムへの潜入写真でした。

想像つくかな。何のデザインもなく、それぞれの住民が生存ギリギリの財力で、でも自由に建てる掘っ建て小屋がいっぱい、何層にも重なってゴワーっと密集している。混沌の美というか、不連続な統一感というか、全体として醸し出す強烈なエネルギーを感じたのです。

でも、そういうところは犯罪の巣窟であり、社会の底辺、構造的暴力の犠牲者たちが住むところでもある。まじめな社会問題として見なければならないのですが、不謹慎にも僕は、ひとつの造形として惚れちゃったんです。で、この場所に行きたくて、どうしようもなくなった。そんなとき、たまたま大学の掲示板に貼ってあったインド政府の国費留学生募集に目がとまり、試験を受けてみたら受かっちゃったんですね。

教育大国インドには、多くの大学があります。大学の一覧から、カリキュラムにslum、そしてfield work とあるものを目を凝らして探した。そして、インド最大の商都ボンベイ(現在はムンバイ)にあるボンベイ大学のソーシャルワーク学科を見つけました。
日本でソーシャルワークというと、福祉事業をイメージするかもしれないけれど、ここでは違います。

社会の構造的な問題を研究するのは社会学で、いわゆる社会問題の被害を被っている人たちを研究対象にしますね。ソーシャルワークというのは、それだけにとどまらず、そういう人たち(生きるのに忙し過ぎて自分たちを苦しめる「構造」に気がつかない人たち)を「覚醒」させ、そして横に連帯させて大きな発言力にする。日本の全共闘世代の言葉でいうと、オルグ(組織化)しちゃう。それでもって大規模なデモなどを組織して、体制側を威嚇し、譲歩を引き出す。
まあ、底辺の力で社会をチェンジしようと、社会運動や反体制運動を志向する、ちょっと物騒な学問領域です。

インドは、ガンディーの非暴力・不服従運動を生み出し、イギリスの植民地支配からの独立を果たし、その後、冷戦下には東西いずれの陣営にも属さず、アジア、アフリカの旧植民地を束ねていった非同盟主義を主導しました。ある意味、弱い者の側に立った、世界のモラルをリードしてきた国だといえます。

でも一方で、カースト制があり、人間に「クラス=階級」を設ける差別が歴史的に慣習として浸透している。そして宗教間対立、少数民族の分離独立運動が複雑に絡み合い、社会の構造が、多くの人々を犠牲にしている国でもあります。
そういう問題を解決する努力と知性が足りないのか、というふうに考えちゃうけど、否。問題が多い分、それらをなんとかしようとする研究、学問、そして運動が発達するんだ。

12.30.2014

伊勢崎賢治『本当の戦争の話をしよう』第二回

第2回
伊勢崎賢治さんの『本当の戦争の話をしよう ――世界の「対立」を仕切る』を2015年1月15日に刊行いたします。伊勢崎さんが「気がついたときには、こちらが丸裸にされていた」と語る、2012年1、2月に福島県立福島高等学校でおこなった5日間の講義録。「講義の前に」の後編をお届けします。「紛争屋」がプレハブ校舎にて、高校生に本気で語った、日本人と戦争のこれから。(編集部)

講義の前に(その2)


「ならず者国家」は無軌道?

僕は今、学者の端くれで、通称PCS(Peace & Conflict Studies)、「平和と紛争」学と訳されるようなものを、世界の紛争地域からやってきた外国人学生たちに教え、研究しています。対象はどちらかというと、イラクやアフガニスタンで今でも続いている現代の戦争に重点を置いている(PCSは「平和構築学」と訳される場合もあります。でも、平和って紛争を克服するものだろうから、僕は「紛争」のない名称って、ちょっとどうかなと思っているんだ)。

一方、平和学というものもあります。内容は重なる部分が多いのですが、両方とも、第二次世界大戦が終わった後にアメリカを中心にできた、新しい学問領域です。やはり、死者総数5千5百万人という途方もない犠牲を出した歴史を二度と繰り返してはならないという気持ちが、このふたつの学問の誕生に作用したのでしょう。

平和学と「平和と紛争」学って、どう違うんですか?

これも「平和」の概念と同じように、あまりはっきりしません(笑)。どちらも戦争を研究するのだけど、平和学のほうは、あきらかに戦争の予防を目指しているように思える。つまり、かなりはっきりと、戦争を悪として捉えています。政治行為としての戦争に反対するのだから、平和学自身が、すでにひとつの政治行為だともいえる。だから学問として公平・客観的ではない、平和学はひとつの政治思想であって学問ではない、という批判もできます。

「平和と紛争」学は、こういう性格の平和学と一線を画したいようです。もう少し善悪を超えて戦争を捉え、争いを生む国家間、民族間の対立とその因果関係を淡々と冷淡に読み解く。
条件Aと条件Bがそろったとき、Xの一押しがあると、人はためらいなく殺し合う……みたいな理論を見つけ出して興に入る。こんな感じかな(笑)。


そういう僕は、実務家として、戦争がもたらす被害の現実をイヤというほど見てきた人間です。気持ちは平和学にある。というより、人文系の学問すべてに対して、もし戦争という人間性に反する行為を、未来に向けて回避しようという動機がなかったら、学問に何の意味があるのか、そう考える自分が常にいます。

でも、その一方で、戦争を悪として糾弾し、真正面から対抗することが、本当に戦争の予防につながるのか。それは、もしかしたら戦争に付き物の「武勇」を反動でいきり立たせ、逆に戦争する動機を煽ってしまうかもしれない……。こんな葛藤が、僕にとっての「平和と紛争」学なのです。

12.27.2014

伊勢﨑賢治 『本当の戦争の話をしよう』第一回

第1回
伊勢崎賢治さんの『本当の戦争の話をしよう』を2015年1月15日に刊行いたします。伊勢崎さんが「気がついたときには、こちらが丸裸にされていた」と語る、2012年1、2月に福島県立福島高等学校でおこなった5日間の講義録です。まず、序章の「講義の前に」からお届けいたします。「紛争屋」がプレハブ校舎にて、高校生に本気で語った、日本人と戦争のこれから。ぜひお読みください。(編集部)

講義の前に


「経験者の話」を聞く前提

こんにちは。今日から5日間、みなさんと戦争、そして平和というものを考えていきたいと思います。休日に、こういうテーマの授業に志願して集まってくれた18人のみなさんは、高校生のなかでも、きっとユニークな人たちなんだろうと思う(笑)。今は高校2年生で、春から3年と聞いているけど、というと、何歳かな?

遅生まれは16歳で、だいたい17歳です。

そうか、若いね。僕の2人の息子よりも。僕が君たちぐらいのときだったら、休日を返上して授業に出るなんて、しなかっただろうな、絶対(笑)。

ふだん、僕は東京外国語大学という、世界で話されている26ヵ国の言語と、その地域の文化や政治を研究する大学で教えています。僕が受けもつ大学院のゼミに集まる学生は、全員外国からの留学生たちです。アフガニスタン、イラク、イラン、ミャンマー、ボスニア・ヘルツェゴビナなど、現在戦争や内戦の問題を抱えている国、もしくは大きな内戦がやっと終わり、再発の不安を抱えながら新しい一歩を踏み出しつつある国からやってくるんだ。そこで彼らと何をやっているかは、おいおい話しますね。

今は大学で働いていますが、その前の仕事場は彼らの側、紛争の現場でした。国連や日本政府の立場で、戦争や内戦で混乱している場所に行き、対立している武装勢力と交渉、説得して武器を捨てさせる―「武装解除」といいますが、そんな仕事をしていました。ずっと紛争を飯のタネにしているわけだから、自嘲気味に、他人の不幸で儲ける「紛争屋」と名乗っています。

12.26.2014

『理不尽な進化』「絶滅の視点から世界を眺める」ブックリスト



『理不尽な進化』刊行記念! 著者の吉川浩満さんに「絶滅の視点から世界を眺める」と題して、進化思想と人間存在をめぐる本を選んでいただきました! その数、42冊。『理不尽な進化』とあわせてお楽しみください。

★ブックフェアを開催してくださる書店さんを募集しております。吉川浩満さんがそれぞれの本へコメントを付した、配布できるB6サイズの小冊子をご用意します。ぜひご連絡ください。(編集部)

著者からのコメント
地球上に出現する生物種の99.9パーセント以上が絶滅してしまうことを知っているだろうか。しかもその多くは、能力が劣っているからというより、たんに運が悪いせいで滅んでしまうことも。おなじみの「適者生存」や「優勝劣敗」は、むしろ限られた状況でしか通用しないスローガンなのだ。生命の歴史は理不尽さに満ちている。そこで、普段あたりまえのように採用している「競争と生き残り」の観点ではなく、「絶滅と運」の観点から生命の歴史を眺めてみよう。すると、これまで見たこともなかったような眺望が開けてくるはずだ。

11.26.2014

イロイロイロ|第2回


下東史明

第2回 イロイロ違いとモノ違い

車体のイロに注目した、まったくあたらしい発想の鉄道本『トレインイロ』が、今回、電子書籍になりました。これを記念して、著者の下東史明さんに、イロとモノの見方についてのエッセイを寄稿いただます。このイメージはいったい何…? 第2回です。お楽しみください!(編集部)

『トレインイロ』
書籍版:
朝日出版社ウェブサイトAmazonhontoジュンク堂書店紀伊国屋書店楽天ブックス
電子書籍版:
honto楽天ブックスBookLiveE-honebookjapan | 紀伊国屋書店
★『トレインイロ』の壁紙ダウンロードできます。
http://www.asahipress.com/event/train.html
(全部で8種類。サイズはすべて1024×768ピクセル)

前回は三つの事例とともに、モノ一般を「正面以外から」「複数並べて」見ることの面白さについてご覧に入れました。
今回は図形のレイアウトを同じにしたまま色を変えるだけで、イメージが浮かぶ形象も変わる事例についてご紹介します。

正確な比率ではありませんがAは日の丸を抽象化したものです。


A


円の色を金色に、周囲を赤色に変換するとBになります。


B


これは一体、何でしょう。

10.09.2014

理不尽な進化 まえがき



本ブログで2011年から2013年にわたって連載していた『理不尽な進化』が、このたび書籍になります。2014年10月25日から書店店頭にならびはじめます。これまで連載を読んでくださってありがとうございます。大幅な加筆修正がなされ、最後にはおもわず息をのむ眺望がまっていますので、ぜひ本を手に取ってみていただけるとうれしいです。本の「まえがき」を公開いたします。(編集部)


ま え が き


この本のテーマ

この本は「理不尽な進化」と題されている。ちょっと変なタイトルかもしれない(私もそう思う)。そもそも、進化が理不尽であるとは、どういう意味だろうか。

私たちはふつう、生物の進化を生き残りの観点から見ている。進化論は、生存闘争を勝ち抜いて生存に成功する者、すなわち適者の条件を問う。そうすることで、生き物たちがどのようにしてその姿形や行動を変化させながら環境に適応してきたかを説明する。そこで描かれる生物の歴史は、紆余曲折はあれどサクセスストーリーの歴史だ。生き残った生物は、なんらかの点で生存に有利だったからこそ生き残ったのだから。