11.08.2013

末井昭
『自殺』 まえがき

元白夜書房の編集者・末井昭さんが、ぐるぐる考えながら書いてきた連載『自殺』が本になりました。これまで連載を読んでくださり、本当にありがとうございました。今回は、書籍版『自殺』のまえがきをお届けします。ぜひ書店店頭で手に取ってみてください(編集部)。


二〇〇九年に朝日新聞のインタビューを受けました。テーマは「自殺防止」でした。僕の母親が自殺していて、そのことを書いたり喋ったりしているので依頼されたのだと思います。そして、二〇〇九年一〇月八日の朝日新聞に次のような記事が載りました。


今年は、自殺者が過去最悪ペースだそうです。見つかっていない人なんかも含めれば、もっと多いはずです。ゆゆしき問題ですよね。
僕の母親は、僕が小学校に上がったばかりのころ、自殺しました。隣の家の10歳下の青年とダイナマイト心中したんです。僕の故郷は、岡山県のバスも通らない田舎の村で、近くに鉱山があって、ダイナマイトは割と身近なものだったのです。

物心ついたころ、母は結核で入院していて、うつるからとお見舞いも行けなかった。だから、退院したときはうれしかったですよ。治る見込みがないから退院したんですけどね。母は優しかったが、不良になってました。貧乏だった僕の家のわずかな家財や畑まで売ってぜいたくを始めた。昼間、父が働きにいってる間、いろんな男の人が家に出入りするようにもなった。毎日、夫婦げんかです。ある日、けんかの後、母はプイッと出て行って、数日後に爆発しました。退院から1年ちょっと。32歳でした(いい加減なもので、僕はこのとき母親の歳を間違えていました。30歳でした)。

その後、一緒に爆発した青年の両親には責められたし、事件を起こした家として白い目でみられた。だけど田舎は大きな家族みたいなものだから、学校の先生や村の人たちがよくしてくれて、それほど心に深い傷を負いませんでした。ただ東京に出てきても長い間、母のことは人に言えなかった。それでもある時、芸術家の篠原勝之さんに話したら、ウケたんです。純粋な笑い話として。純粋っていうのは、同情を込めずに笑ってくれたということで、それは篠原さんの優しさだった気がします。