末井昭
『自殺』 まえがき
元白夜書房の編集者・末井昭さんが、ぐるぐる考えながら書いてきた連載『自殺』が本になりました。これまで連載を読んでくださり、本当にありがとうございました。今回は、書籍版『自殺』のまえがきをお届けします。ぜひ書店店頭で手に取ってみてください(編集部)。
二〇〇九年に朝日新聞のインタビューを受けました。テーマは「自殺防止」でした。僕の母親が自殺していて、そのことを書いたり喋ったりしているので依頼されたのだと思います。そして、二〇〇九年一〇月八日の朝日新聞に次のような記事が載りました。
今年は、自殺者が過去最悪ペースだそうです。見つかっていない人なんかも含めれば、もっと多いはずです。ゆゆしき問題ですよね。
僕の母親は、僕が小学校に上がったばかりのころ、自殺しました。隣の家の10歳下の青年とダイナマイト心中したんです。僕の故郷は、岡山県のバスも通らない田舎の村で、近くに鉱山があって、ダイナマイトは割と身近なものだったのです。
物心ついたころ、母は結核で入院していて、うつるからとお見舞いも行けなかった。だから、退院したときはうれしかったですよ。治る見込みがないから退院したんですけどね。母は優しかったが、不良になってました。貧乏だった僕の家のわずかな家財や畑まで売ってぜいたくを始めた。昼間、父が働きにいってる間、いろんな男の人が家に出入りするようにもなった。毎日、夫婦げんかです。ある日、けんかの後、母はプイッと出て行って、数日後に爆発しました。退院から1年ちょっと。32歳でした(いい加減なもので、僕はこのとき母親の歳を間違えていました。30歳でした)。
その後、一緒に爆発した青年の両親には責められたし、事件を起こした家として白い目でみられた。だけど田舎は大きな家族みたいなものだから、学校の先生や村の人たちがよくしてくれて、それほど心に深い傷を負いませんでした。ただ東京に出てきても長い間、母のことは人に言えなかった。それでもある時、芸術家の篠原勝之さんに話したら、ウケたんです。純粋な笑い話として。純粋っていうのは、同情を込めずに笑ってくれたということで、それは篠原さんの優しさだった気がします。
以後、こうして自殺についていろいろ話すようになったのですが、僕は必ずしも「自殺はダメ」とは思っていません。もちろん死ぬよりは、生きていた方が良いに決まってます。でもしょうがない場合もあると思います。人間社会は競争だから、人をけ落とさなければならない。時には人をだますこともあるでしょう。でも、そんなことしてまで生きたくないって思うまじめな人、優しい人に「ダメ」と、分かったようなことは言えないですよ。まじめで優しい人が生きづらい世の中なんですから。
でも、生きたいのにお金のことで死ぬのは、バカバカしいからやめた方がいいですよ。警察庁の統計だと、自殺の動機は経済・生活問題が23%で健康問題に次ぐ2位だそうです。借金なら何とかなります。僕はバブルのころ、大もうけしようと不動産や先物取引に手を出して、億単位の借金をつくりましたが、やけくそになって返すのやめました。弁護士を立てて話し合って一部の銀行の分はほぼチャラになりました。
お金持ちは「日本は自由競争で、だれにでもチャンスがある。お金がないのは、あなたが努力しなかったから。貧乏は自己責任」と言います。だけど今後、経済は縮小するし、格差も広がって、お金はますます行き渡らなくなる。だから、お金がないのは、あなたが悪いんじゃない。社会が悪い。社会が悪いのに、あなたが死ぬことはないんです。
僕自身の話をします。10年ほど前の僕は最悪でした。当時、今の奥さんと付き合っていて、30年も一緒だった前の奥さんのところを飛び出した。49歳。分別盛りなのに無分別なことをするって初めは、何か格好良いみたいな気持ちもありました。だけど、今の奥さんも別の人と結婚していて、なかなか飛び出してこない。拍子抜けして、がっかりしていたらうつうつし始めた。一緒に暮らすようになっても朝、起きると「生きてても何にもおもしろくない」なんて言われて、それは自分のせいだと思ってますます落ち込む。気持ちの整理がつかなくて、泣きながら近所を歩き回ったこともありました。
そんなとき、会社のホームページに日記を書き始めました。花が咲いたとか、ひざが痛いといったほんの身辺雑記なのですが、たまに知り合いに「読んだよ」なんて声をかけられて、窓ができたような気持ちになった。死にたいと思っている時は、窓がない、出口がないと感じている。悩みについて考え始めると、人に言えなくなって、自分の中で堂々巡りが始まります。ひとりで悩んで、考えても問題は解決しない。
だから、まず「死のうと思っている」と周囲に言いふらして、窓を開けることです。死のふちで迷っている人の話は、みんな真剣に聴いてくれるはずです。話しているうちに、何とかなるのに、その発想がなかっただけだった、と気づくこともあるんじゃないかな。僕も前の奥さんと暮らしていた時、愛人からの「私、死ぬから」って電話があって、夜中の2時でしたが飛んでいきました。……。話がちょっと違いますか。
世の中、自殺について覚めているような気がします。交通事故死者の3倍も多いのに「最悪ペース」を報じる新聞の記事もあまり大きくなかった。熱心に自殺防止に取り組んでいる自治体やNPOもありますが、おおかたの人は自分とは関係ない話だと思ってるんでしょう。もしくは自殺の話題なんか、縁起悪いし、嫌だと目を背けてる。結局ね、自殺する人のこと、競争社会の「負け組」として片づけてるんですよ。「負け組だから死んでもしょうがない」「自分は勝ち組だから関係ない」と。「ああはなりたくないね」と。
死者を心から悼んで、見て見ぬふりをしないで欲しいと思います。さっきも言いましたけど、どうしても死にたいと思う人は、まじめで優しい人たちなんです。みんなが心から悼んで、1年に3万人も死ぬ事態を議論するようになれば、何を変えなきゃいけないか見えてくる。それが一番の自殺防止になるんじゃないか、と考えています。
この記事を読んだ人から、何通かの手紙や葉書をもらいました。息子さんが自殺したお父さんから来た、「息子は優しい子でした。あの記事を読んで涙が出ました」という手紙もありました。
勤め先の白夜書房に訪ねて来た人も一人いて、その人は中年の男性でした。お母さんと二人でユートピアのような生活をしていたそうですが、最愛のお母さんが亡くなってしまったので、自殺を考えているということでした。いきなりそんな話をされて、どう対応していいのか戸惑いました。それで、楽に死ねる方法をあれこれ研究されているようで、それを本にしてもらいたいと言うのですが、結果的に自殺を勧める本になるので断りました。それから会っていないのですが、その人がどうなったかときどき気になります。
それから半年ほどして、朝日出版社の鈴木久仁子さんから、自殺について本を書いて欲しいという手紙が来ました。「えっ、また自殺?」とそのとき思いました。僕を訪ねて来た自殺志願の人のことが頭をよぎりました。自殺のことを迂闊に書けば今度は何が来るかわかりません。しかし、それを断れば、僕が「おおかたの人は、自殺する人を自分とは関係ないことだと目をそむけている」と言ったことに間接的になるんじゃないかと思ったりしました。そうは思いながらも、楽しんで書ける原稿じゃないので気乗りがしません。
鈴木さんの手紙には、面白く読める自殺の本がないので、そういう本を書いて欲しいと書いてあったのですが、「面白い」と「自殺」が僕の中で結びつかず、どうしようか迷っていました。そして、迷いながら鈴木さんと会うことになりました。
僕もそうですが鈴木さんも人見知りする人らしく、会話が途切れ途切れになりながらも、熱心に自殺の原稿を書くことを勧めてくれました。僕は断ろうと思っていたのですが、鈴木さんの熱心さに断りきれず、書くかどうかを曖昧にして自殺について思っていることの断片をボソボソ話したと思います。
それからときどき、鈴木さんと会うようになりました。ときには「自殺の現状」とか「自殺実態白書」とか、自殺に関する資料など持ってきてくれるのですが、そういうのを見ると余計に書く気が起こらなくて、申し訳ないと思いながら、いつの間にか一年近く経っていました。
そして、あの東日本大震災が起こりました。二万人の犠牲者を出した大災害でした。
あまりにも大きな災害に、驚いたり悲しんだりするばかりでしたが、そのうち落ち着かない気持ちになってきて、自分も何かしないといけないのではないかと思うようになりました。漠然とですが、何か人の心に届くようなことがしたいと思うようになったのです。
といっても、僕は原稿を書くことぐらいしかできないので、いま自分に与えられている、「自殺について書く」ということに取り組んでみようと思い始めたのです。しかし、自殺に関する知識があるわけでもないし、統計的なことにはまったく興味がなかったので、書くとすれば自分の体験を書くしかありません。
僕はこれまで自殺しようと思ったことは一度もありません。しかし、母親が自殺したり、借金地獄になったり、うつになったり、恋人が自殺未遂したり、自殺の入口のようなところにいたことが何度かあります。僕がデリケートな人間だったら、ひょっとしてその入口をくぐっていたかもしれません。そのときのことを面白く書ければ、「こんな奴でも生きていられるんだ」と、笑ってもらえるかもしれません。笑うということは、自殺スパイラルから抜け出すことにもつながるのではないかと思いました。
ということで、朝日出版社第二編集部ブログで、二〇一一年の五月から『自殺』という連載を月一回のペースで書かせてもらうことになりました。この本は、その連載を一部加筆してまとめたものです。
この連載が後半に差しかかった頃、担当の鈴木さんから「『自殺』は月に一度のオアシスです」というメールが来ました。安らぎになっているのかなと思って嬉しくなりました。僕も毎回書くときは辛いのですが、書き終わったときは達成感のようなものがあり、いつも嬉しくて小躍りしたりしていました。そしていつの間にか、『自殺』が自分の生きがいのようになっていたのでした。
二〇一二年に会社で不祥事があり、責任をとって辞めることにしたのですが、辞めてから自分が何をしたらいいのかわからなくなるのではないかという不安がありました。でも、「『自殺』があるから大丈夫だ」と思ったら、不安はなくなりました。『自殺』がオアシスだったり、生きがいだったり、不安解消だったり、自殺しようとしている人には大変申し訳ないのですが、『自殺』に助けられたように思います。
連載を始めてからツィッターをやるようになったのですが、『自殺』の連載を読んで「救われる」とか「グサーッときた」とか「面白くて一気に読んだ」とか呟いてくれる人がいて、その人たちにもずいぶん励まされました。そして、なんとか二年間書き続けることができました。
自殺というとどうしても暗くなりがちです。だから余計にみんな目をそむけてしまいます。自殺のことから逸脱したところも多分にあると思いますが、笑える自殺の本にしよう、そのほうがみんな自殺に関心を持ってくれる、と思いながら書きました。この本を読んで、ほんの数人でもいいから自殺していく人のことを考えてくだされば、少しは書いた意味があるのではないかと思っています。
2年間、お読みくださった皆様、ご感想を寄せていただき、末井さんを励ましていただき、ありがとうございました。書籍版もどうぞよろしくお願いいたします。(編集部)
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