人類の夜明けをめぐる本棚会議
本棚会議vol.2『先史学者プラトン』刊行記念
<前編>
本棚案内 山本貴光+吉川浩満 井手ゆみこ(ジュンク堂書店人文書担当)
5月25日にジュンク堂書店池袋本店さんで行われた「本棚会議」の様子をお届けします。本棚会議とは、ジュンク堂書店池袋本店4Fの人文書フロアで開催しているイベントで、本棚のあいだで話を聞き、時には棚をまわってたくさんの本を眺めながら、著者の方とそぞろ歩く会です。今回は第2回の本棚会議とのこと、『先史学者プラトン』を翻訳された山本貴光さん・吉川浩満さんと、ジュンク堂書店池袋本店・人文書ご担当の井手ゆみこさんが、本棚をご案内してくださいました。冒頭、井手さんが『先史学者プラトン』のことを、ちょっと謎につつまれた本だとおっしゃいますが、さて、どんな本棚めぐりになるのか。ぜひどうぞ。(編集部)
井手:「本棚会議」は、いつも、当店の喫茶でやっているトークイベントとは違って、もうちょっと先生たちと近い距離で、しかも棚を見ながら、気軽にお話を聞けるというイベントです。今回は、実際に棚をまわりながらお話いただけるということで、一般のお客様もいらっしゃるので、ゆずりあって見ていただけたらと思います。
吉川:営業時間内なので、本もご購入可能ですので。たくさん本を買いたい人はかごをお持ちになると、楽かもしれないですね。
まず、『先史学者プラトン』のことをちょっとご説明すると、プラトンという古代ギリシアの哲学者の著作を実際の考古学のいろんな案件と付き合わせていったらどんなことが見えてくるのか、っていう感じの本です。若干……なんていうか、ちょっとやばいところにも踏み込んだ、面白い本です。
『先史学者プラトン』について語る |
山本:うん、ポイントとしては、プラトンの時代から見て、数千年前の歴史の話をプラトンが描いているということがある。それはアトランティスという帝国が出てくるお話なんですが、そのプラトンの対話篇自体が、与太話なのか、ほんとに歴史を書いてあるのか。そうした解釈もいろいろあるわけです。この著者のメアリー・セットガストさんは、いったん、プラトンは歴史を書いてるという立場に立って検証してみましょうと提案しているのですね。で、そのときの材料は、先史時代なので、文字資料じゃなくて、考古学による物的資料なんです。それをいっぱい付き合わせて、さあ、プラトンが書いたことは物語なのか事実なのか、それを検証しようっていう内容です。
吉川:そもそも、副題の紀元前1万年―5千年っていうのが、まず、インパクトありますよね。
山本:うん。
吉川:もちろん、紀元前1万年っていう時代があったであろうことは、われわれも薄々知ってはいるんですけれども、でも、まあ、その時代にどんな文化があったのかっていうのは、じつのところわれわれはよく知らなかったりする。なんとなくの常識だと、紀元前4千年とか、だいたい四大文明(メソポタミア文明・エジプト文明・インダス文明・黄河文明)と呼ばれるようなものが出てきたあたりから人間は人間っぽくなったみたいなイメージあると思うんですけど、じつはぜんぜん違っているという。
山本:そうね。もうひとつつけ加えるなら、先史とは歴史以前ですね。で、なにが有史で、なにが先史かという区別は、先ほども少し述べたように文字が使われていたかどうかです。これも、いろんな意見や説があるものの、一応、いまのところ、最初期の文字は、紀元前3千年ぐらいの古代メソポタミアの楔形文字ということになります。
さっき吉川くんがいった、副題の1万年から5千年とは、それより前の話です。ただし、その時代にも、なんだか文字っぽいものはあったという見解もあります。そこは今後揺れ動くかもしれません。今日のところは、とりあえず紀元前3千年ぐらいで先史と有史が区切れると仮に置いておきましょう。
吉川:あともう一個、また雑談。哲学にご興味ある方にも、プラトンっていうのはちょっと特別な哲学者です。さっき、文字以前・以降っていうのは先史時代と歴史時代を分けるメルクマールだっていう話がありましたけれど、哲学においてはプラトンが、まあ、思考における文字以前と文字以降のメルクマールといえるわけで。プラトンの師匠のソクラテスは、有名なことですけれども、文字を書き残さなかった。
山本:自分では作品を残さずに、弟子のプラトンがぜんぶ、「先生はこう言いました」というかたちで、対話篇で書き残しているんですね。といっても、その対話自体、ソクラテス先生が文字通りそう述べたのか、プラトンの創作なのかは分からないわけですけれど。
吉川:そういう意味ではけっこう、複数のレイヤーというか視点から、文字の以前と以降っていうのを、見られるかもしれない。
山本:そうだね。
井手:棚をまわるまえに、もうちょっとだけいいですか。ちょっと気になっていたんですけど、『先史学者プラトン』の原著というか、この本自体がどういう位置にあるのか、あとは、これを出すことになったきっかけなどを教えていただければ。ちょっと謎につつまれた本なので。
山本:そうですね。今回、訳者あとがきを入れてないので、けっこうお叱りをいただいていることもあるので、ここで弁明してから進みましょうか。
著者のメアリー・セットガストさんという方は、ご自身で、なんと自称してたっけ。
吉川:インディペンデント・スカラーだね。
山本:うん、独立研究者という肩書で、つまりアカデミアなどに所属しないかたちで研究をして、ものを書いて発表するっていう方です。著作としては、今回私たちが訳した『先史学者プラトン』と、それから『ザラスシュトラが語った時代』(When Zarathustra Spoke)という、続編みたいなものがもう一冊。さらに、マルセル・デュシャンがモナリザにひげを書いた、いたずらみたいな絵があるんですけど、その絵を書名に冠したモダンアートの話をした本(Mona Lisa's Moustache: Making Sense of a Dissolving World)がもう一冊あります。著作としては、その3冊です。翻訳はこれが初めてですね。
吉川:いいとこ突いてるっていうか、どれもおもしろそう。ザラスシュトラについての本は、ニーチェの有名な『ツァラトストラかく語りき』と対比させたうえで、『ザラスシュトラが語った時代』と、ちょっとずらしたタイトルにしてある。
山本:つまり、ザラスシュトラがいつごろの人かということを、同じように考古学的に追い詰める。この本の最後のほうも、実はそういう議論をしている。
で、『先史学者プラトン』については、私が調べた狭い範囲だけれど、専門家からも好意的な書評が複数出ていました。まあ、その……そんなに変な本ではない(笑)。
ただし、プラトンが書いた古代の戦争の話が、彼女が同書で仮説として言っているようなマドレーヌ文化(後期旧石器時代末、西ヨーロッパに広がった文化。ラスコーほか多くの洞窟芸術が作られた)の時代に起きた戦争のことなのか否かは確認のしようがない。今日の最後にもうひとつのテーマとしてその話になると思いますが、ある意味、知の限界を探るこころみでもある。
それについてせっかくなので一冊だけご紹介しますと、マーカス・デュ・ソートイという数学者が『知の果てへの旅』という本を書いておりまして、この翻訳が、新潮クレスト・ブックスから出たばかりです。
『知の果てへの旅』 |
吉川:この階にはないですかね。あとで探してみてください。文学の棚にあるので。
山本:『知の果てへの旅』は、自然科学における知の果ての話をしています。たとえば、サイコロをふったとき、これは偶然の出来事なので、人間にはどの目が出るか、完全に当てることはできない。どうしてそうなのか、なぜこんな簡単なことを人間が予測できないのか。この疑問に対して物理、量子論、確率統計、複雑系の理論など、いろんな角度から自然科学における知の限界をたどる。そういう旅に連れていってくれるのが、ソートイさんの本。
で、セットガストさんのこの本は、いうなれば人間の歴史についてやっている。過去、人間はいろんなことをやってきたけれど、どこまでその実像に迫れるか。過去の出来事という、知の果てに迫ろうという、そういう旅です。この2冊を並べると、またさらに面白いんじゃないかなと思います。
吉川:この本は翻訳が今年出たので、新しい本だとお考えの方もいらっしゃるかもしれなくて、そうだとしたら申し訳ないんですけど、原著の刊行は1987年です。底本にしたのは1990年の版ですけど。なので、まあ、けっこう古いっちゃあ、古い。だからそのあいだに、考古学上のいろんな発見もあったかもしれない。そこはまた、個別にキャッチアップする必要があるかな。
井手:じゃあ、さっそく棚をまわりましょう。
山本:今日は、ざっくばらんに行きましょう。もし、途中でなにかあったら、いつでもおっしゃってください。
吉川:もし購入をご検討されている本とかあったら、尋ねていただければ。「あり」とか「ありとは言えない」、とか「やれたかも委員会」みたいにお答えしますので(笑)。
●哲学・思想棚(古代哲学/中世哲学):プラトン棚
プラトン棚 |
吉川:みなさんの大好きなプラトンの棚が、こちらになります。
山本:プラトンの邦訳は、これまで角川書店と岩波書店から出ていますけれど、両方とも品切れで、古書でしか手に入らない(後で確認したら、ジュンク堂書店池袋本店には在庫稀少書の棚に岩波版『プラトン全集』が一部ありました)。近年、新しく水崎博明さんが訳した『プラトーン著作集』(櫂歌書房)が刊行されましたね。これ、ぜんぶ訳したのかな。
吉川:完結したって、月曜社の小林浩さんがおっしゃっていたよね。
山本:いま、プラトンの著作を読もうと思ったら、この翻訳か、あとは……。
吉川:これだね。岸見一郎さん訳のプラトン『ティマイオス/クリティアス』(白澤社)。『先史学者プラトン』のいちばんのソースになっているのが、『ティマイオス』と『クリティアス』の2作品なんですよね。これをですね、大ベストセラー『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社)の岸見一郎さんが翻訳された。岸見さんは、一般読者にはアドラー心理学で有名になりましたけれど、もともとは西洋の古典ギリシア思想の研究者で、この翻訳は2015年の秋に出たばっかり。しかも、狙い澄ましたように、なぜか『ティマイオス』と『クリティアス』を翻訳した。
『ティマイオス /クリティアス』 |
山本:そう。しかも、その2作品は、私が知る範囲では文庫版がないんだよね。プラトンの著作は、岩波文庫、ちくま学芸文庫、講談社学術文庫、光文社古典新訳文庫にけっこう入っているのに、この2作品はなぜだか入らない。まあ、中身も、他の対話編に比べると特殊なんだけれども。
吉川:ひょっとしたらアトランティスなどに対する学術系の人たちの偏見があるのかもしれない。まあ、それを打ち破ろうというのが、この『先史学者プラトン』であり、『ティマイオス/クリティアス』の翻訳だね。
山本:なにしろ宇宙開闢から、世界がどうやってできたかという天地創造の話をしちゃっている。読みようによっては、かなりオカルトな感じの内容でもある。まあ、だから、逆に面白いんだけれどね。
吉川:今日ね、ちょっと予習のために、『クリティアス/ティマイオス』版元の白澤社ブログを見てみたの。はてなブログにあってね。じつは2012年にはもう翻訳の原稿ができていたらしい。ただ、出そうとしたんだけれど、アトランティスの話は、まさに、大地震と大津波の話でしょう。ちょっとだけ見送ろうかといっているあいだに、こんどは岸見さんが『嫌われる勇気』で大ベストセラー作家になって……みたいな感じで、二度の延期のすえにようやく出たとのこと。ほんとにお勧めですよ。『嫌われる勇気』をお読みになった方は、たぶん、このなかに5人ぐらいはいらっしゃるんじゃないかと思うんですけど、これもいいと思います。
山本:ただ、いま在庫が……。
吉川:1冊しかない。みなさんもちょっとね、ガツガツいくのはどうかなとか思っても、ここはひとつ、嫌われる勇気を発揮して、手に取っていただきたいですね。
山本:誰がうまいこと言えと(笑)。ひょっとしたら、いきなりプラトンを読むのは、ちょっと大変かなっていう方もいるかもしれない。
吉川:そうだね。
山本:なにを一緒に読むといいだろうね。
吉川:こんなこと言っちゃなんですけど、まあ、なんでもいいんですよね。ホワイトヘッド(アルフレッド・ノース・ホワイトヘッド)という哲学者がですね、西洋のすべての哲学はプラトンへの脚注にすぎない、と言ったくらいで。ただ、それだとアレなんで、ちょっと絞ると。……個人的に好きなのはですね。
山本:うん、ある?
吉川:あのね、エリック・ハヴロックっていう人の『プラトン序説』(新書館)が好きで。
山本:ああ、あれはいいね。
『プラトン序説』 |
吉川:あるかと思ったんですけど、何年も前に品切れになってるようです。さっき山本くんが話した、先史時代と歴史時代は書きものがあるかないかで分かれるっていう話と関係するんですけど、『プラトン序説』は、まさにプラトンの時代に思考のメディアが話し言葉から書き言葉に移行したという具合に、一種のメディア論としてプラトンを読む本ですね。
山本:そうだね。
吉川:じゃあ、あれって、もうない? 岩波文庫のブラックの『プラトン入門』って、もうない?
山本:ああ、どうだろう。品切れになってるかな。あれは確かに入り口としてはいいよね。
『プラトン入門』 |
山本:そういう意味では、後で岩波文庫の棚をご覧になるといいですね。あと、ついでながら、京都大学学術出版会から出ている「西洋古典叢書」という翻訳シリーズがあります。これは古典ギリシア語とラテン語の名著を端から全部訳しましょうという、途轍もない企て。
吉川:頭のおかしい。
山本:うん、ちょっと頭のおかしい感じの叢書ですが(笑)、既に百数十巻出ていて、全部読むのは大変なんですけど、なかには……あ、そうそう、思い出した。『プラトン哲学入門』っていう巻があって、これはけっこうお勧めの本でもあります。
『プラトン哲学入門』 |
吉川:ただね、山本くんの言うことにはちょっと気をつけないといけないところがあって、話を聞いて、お、ふつうの入門書か、なんて思って読むと痛い目に遭うかもしれませんよ。なにしろ2千年ちかく前の本だからね。
山本:そうそう(笑)。あと、これはプラトンからずれますけど、このシリーズのアテナイオスの『食卓の賢人たち』というのは非常に面白いですね。テーブルトークというか、食卓を囲んで、いろんな食材のこととか、動物のこととか、お酒のことなんかをしゃべる。たとえば、キャベジンってあるでしょう。食べ過ぎに効くのはキャベツだという話はこの中に出てきたりする(笑)。
『食卓の賢人たち』 |
吉川:そこから来ているわけね。
山本:そうそう、面白エピソードがいっぱい出てくる本で、これはお薦め。まあ、岩波文庫にも抄訳があったと思うので、まずはそちらでお試しになるといいですね。
あと、これはただのついでなんですけど、ついこの前「書物復権」という、昔出ていた本の復刊企画で、白水社の『古典ギリシャ語入門』が出ました。プラトンや、ここに並んでいる古典ギリシア語の原典は、古代ギリシア語で書かれておりまして、それを勉強したい方にうってつけの一冊です。なんとCDもついております(笑)。これはけっこうお手頃で、まずこの一冊をやっておくと取り掛かりやすいかと。
『古典ギリシャ語入門』 |
『古典ギリシャ語入門』はそこに平積みになっています。私も1冊買って帰ろう。
吉川:ちなみに、素朴な疑問なんだけど、これに入っているCDは、いちおう、復元してしゃべっているわけ? 古代ギリシア語を。
山本:そう。そこが面白くって、古代ギリシア語って朗読者の母語によって発音がちょっと違ったりするの。あとでユーチューブで、たとえば「ホメロス」と「朗読」で検索して、イギリス人が朗読しているのと、フランス人が朗読してるのと、ドイツ人、イタリア人とくらべると、発音が微妙に違っておもしろいです。
吉川:これは日本人が。
山本:そうだね、吹込みは日本の人だね。
吉川:……ほんとだ。「吹込み者」っていうクレジットがある。すごい、生まれて初めて見た。
●哲学書:近代哲学の棚
近代哲学の棚 |
吉川:せっかくなので、注目のものがあればその都度。
山本:そうだね。
吉川:まず、これでしょう。スピノザの『知性改善論』(みすず書房)。……ただ、こういう高い本ばっかりお勧めしても、ちょっとみなさんに申し訳ないので、安い本も探しましょうか。
『知性改善論』 |
山本:そうね………。でも、このあたりの本はだいたい……
吉川:高いね(笑)。買うときは値段あんまり見ないけど。
山本:どの哲学書を読むときも、プラトンのことを気にしている人が多いから、結局プラトンを読んでおかなきゃっとなりそう。
吉川:あと、ここがジュンク堂さんならではのフランス棚ですね。フランス語の原書が並んでいる。先日ニュースにもなった、ミシェル・フーコーの『性の歴史』はありますよ(未完だった第4巻『肉体の告白』がフランスのガリマールから刊行)。
『哲学用語図鑑』 |
井手:1冊だけですね。
吉川:ほしい人がいれば、ふたたび嫌われる勇気を発揮して。
隣の入門書コーナーに移ると、まず、私たちの友人の斎藤哲也がつくった『哲学用語図鑑』(プレジデント社)。これね、『続・哲学用語図鑑 中国・日本・英米(分析哲学)編』と合わせて2、30万部売れてるらしい。すごく売れてる本で、確かにわかりやすくてかわいい絵で説明してあって、たいへん明快。ビジネスマンの基礎教養みたいなものも念頭に置いているようです。
山本:哲学入門的な本、他になにかあるかしら。
『まいにち哲学』 |
あと、私、これもけっこう好きです。『哲学大図鑑』(三省堂)。
山本:あ、それはいいね、三省堂の。
吉川:3800円してちょっと高いけど。こういうふうにグラフィカルで、中身もちゃんとしている。
『哲学大図鑑』 |
井手:じゃあ、現代哲学の棚に。
●哲学:現代哲学の棚
吉川:おそらく19世紀ぐらい、マルクス主義からこっちが、この棚ですかね。
山本:うん。
吉川:ちょうどマルクスは、今年で生誕200周年なので。まあ、われわれの世代では、マルクスって、当然のように知ってるんですけど、ちょっと若い人からすると、誰それって感じかもしれない。私の友人が……言っていいのかな、マルクスっていう言葉をツイートすると、気のせいかもしれませんよ、本人談ですけど、マルクスってツイートすると、フォロワーが、パタパタパタって……。
現代哲学の棚 |
山本:減る?
吉川:って。
お客さん:減るの!? そんな効果が。
吉川:とても偶然とは思えないって。まあ、それを聞いて、ちょっとマルクスを応援したくなりましたね。ここにたくさんあります。まあ、この辺の本は全部いいですね。全部いい。
山本:ちょうどいま、岩波ホールで『マルクス・エンゲルス』(ラウル・ペック監督)という映画をやっているね。
このあたりでは、『先史学者プラトン』としてはどこに目をつけておけばいいかな。
吉川:そうだねえ。やっぱりニーチェかな。『ツァラトゥストラ』の著者でもありますから。内容的に深い連関があるわけではないけれど。
山本:創作だからね。
吉川:ニーチェのツァラトゥストラはとくに歴史的なザラスシュトラに立脚してるわけではないけれども、たいへんおもしろいので読んでみてほしいです。ちょうど中公文庫プレミアムから手塚富雄訳『ツァラトゥストラ』の改版も出ました。
井手:文庫のコーナーが3階にありますんで。
吉川:ぜひ文庫コーナーを探検してみてください。
『散種』 |
山本:ちょうど新しい翻訳で、読みやすくなって。
吉川:5800円するんですけれどねー。でも、とてもいいですね。
山本:あと、ついでにちょっと関係するのはこのへんで、カンタン・メイヤスーの『有限性の後で』(人文書院)とか。これ、フランスの……
吉川:思弁的実在論。
『有限性の後で』 |
山本:そう、思弁的実在論という議論が一部で盛り上がっていますが、これもまた、実は「知の果てへの旅」というか、人間はどこまでものを知ることができるんだろうという疑問がベースになっている。
たとえば、『先史学者プラトン』に出てくるような、数千年前、数万年前の世界の出来事を、私たちはどうやって知ることができるか。ひとつの手掛かりは、炭素の放射性同位体(炭素14が窒素14に壊変する性質を用いて、生物遺体の生存した年代を測定する方法)を使って、いつぐらいのものなのかを推定する方法があったりします。そういうものを使えば、人間がいなかった時代のこともわかるのか、わからないのか。そういうお話を根底に置いている議論ですね。
思弁的実在論、人新世 |
吉川:知識というのは人間というフィルターを介して初めて成り立つというのが近代哲学の常識だけれども、この人たちは、いやいや、われわれの知識はそういう人間の枠を本当に離れられないのか、離れてものを知ることができるんじゃないのか、そういうことを考えようとしている。
山本:そうそう。
『人新世とは何か』 |
吉川:そういうモチーフが、はたしてどれだけ妥当かどうかというのは置いておくとしても、考古学っていうのはある種、そもそもがそういう学問なんだよね。
それとも関連するのですが、(下の棚にある『人新世とは何か』(青土社)、『人新世の哲学』(人文書院)を手に取って)この「人新世」って、ご存じの方いらっしゃるかわからないんですけど、アントロポセンといって、人間の時代、人の時代っていう意味の言葉です。
井手:人新世って、けっこう注目されていると思うんですけど、いまいち、こう、理解が。
『人新世の哲学』 |
吉川:これ、なにかっていうと、地質年代の話で。いまは完新世ということになっているけれども、地質年代の新しい年代が提案されていて、その名前が「人新世」っていうんですよ。人間の影響をもろに受けた時代っていうことですね。
現在の地球の地質年代は、完新世じゃなくて、もはや人新世と呼ぶべきであるというような段階に入っているっていう説がある。説があるというか、もう、国際的な学者共同体の同意を得て、おそらく数年以内ぐらいには正式に採用されるんじゃないかといわれています。そうなったら教科書なども書き換えられるはず。
で、これって、いつからだと思います? 人新世って。私ね、初めてその言葉を聞いたときは、新石器時代かなとか、産業革命あたりかなとか思ったんですけど、なんと1950年ごろからだって。
お客さん:へえ~。
吉川:なんかすごくないですか。
山本:うん。
吉川:なんでかっていうと、土を掘って地質学的な調査をすると、プラスチックとか、あと核実験のプルトニウムとか、そういうのが突然、だいたい1950年ぐらいを境に出現するらしい。グレート・アクセラレーションっていうんですけど。それで、もう明らかに、人間の主観を外しても、どうも1950年代ぐらいを地質年代の変わり目と見るしかないっていう話になっている。
ただ、それにしても細かすぎねえかと思いません? だって、地質年代って何億年とか何千万年の単位で決まるものと思っていたら、1950年って。なにそれ、みたいな。でもまあ、実際、そういうふうな話で、ちょっとおもしろい。
もともと人間っていうのは、地球に住んでいる生物のたったひとつにすぎないわけだけれども、でも、逆に地球全体が、そういう人間の影響をもろに受けているっていう。
山本:最近の科学ニュースでも、海や水道から水をとってきて調べると、プラスチックの細かいゴミが出てくるとか、砂浜もそうなってるっていう話が、よく話題にのぼりますね。そういう影響が地質学のような、それは長い長いスパンでやってるはずのところでも見えてきちゃった。
吉川:意義みたいなところでいうと、こんなふうにも考えられる。おおざっぱにいうと、20世紀後半以降の思想っていうのは、どんどん人間中心主義から離れていこうっていう方向性があったわけです。自分たちは主役なんかじゃないって、たとえばさっきのデリダみたいな人もそう言ってきた。でも、客観的に地層を見ると、どんどん人間の悪行の記録が累積していって人間が主役みたいになっているっていう現象がある。これ、私はとても興味深いと感じます。
井手:非人間中心主義の思弁的実在論の本と、人間の時代という意味の人新世関連書。
吉川:そうそう。それが同時代的に共存している。
[→後編へ続く]
プロフィール
★山本貴光(やまもと・たかみつ)
文筆家・ゲーム作家。1971年生まれ。コーエーにてゲーム制作に従事後、2004年よりフリーランス。著書に『文学問題(F+f)+』『「百学連環」を読む』『文体の科学』『世界が変わるプログラム入門』『コンピュータのひみつ』など。共著に『高校生のためのゲームで考える人工知能』(三宅陽一郎との共著)、『脳がわかれば心がわかるか』(吉川浩満との共著)など。
★吉川浩満(よしかわ・ひろみつ)
文筆業。1972年生まれ。国書刊行会、ヤフーを経て、現職。関心領域は哲学・科学・芸術、犬・猫・鳥、卓球、ロック、単車、デジタルガジェットなど。著書に『理不尽な進化』、共著に『脳がわかれば心がわかるか』『問題がモンダイなのだ』(山本貴光との共著)、翻訳に『マインド 心の哲学』(J・R・サール著、山本との共訳)など。7月に新刊『人間の解剖はサルの解剖のための鍵である』を刊行予定。
★井手ゆみこ(いで・ゆみこ)
ジュンク堂書店勤務。人文書担当で「本棚会議」を担当している。(ちなみに、加藤陽子さん『戦争まで』の連続講義は、ジュンク堂書店池袋本店さんで開催したのですが、その際、大変お世話になった方のお一人です。編集部)