5.03.2011

山本貴光
第1回 書物はつながりあっている

これから月に二度ばかり、「書物の海のアルゴノート」と題して、ブックガイドを務めせていただきます。今回は、連載全体への前口上がてら、このブックガイドで試みたいことについてお話ししてみます。

古くは古代シュメールの楔文字が刻まれた粘土板からこの方、人類はほとんど無数と言いたくなるほどの書物やそれに類するものをつくってきました。その量は、年を下るにつれて、さまざまな技術の発明・革新とともに増え続けています。

その厖大な書物の海を旅してまわりながら、そこここで目にしたものを報告する。そんな気分を表したいと思って、古代ギリシアの冒険譚『アルゴナウティカ』にあやかってタイトルをつけてみました。黄金の羊の毛皮を求めて龍と戦うわけではありませんが、毎回、或るテーマを決めて、それにまつわる書物を何冊か選び、これをご紹介しようという趣向です。

対象とする書物やその範囲は特に制限しません。古今東西を問わず、分野を問わず、フィクションか否かを問わず、言語を問わず(と言いたいところですが、これは筆者の能力不足のため大きく制限されます)、自分で実際に目を通した書物のなかから、これはと思うものを取り上げてみたいと考えています。

書物のネットワーク

ところで、どうして一度に一冊ずつではなく、何冊かの書物を取り上げるのでしょうか。これにはちょっとしたわけがあります。

これまでいろいろなブックガイドをつくる機会をいただいてきましたが、その中でつくづく感じたことがあります。書物とは、一冊ずつ個別のものとしてあるだけでなく、書物同士が織りなすネットワークのなかでこそ、それぞれの書物がいっそうよく見えるようになり、その力を発揮するものでもある、ということです。

実際に、ある程度多様な書物を読んでゆくと、普段は離ればなれでいるように見える書物も、お互いに参照しあったり、支えあったり、反発しあったりしていることが見えてきます。参考文献や批判・賛同の対象として書物同士が直接関係することもあれば、ことさら明示されてはいなくても、読み手の脳裏で結びつくこともあります。今回は、書物のそうした側面にも注目してみたいと思ったのでした。それは喩えて言えば、無数の星が瞬く夜空に、いろいろな形の星座を見出すようなことでもあります。星座とは、神話などの物語を媒介して、星の位置を「記憶」するための工夫ですが、書物についてもおおいに言えることです。

そうした書物同士のつながりは、書物が並べられたさまざまな場所やネット上の書誌のようなデータが並べられた場所でも、ある程度は目にすることができます。ただし、その並べ方には限界もあります。このことを例にしながら、書物のネットワークということについて、もう少し考えてみましょう。

形式的なつながり――分類コード/機械検索

まずは新刊書店の場合です。新刊書店の棚は、多くの場合、既定の分類秩序に従ってつくられています。そのさまは、書店を一巡りしてみると体感できますね。一方には、文庫、新書、雑誌といった書物の型による分類があり、他方には、文学、評論、美術、映画、音楽、デザイン、サブカルチャー、ファッション、エッセイ、哲学・思想、歴史、心理学、科学、数学、語学、参考書、社会、政治、経済、コンピュータ、建築、医学、時事問題、趣味、漫画、ゲームなどといった内容による分類があります。

この分け方は、もっぱら書籍に印刷された分類コードに添ったものです(ISBNのそばにC1195といったコードがついていますが、これが分類記号です)。ときには一冊の書物が複数の棚に置かれることもあります。しかし、たいていの場合、或る本はこれらの分類のどこか一つの場所に置かれることになります。これは本を買いにきた人が、目的の本を探しやすくするための工夫です。例えば、料理の本を探そうと思ったら、まずは料理書を集めてある棚へ行ってみよう、というわけです。でも、それぞれの本からしてみると、ちょっとばかり窮屈で事務的な感じのする分類であることもたしかです。

他方でネット上の書誌はどうでしょうか。Amazonやbk1や日本の古本屋さんをはじめとするネット書店のデータベース、あるいは、Google Booksや近代デジタルライブラリーのような電子化されたアーカイヴで本を探す場合です。いわゆる機械検索ですね。

ご存じのように、こうした書籍検索では検索語を指定して、それに一致する書名や著者名や出版社を探し出したり、場合によっては目次や本文中にその検索語が現れる本をリストアップできます。これはとても便利な仕組みで、以前なら気づかずにいたかもしれない本と出会える機会がぐんと増えました。しかし、あるテーマに関する本について調べようと思ったら、これはこれでなかなかどうして手間がかかります。なぜでしょうか。

いくつか理由があります。まず、検索語によっては引っかかり過ぎてしまうということがあります。例えば、Amazon.co.jpの「本」を対象に「映画史」で検索すると、8161件の結果が出ます(2011年4月4日現在)。もちろん必要に応じて検索語を増やしたり工夫して、絞り込んでいけばいいわけです。しかし、どこまでどうやって絞り込むか、絞ったはいいけれど、見落とさずにうまく拾えているかという問題が常につきまといます。

もう一つは、検索結果に出てくるからといって、それが自分の探している事柄に関係あるとは限らないという問題があります。検索の結果出てきた書物が、探したい事柄とどの程度関係しているかは、実際に読んでみるまで分からないことも少なくありません。

例えば、「ルルス」という人物について検索したつもりが、『セールス・ルールズ』だなんて、まるで関係ない本が山ほど引っかかるといったこともしばしばです。検索語に似た言葉も自動的に検索してくれるようなデータベースもあって、これがなかなか厄介なのです。

要するに、機械検索では、文章などの意味内容まで考慮して検索するのではなくて、たいていは言葉の姿形、どんな文字の並びかということだけに注目して探すため、こうした問題が生じるわけです。

こんなふうに書店やネットのデータベース検索は、たしかに或る秩序に基づいて書物のつながりを提示していています。だから、その性質や特徴さえわきまえていれば、便利に使いこなせるわけです。実際、私も調べ物や読書のために、毎日のようにお世話になっています。

しかし他方では、書物同士が取り結んでいるかもしれないつながりを見えるようにするという意味では必ずしも十分とは言えない仕組みでもあります。

内容的なつながり――問いによって記憶から浮かび上がる

そこで、書店でもしばしば上記のような分類とは違う並べ方を工夫しています。例えば、「温泉旅行」といった、或るテーマに関するブックフェアを開いて、普段とは異なる選択基準で本を並べたりします。そこでは、普段は別の棚に分類されている小説や旅行ガイドや漫画や写真集などが、集められるといった具合です。これはまさに、通常の分類や配架とは違った書物同士のつながりを浮かび上がらせることで、それらの本がいっそう輝くように提示しているわけです。

例えば、稀代の読書家として知られる松岡正剛さんが、丸善と組んで開いている松丸本舗という書店内書店は、そうした試みを全面展開した稀な例です。松丸本舗では、すべての書棚が、いわゆるブックフェアのような各種テーマによって組まれているので、通常の書店の棚を見慣れていると、眩暈がするかもしれません。同書店の試みについては、『松岡正剛の書棚――松丸本舗の挑戦』(中央公論新社、2010)という書籍でも紹介されています。

また、こちらははるかにささやかな例になりますが、私もそのときどきの仕事に応じて、自分の書棚をしばしば組み替えています。その折々に抱えている疑問やテーマに関連する書物を、書棚のあちこちから選んで一箇所に集めてみるわけです。

例えば、雑誌『考える人』(新潮社)のドリトル先生特集にブックガイドを寄稿した際は、ロフティングのドリトル先生シリーズはもちろんのことですが、博物学史、アフリカ、文化人類学、大航海時代、ジュール・ヴェルヌ、アルベール・ロビダ、SF史、月面旅行小説、動物誌、植物誌、考古学、医学史、動物園、サーカス、ユクスキュルの生物学書、鉄道、ヴィクトリア朝にまつわる書物などを150冊ほど並べてから仕事にとりかかりました(もちろん、書店の棚やネット書店のデータベースもフル活用です)。まさに蔵書という本の集合体から、目的に応じて特別チームを編成するような感じです。

これらの書物には、一見するとどこがどうドリトル先生に関連しているか分からないものも含まれています。しかし、ドリトル先生という不世出の医師にして博物学者の時代背景やその旺盛な知的好奇心、幅広い学術活動について考えてゆくと、これらすべての要素が、あの物語とつながっていることが見えてきます。要するに、書名や分類といった形式的なつながりとは別に、ドリトル先生というテーマによって、それぞれの書物の内容がつながりあうのです。実際にどうつながっているのかということは、同誌(No.34、2010年秋号)をご覧いただけたら幸いです。

ここで大事なことは、こうした書物同士のつながりが、それらの書物を読んだ人の脳裏にこそ生じ、発見されるということです。まさに「発見される」と言うのがふさわしいと思います。

皆さんも経験があると思いますが、誰かから不意に問いかけられたり、自分でひょいと何かを疑問に思ったとき、かつて経験したり読んだりしたことが、どこからともなく思い出されたりします。例えば、専門学校や大学で学生の皆さんと話していると、「~についてなにかよい本はありませんか?」と尋ねられたり、雑誌などで「こういうテーマでブックガイドを書いてください」とご依頼をいただくことがあります。そんなとき、「それならこんな本がありますよ」と記憶のなかに浮かんできたものをお知らせするわけです。

このとき面白いのは、そんなふうに問いかけられるまさにその直前まで、そこで思い出すことになる本のことなど、ついぞ考えてもいなかったということです。ときには、何年かぶりでその本のことを思い出したという場合もあります。問いかけられたり、問いが浮かぶことで初めて、記憶のどこかに眠っていたもの、潜在していたものが、顕在化してくるという次第です(そういう意味で、きっかけはとても大切です)。

このとき思い出せるのは、過去に読んだことのある本や、そういう本があるという存在を知っている本についてです。当然のことながら、存在すら知らない本のことは思い出そうにも思い出せません。また、私たちは自分の記憶といえども、自由自在に思い出すことはできず、後になってからふと思い出すなんてこともあります。いずれにしても、なにかきっかけがあると、そこから芋づる式に、「あ、これもある」「あれもあったな」と思い出すわけです。ものの喩えではありますが、これを私は、記憶のなかに「書物のネットワーク」があるようなものだと考えています。

点が増えると線はもっと増える?

加えて興味深いのは、この、記憶のなかにある書物のネットワークは、どうも書物を読めば読むほど、いっそう豊かに絡み合うようになるらしいということです。「そんなの当たり前じゃないか」と思うかもしれませんが、もう一歩踏み込んで考えてみると、ちょっと意外なことが見えてきます。図を使ってイメージを膨らませてみましょう。

例えば、一冊の本を一つの点で表現してみます。点が二つの場合、この二つの点の間を線でつなぐことができます。この線は、その二冊の本がなんらかの「関係」を持っていることを表しているとしましょう。もっとも、数え方によっては二冊の書物の間には複数の関係を見ることもできそうです。しかし、ここでは話を単純にするために、二冊の本の関係は一つだけだとします。

では、点(本)が増えていくと、線(本同士の関係)の数はどうなるでしょうか。点が三つなら、線は三本ですね。ここまではなんということはありません。問題はこの先です。点が四つになると、線は六本になります。点が三つのときに比べると、点よりも線の数のほうが大きくなっています。


さて、それでは点が五つになったら、線は何本になるでしょう。ぜひ図を描きながら数えてみてください。ここで注目しておきたいのは、点(本)が一つずつ増えるとき、線(本同士の関係)はそれ以上にはやいペースで増えてゆくということです。点が、六つ、七つと増えるとどうなるでしょうか。具体的に見てゆくと、だんだん規則性が分かるかもしれません。さらに、点がn個になったとき、線の本数mはどうなるか、考えてみてください。


とはいえ、コンピュータならともかく、私たち人間は、過去に読んだすべての本を相互に結びつけて考えてみるなどということはできませんし、普通はそんな必要もありません。先ほど見たように、そのときどきの関心や疑問などに遭遇するつど、記憶のなかの書物たちのつながりが、思いがけずふわっと浮かび上がってきたり、逆に、読んだことがあるはずなのに思い出せないこともあります。いま眺めた図は、あくまで理屈のうえではありますが、複数の書物がどんなふうに結びつき合うか、どんなネットワークが生じ得るかを表したものでした。言ってみれば、私たちが具体的な問いに遭遇したり、問いを思い浮かべるつど、このネットワークの一部を発見しているという次第です。

いずれにしても、ここで大事なことは、見知っている書物の数が一冊増えることによって、記憶のなかに生じる書物同士の関係は、書物が多ければ多いほど、書物の冊数とは比較にならないほど多くなるということでした。

次回予告

というわけで、この連載では、一冊ずつの書物をご紹介するのはもちろんのことですが、こうした書物同士のあいだに取り結ばれる関係にも注目しながら、複数の書物を並べてみたいと思うのです。場合によっては、同じ書物があちらやこちらと、繰り返し顔を見せることもあるでしょう。また、後から登場する書物が、それ以前の回に登場した書物とつながることもあるでしょう。そんなふうにして、厖大な書物の海をわたりながら、そのときどきに懐く問いやテーマにそって、書物の織りなすネットワークをそこかしこに発見してみようというわけです。

それにしてもなぜ本なのか(ネットや電子書籍の展開で、ものを読む環境が激変しつつあるというのに)。そんなふうにしてみることが何の役に立つのか(ムダな読書に時間を使うほどヒマじゃない)。本ばかり見ていないで「現実」も見たほうがいいのではないか(頭でっかちになりやしないか)、といったいろいろな疑問も湧いてきそうです。本というものの位置が、かつてなく揺らいでいるように見える昨今、こうした至極当然の疑問について考えないままブックガイドというわけにもゆきません。そこで次回は、本を読むということ、読書をテーマとして、最初のブックガイドにとりかかります。末永くご愛読いただけたら幸いです。

[著者紹介]

今回紹介された本
アルゴナウティカ―アルゴ船物語 (講談社文芸文庫)
アルゴナウティカ――アルゴ船物語 (講談社文芸文庫)

松岡正剛の書棚――松丸本舗の挑戦
松岡正剛の書棚――松丸本舗の挑戦

考える人 2010年 11月号 [雑誌]
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小社刊行の著者の本
コンピュータのひみつ
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