國分功一郎
第6回
第一章 暇と退屈の原理論
――ウサギ狩りに行く人は本当は何が欲しいのか?(承前)
苦しみを求める人間
だいぶパスカルの議論につきあってきた。そろそろ話を別の方面へと広げていこう。パスカルの考えるおろかな気晴らしにおいて重要なのは、熱中できることという要素だった。熱中できなければ、自分をだますことができないから気晴らしにならない。
では、更にこう問うてみよう。熱中できるためには、気晴らしはどのようなものでなければならないか? お金をかけずにルーレットをやっても、ウサギを楽々と捕らえることのできる場所でウサギを狩っても、気晴らしの目的は達せられない。
つまり、気晴らしが熱中できるものであるためには、お金を失う危険があるとか、なかなかウサギに出会えないなどといった負の要素がなければならない。
この負の要素とは広い意味での苦しみである。苦しみという言葉が強すぎれば、負荷と言ってもいい。気晴らしには苦しみや負荷が必要である。
ならば次のように言うことができるはずだ。退屈する人間は苦しみや負荷を求める、と。
わたしたちは普段、精神的・身体的な負荷を避けるために、様々な工夫を凝らして生きている。たとえば、長時間の徒歩によって疲労するのを避けるために馬車や自動車に乗る。だが、退屈すると、あるいは退屈を避けるためであれば、人はわざわざ負荷や苦しみを求める。苦労して山を歩き、汗びっしょりになって、「それをやろうと言われても欲しくもない」ウサギを追い求める。
つまり、パスカルの言うみじめな人間、部屋でじっとしていられず、退屈に耐えられず、気晴らしを求めてしまう人間とは、苦しみを求める人間のことに他ならない。
ニーチェと退屈
パスカルより時代は下って一九世紀。フリードリッヒ・ニーチェ[1844~1900]は『悦ばしき知識』(一八八二年)の中でこんなことを言っている。いま、幾百万の若いヨーロッパ人は退屈で死にそうになっている。彼らを見ていると自分はこう考えざるをえない。彼らは「何としてでも何かに苦しみたいという欲望」をもっている、と。なぜなら彼らはそうした苦しみの中から、自分が行動を起こすためのもっともらしい理由を引き出したいからだ…*12。
*12――「苦悩への欲望〔Die Begierde nach Leiden〕――みながみな退屈に耐えられず、自分自身に我慢できなくなっている幾百万という若いヨーロッパ人を、たえずくすぐったり刺激したりする何かをしたいというあの欲望のことに考えがおよぶとき、私は、彼らのうちにこんな欲望があるに違いないと思うのだ。すなわち、自分の苦しみの中から、行動し行為するためのもっともらしい理由を引きだそうとして、何としてでも何かに苦しもうとする欲望である」
Friedrich Nietzsche, Die fröhliche Wissenschaft, Erstes Buch, §56, Reclam, 2000, p.80
『悦ばしき知識』、第一巻、断章番号五六、信太正三訳、ちくま学芸文庫、一九九三年、一二六ページ
ニーチェは様々な哲学者を縦横無尽に引き合いに出すけれども、パスカルは中でもお気に入りだったらしい。彼の著作の中で一二一回もパスカルが引用されているという。ここはパスカルに言及した箇所ではないが、退屈についてのその透徹した認識は、あの一七世紀の思想家に通底している。苦しみが欲しい…。苦しみから自分の行為の理由を引き出したい…。退屈した人間は、そのような欲望を抱く。Friedrich Nietzsche, Die fröhliche Wissenschaft, Erstes Buch, §56, Reclam, 2000, p.80
『悦ばしき知識』、第一巻、断章番号五六、信太正三訳、ちくま学芸文庫、一九九三年、一二六ページ
苦しむことはもちろん苦しい。しかし、自分を行為に駆り立ててくれる動機がないこと、それはもっと苦しいのだ。何をしてよいのかわからないというこの退屈の苦しみ。それから逃れるためであれば、外から与えられる負荷や苦しみなどものの数ではない。自分が行動へと移るための理由を与えてもらうためならば、人は喜んで苦しむ。
実際、二十世紀の戦争においては、祖国を守るとか、新しい秩序を作るとかいった使命を与えられた人間たちが、喜んで苦しい仕事を引き受け、命をさえ投げ出したことをわたしたちはよく知っている。
『悦ばしき知識』は数あるニーチェの著作の中でも有名なものの一つだ。というのも、その中で、かの有名な「神は死んだ」という宣言がなされたからである。神の死を宣告する書物の中で、ニーチェが退屈についての考察を記したという事実には、何か偶然以上のものを感じざるを得ない。ここに描かれているのはまさしくパスカルの言う「神なき人間のみじめさ」である。
ファシズムと退屈――レオ・シュトラウスの分析
苦しみが欲しいという欲望をニーチェは、当時の、退屈する幾百万の若いヨーロッパ人たちの中に見出した。そしてニーチェに先見の明があったことは、残念ながら後に明らかになる。更に時代を下ろう。二十世紀の大事件の一つはファシズムの台頭である。ファシズムについては、政治、経済、歴史、思想、心理……様々な分野で膨大な研究が積み重ねられている。わたしたちはここで〈暇と退屈の倫理学〉の観点からこれに迫ろう。実はニーチェが分析した「幾百万の若いヨーロッパ人たち」の心持ちは、ファシズムの心性に極めて近いものである。
参考にしたいのは、レオ・シュトラウス[1899~1973]という哲学者の分析である。シュトラウスはドイツ生まれのユダヤ人である。彼は後にアメリカに亡命することになるのだが、亡命以前、ドイツにまだとどまっていた間、ファシズムがドイツで台頭していく様をその目で見ていた。シュトラウスはその経験を、自らの哲学的な知識を用いて詳細に語っている。
シュトラウスによれば、第一次大戦後のドイツの思想状況は次のようなものだ*13。
*13――Leo Strauss, “German Nihilism”, in Interpretation, Spring 1999, Volume 26, Number 3, Queen’s College, New York
レオ・シュトラウス、「ドイツのニヒリズムについて――一九四一年二月二六日発表の原稿」、國分功一郎訳、『思想』、第一〇一四号、二〇〇八年一〇月、岩波書店〕
当時、大戦後のヨーロッパでは、近代文明の諸々の理念が窮地に立たされていた。それまでヨーロッパが先頭に立って引っ張ってきた近代文明は、理性とかヒューマニズムとか民主主義とか平和とか、様々な輝かしい理念を掲げていた。ところが、そうした理念を掲げて進歩してきたはずの近代文明は、おそろしい殺戮を経験した。第一次世界大戦のことである。もしかしたら近代文明は根本的に誤っていたのではないか? そんな疑問が広がった。レオ・シュトラウス、「ドイツのニヒリズムについて――一九四一年二月二六日発表の原稿」、國分功一郎訳、『思想』、第一〇一四号、二〇〇八年一〇月、岩波書店〕
その疑問を抱いたのは若い世代である。父や母、学校の先生たちが言っていたこと、更には本や新聞に書かれていたこと、そうしたことは何か間違っていたのではないだろうか? 上の世代は熱心に「理性が大切だ」「ヒューマニズムが必要だ」「民主主義を守らねばならない」「平和を維持しなければならない」と僕らに語りかけていた。僕らにそうした理念を押しつけてきた。それらを信じ、守ることを強制してきた。だけれども、そんなものは何の役にも立たなかったではないか? ならば、近代文明には何か根本的な問題があるのではないか? 彼らは親の世代にこうした疑問をぶつけたのだった。
しかし、上の世代は何も答えることはできなかった。それはそうだろう。彼らは単にそれらの理念を信じていただけだったのだから。彼らは見事なまでに保守的な態度に出た。「大切なものは大切なんだ」と繰り返すだけだった。知識人たちも同じだ。彼らもまた近代文明が作り上げてきた理念をただ信じていただけだったのだ。
若者は落胆した。そして、上の世代に強い反感を抱いた。「お前たちは俺たちが作り上げてきた理念を守っていればいいのだ」と偉そうな態度にでていたくせに…。まるで「お前らにはもうやることはないから、ただ俺たちが作ってきたものを守れ」とでも言わんばかりの態度にでていたくせに…。そうした理念が危うくなってもすこしもものを考えようとしない。若者は上の世代を憎んだ。そして、彼らが信奉していた近代文明を憎んだ。
緊張の中にある生
そこにもうひとつの事情が付け加わる。当時は共産主義が強い支配力を持っていた。親の世代の多くが近代文明を信じていたように、共産主義革命の到来を信じる共産主義者たちもまたたくさん存在していた。共産主義者たちはこう説いた。近いうちに革命が起こる。それによって真に平和な世界がやってくる。それは国家も階級もない世界、貧困も戦争もない世界だ…。しかし、若者たちにとって、その世界は少しも魅力的でなかった。彼らはむしろそんな世界を恐れ、憎んだ。それは各人が毎日毎晩、わずかな快楽を得て暮らしていく世界である。平和で何も起こらない世界、つまり、すべてが終わってしまった世界。そこではもう心や魂が奮い立たされることなどない。もはや人が使命感に燃えて事を為すこともない。それは「血や汗や涙を知らない世界」である。
近代文明を信じていた親たちは近代文明でもうすべてが終わっているかのように語っていた。共産主義者たちは今度来る革命で全てが終わると語る。どちらを信奉しようと、彼ら若者にはやるべきことなどない。それらの世界がどうして若者の心を打つことができようか?
若者たちは緊張の中にある生だけが本来の生だと考えるようになっていた。言い換えれば、真剣な生だけが望ましい生である、と。彼らにとっての真剣な生とは、「緊急事態、深刻な極限的状況、決定的な瞬間、戦争といったものに絶えず直面している社会」において体験される生のことであった。そこにこそ、自分たちが自分たちの生命を賭けて何かに打ち込む瞬間がある。生きていると実感できる瞬間がある。なぜならその時に彼らは、「まだ何も終わっていない」と、そして、「自分は何かを作り上げる運動に参加している」と感じることができるからだ*14。
*14――ここで言われる「近代文明」を「戦後民主主義」に置き換えると、そのまま、冷戦終結後の日本社会を生きた若者たちについての分析になる。九〇年代以降、若者の右傾化が盛んに問題にされたが、その問題は結局次のように要約できる。上の世代は、自分たちが若者たちに押しつけてきた諸々の理念についてこれまで少しも省察していなかったし、ただそれらを盲信していただけだった。だから時代の変化に対応した答えを求める若者たちの訴えに少しも答えることができなかった。若者はその偽善を憎み、嘲り、上の世代が否定してきたものに立ち返ろうとした。そこで「日本」や「伝統」や「愛国心」が現れた。しかし、若者はそうしたものについて何も知らない。だから、若者の反動は反動の域を超えることはできず、インターネット上で空虚に繰り返される日本近隣諸国民への差別発言に収斂していった。原武史は『滝山コミューン1974』(講談社、二〇〇七年)において、戦後民主主義の「みんな平等」の理念によって小学校の中に造られた恐るべき秩序を自らの体験を通して見事に描き出したが、そこで描かれた戦後民主主義の姿は、その後の日本の若者の傾向と並べて検討されねばならない。
緊張、緊急、極限……なんと言ってもよいが、彼らにとっては極度の負荷がかかった状態を生きること、苦しさを耐えて生き延びること、それこそが生なのだった。彼らの心にあるのは、まさしくニーチェが――あるいはそれ以前にパスカルが――診断したあの欲望、苦しみたいという欲望である。シュトラウスがこの講演を行ったのは第二次大戦の終結以前、一九四一年のことである。その時点で既にシュトラウスは「ナチズムはそのうちに滅びるだろう」と述べている。シュトラウスは正しかったわけだ。だが彼は同時に恐ろしいことを述べている。ナチズムとは、ファシズムを欲したこの欲望をひどく矮小化したものに過ぎない。だから、ナチズムが滅びようとも、ファシズムを欲した人々の欲望は残り続ける。この欲望の震源地はより深いところにある。
確かにそうだ。ウサギ狩りに行く人間は、実のところ、「緊急事態」を求める人間とそう変わりない。ウサギ狩りで済むか、破滅的戦争まで求めるかは、時代背景が決めるところである。わたしたちはウサギ狩りに行く人間をパスカルのようにバカにしてすませるわけにはいかないのである。
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つづく
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