8.03.2011


過去に起きた歴史的事象の意味が、全く異なった、新たな相貌をたたえて、急に自らに迫ってくることがあると、最近、身にしみてわかった。東日本大震災で発生した、東京電力福島第一原子力発電所における原子力災害の深刻さが、ヒロシマ・ナガサキの意味していたものについて、じわりと私に再考を迫るようになってきたのだ。

ヒロシマ・ナガサキを考えるとき、歴史家としての私はこれまで、日本のおこなった不徳義とアメリカのおこなった不徳義について、どうしても貸借対照表のようなかたちで比較する見方から離れられなかった。しかし、それはどうも違うのではないか。

元ちとせの歌う「死んだ女の子」については、2005年8月6日原爆ドーム前で歌われた坂本龍一のピアノとのコラボレーション版を聴いたことのある方も多いだろう。トルコの詩人ナジム・ヒクメットの詩をロシア文学者中本信幸が邦訳し、作曲家外山雄三が曲をつけた楽曲だ。最も胸を打つのは、あの朝「紙きれみたいに燃えた」七歳の女の子が発する言葉として、歌詞が組み立てられている点にある。「安らかに眠ってください 過ちは 繰り返しませぬから」という、生きた人間からの誓いの言葉ではなく、「平和な世界に どうかしてちょうだい」という、死んだ人間からの願いの言葉なのだ。

歴史を考えるということは、生者の誓いとしてだけでは不十分であって、死者の願いを忘れないことに他ならないのだろう。生者の此岸からの視点ではなく、あたかも死者の彼岸からの視点で、世界を眺め直してみることが大切だ。そのよすがとなる本を選んでみた。―加藤陽子




ひろしま

①石内都『ひろしま』(集英社、2008年)
広島平和記念資料館は、被爆死した人の遺品や被爆して遺った品々を約1万9千点保管している。石内のこの本は、8月6日の朝、少女が着ていた色鮮やかなワンピース、着物を仕立て直して手作りされたブラウスなど45点ばかりを、一つ一つ、自然光に近い照明で撮影した写真集である。





原爆が消した廣島

②田邊雅章『原爆が消した廣島』(文藝春秋、2010年)
広島の産業奨励館(原爆ドーム)の東脇の田邊家に生まれ、家族のうち一人だけ生き残った少年が、爆心地近くの豊かな生活、街並みをCG(コンピューター・グラフィック)で再現した。原爆投下以前の広島の姿を映像と音で見せることで、原爆が何を奪ったのかを、静かに差し出してみせた。失われたものを復元してしまうことで、失われたものの大きさを問うという試み。再現されたCGは、DVDブックの『ぼくの家はここにあった 爆心地」~ヒロシマの記録~』(朝日新聞出版、2008年)で。





「終戦」の政治史―1943-1945

③鈴木多聞『「終戦」の政治史』(東京大学出版会、2011年)
1944年7月、絶対国防圏の一角・サイパンが陥落し、東条内閣は7月18日総辞職する。この絶好の時にあって、なぜ日本は終戦の道を選択できなかったのか、あるいは選択しなかったのか。本書の提起する、この「問い」は重く深い。この後に生じた戦死傷者の数やアジアに強いた犠牲を思うとき、また、空襲被害や戦後強制抑留に対する「受忍論」がもはや国民を説得できなくなった今を思うとき、本書が実証した史実は貴重である。





悩むことはない

④金子兜太『悩むことはない』(文藝春秋、2011年)
金子は、日本銀行に勤務中、召集。海軍主計中尉としてトラック島で終戦を迎える。1944年8月、補給の途絶えたトラック島で金子は、奇跡ともいうべき陸海軍の将兵合同の句会を開いていた。その金子がトラック島から復員する際に詠んだ一句。「水脈の果、炎天の墓碑を置きて去る」。





渡辺一夫 敗戦日記

⑤渡辺一夫『渡辺一夫 敗戦日記』(博文館新社、1995年)
フランス文学者の渡辺一夫は、その日記を、1945年3月の東京大空襲の翌日から書き始めた。「負けてはならない。さう思う。己の精神・思想に生き尽くすのだ。〔中略〕封建的なもの、狂信的なもの、排外主義は、皆敗ける。自然の、人類の理法は必ず勝つ」。





トランクの中の日本―米従軍カメラマンの非公式記録

⑥ジョー・オダネル『トランクの中の日本 米従軍カメラマンの非公式記録』(小学館、1995年)
海兵隊のカメラ班であったオダネルは、1945年9月に長崎県佐世保に上陸した。極秘に私用カメラで撮った長崎の惨状を映し出す30枚の写真の衝迫力は、彼自身、43年間も写真を封印してきたことからもわかる。瓦礫の中で赤ん坊を背負う一人の少年の顔と姿が良い。この赤ん坊は実に穏やかな顔をして負(おぶ)われているが、実はもう死んでいる。少年は幼くして死んだ弟の亡骸を背負い、焼き場の順番を直立不動の姿勢で、裸足で待っていたのだ。日本という国は、何度も何度も焼け跡が出現していたことがわかる。オダネルは爆心地に立った時、「自分が地球の上に立っているとは思えなかった」。被爆した人々に出会った衝撃については、「なぜ人間が同じ人間にこのような恐ろしいことをしてしまったのか」との苦悩の言葉を遺した。アメリカでの版、Joe O'Donnell, Japan 1945: A U.s. Marine's Photographs from Ground Zero(Vanderbilt Univ Pr ,2008)も。





関東大震災 (文春文庫) 三陸海岸大津波 (文春文庫)

⑦吉村昭『関東大震災』(文春文庫、2004年)、『三陸海岸大津波』(文春文庫、2004年)
死者の彼岸からの視線で秀逸な数々の歴史ノンフィクションを書いた作家は、2007年に亡くなった吉村昭で極まる。関東大震災で発生した火災の要因について吉村は、昼時ゆえの失火説を排し、最大の要因を、薬品類の落下にあったとした。また延焼を促したものが被災者の荷物だったという盲点をも衝く。吉村が震災や津波を極めて理性的に叙述しえた理由の一半は、『関東大震災』の「あとがき」から明らかになる。吉村は、幼い頃から両親が語って聞かせた大震災時の人心の混乱に戦慄していたというのだ。「そうした災害時の人間に対する恐怖感が、私に筆をとらせた最大の動機である」。大災害を怖がるのと同じレベルで人間を怖がれる感性。関東大震災時に多発した自警団による朝鮮人殺害や憲兵隊による大杉栄殺害を改めて吉村の筆で読むと戦慄を憶える。正しく怖がれることは理性であり、そのような点で、吉村のこの二作は、寺田寅彦『天災と国防』(講談社学術文庫、2011年)の沈着に通ずるものがある。





書物狩人 (講談社文庫) 書物迷宮 (講談社ノベルス)  書物法廷 (講談社ノベルス) 書物幻戯 (講談社ノベルス)

⑧赤城毅『書物狩人』(講談社、2007年)、『書物迷宮』(講談社、2008年)、『書物法廷』(講談社、2010年)、『書物幻戯』(講談社、2011年)
ご存知「つよポン」(赤城毅先生の「あとがき」での自称)の最強の四部作。不肖私は赤城先生とは20余年来の友人であり、赤城先生の作品ならば全て読んでいるとの自負がある。そして、「つよポン」にはドイツ近現代史のおっかない研究者という今一つの貌がある。おっかないというのは、フライブルグにあるドイツ連邦軍事文書館の史料中、第二次世界大戦前後のめぼしい史料の、かつてこの史料を閲覧した者の名前を書く部分のほとんどに、大木毅(研究者としての「つよポン」のお名前)のサインがあるというのだ。「書物」シリーズの主人公は、書物狩人ル・シャスールだが、この主人公の語る近現代史の闇と蘊蓄には、只ならぬものがある。『書物法廷』収録の一章は「ブレアのイラク戦争」調査会がらみの話で、舌を巻く傑作だった。最新作『書物幻戯』も、うならされた。巻末近くの一場。軽井沢での狩人ル・シャスールと偽造師ミスター・クラウンとの邂逅の場面、誰か映画にしてください。


現在、東京大学生協さんの書籍売り場等で関連フェアを展開しています。書店のみなさま、フェアのご希望などありましたら、パネル・POPをお送りいたしますので、ご連絡いただけますと幸いです。(編集部)

〈了〉