第2回
伊勢崎賢治さんの『本当の戦争の話をしよう ――世界の「対立」を仕切る』を2015年1月15日に刊行いたします。伊勢崎さんが「気がついたときには、こちらが丸裸にされていた」と語る、2012年1、2月に福島県立福島高等学校でおこなった5日間の講義録。「講義の前に」の後編をお届けします。「紛争屋」がプレハブ校舎にて、高校生に本気で語った、日本人と戦争のこれから。(編集部)
講義の前に(その2)
「ならず者国家」は無軌道?
僕は今、学者の端くれで、通称PCS(Peace & Conflict Studies)、「平和と紛争」学と訳されるようなものを、世界の紛争地域からやってきた外国人学生たちに教え、研究しています。対象はどちらかというと、イラクやアフガニスタンで今でも続いている現代の戦争に重点を置いている(PCSは「平和構築学」と訳される場合もあります。でも、平和って紛争を克服するものだろうから、僕は「紛争」のない名称って、ちょっとどうかなと思っているんだ)。
一方、平和学というものもあります。内容は重なる部分が多いのですが、両方とも、第二次世界大戦が終わった後にアメリカを中心にできた、新しい学問領域です。やはり、死者総数5千5百万人という途方もない犠牲を出した歴史を二度と繰り返してはならないという気持ちが、このふたつの学問の誕生に作用したのでしょう。
――平和学と「平和と紛争」学って、どう違うんですか?
これも「平和」の概念と同じように、あまりはっきりしません(笑)。どちらも戦争を研究するのだけど、平和学のほうは、あきらかに戦争の予防を目指しているように思える。つまり、かなりはっきりと、戦争を悪として捉えています。政治行為としての戦争に反対するのだから、平和学自身が、すでにひとつの政治行為だともいえる。だから学問として公平・客観的ではない、平和学はひとつの政治思想であって学問ではない、という批判もできます。
「平和と紛争」学は、こういう性格の平和学と一線を画したいようです。もう少し善悪を超えて戦争を捉え、争いを生む国家間、民族間の対立とその因果関係を淡々と冷淡に読み解く。
条件Aと条件Bがそろったとき、Xの一押しがあると、人はためらいなく殺し合う……みたいな理論を見つけ出して興に入る。こんな感じかな(笑)。
そういう僕は、実務家として、戦争がもたらす被害の現実をイヤというほど見てきた人間です。気持ちは平和学にある。というより、人文系の学問すべてに対して、もし戦争という人間性に反する行為を、未来に向けて回避しようという動機がなかったら、学問に何の意味があるのか、そう考える自分が常にいます。
でも、その一方で、戦争を悪として糾弾し、真正面から対抗することが、本当に戦争の予防につながるのか。それは、もしかしたら戦争に付き物の「武勇」を反動でいきり立たせ、逆に戦争する動機を煽ってしまうかもしれない……。こんな葛藤が、僕にとっての「平和と紛争」学なのです。
――みなさん、どんなことを研究しているんですか。留学生の方たちは、いろんな国から来ているから、文化や考え方もそれぞれ異なるんですよね。
うん。クラスにはイスラム教徒が多いけど、アメリカ人学生もいるんだ。2001年9月11日の同時多発テロが引き金となり、アメリカが攻め入ったアフガニスタンやイラクのことを話題にすると、やっぱり緊張が走るね。
アメリカ人の彼は、強い反戦主義者です。でも、あのテロが、当時のアメリカ国民にどれだけショックを与え、判断力を失わせ、開戦に向かわせたか。こんなことを彼が言うと、イスラム教徒の学生からは「そんなん理由にならねー」みたいな反応がある。やっぱり「被害者」側の世界からの学生とのやり取りは、教師の僕でも緊張するんだ。
アルゼンチンから来た学生は、ミャンマーを扱っていました。彼は、マイノリティーの権利に敏感な、ほんとにまっすぐな人権運動家です。
ミャンマーは、ノーベル平和賞をとった民主化運動の指導者、アウンサンスーチーさんで有名な国だね。2010年、彼女は自宅軟禁を解放され、選挙に参加しました。ミャンマーは民主化に向けて動き出したようですが、軍事政権が続き、何かと北朝鮮と比較され、「ならず者国家」の仲間に入れる見方もある。アメリカ、ヨーロッパ諸国は経済制裁を課していたけど、中国との外交は緊密だから、あまり効果がないところも対北朝鮮政策に似ています。
また、ミャンマーは多民族国家で、分離独立運動がさかんです。各地でそれぞれの民族が武装ゲリラ化するのに対し、政府は強大な軍事力で徹底的に弾圧してきました。これによって大規模な虐殺、人権侵害、大量の難民が発生し、常に世界の人権団体から批判のターゲットになってきた国です。
彼は、僕のゼミに入る前、そういった人権NGOで働いていました。ミャンマー政府の人権侵害を調査し(多くは国外に避難してきた難民への聞き取りです)、国際社会がミャンマー政府に圧力をかけるよう告発する。ミャンマーにも何度か潜入し、ミャンマー政府から国外退去命令をくらった筋金入りです。
まあ、この国の人権問題をなんとかしたいっていう気持ちは誰にも負けないのだけど、この延長で研究論文を書いても、ミャンマー政府を糾弾する告発記事みたいなものにしかなりません。研究とは、まず「なぜ」があり、その答えを探求するものでないといけない。
「ならず者国家」というのは、何かとその「無軌道性」が強調され、非難される傾向があります。何をしでかすかわからない連中だ。理詰めで話し合ったって埒があかない。だから強硬手段で懲らしめるしかない――こんなふうに我々は思い込み、制裁を課し、極端な場合は武力行使ということになります。
ミャンマーのイメージも、このように捉えられてきた。貧困に喘ぐ自国民を顧みず、無軌道に軍備だけを増強し、国民を弾圧する怪物のような軍事政権。そして、それに虐められる可憐なアウンサンスーチーさん。そんな構図だよね。
はたしてミャンマー政府は、本当に無軌道なのか。ミャンマー問題に解決策を見い出すとしたら、軍事政権の性質をちゃんと捉えることこそが必要なのではないか。こういう問題意識で、アルゼンチン人の彼は調査を始めました。人権ジャーナリズムのなかにどっぷり浸かっていた彼にとって、感情を抑えながらの大変な作業だったと思いますが、過去のミャンマー研究の論文を調べるうち、あることがわかってきます。
ミャンマー研究は、やはり全般的に、人権に訴える人たち、つまり軍事政権に反対を唱える勢力の影響をモロに受けていて、その手の論文の本数が圧倒的に多い。その反面、厳しい独立戦争を勝ち抜いた軍人の主導から始まった国づくり(「建国の父」として今でも国民から尊敬を集めるアウンサン将軍は、アウンサンスーチーのお父さんで、彼が率いたビルマ独立義勇軍が、現在の軍事政権のルーツなのです)、その歴史の必然性を冷静に観察した論文は、あんまりない。つまり、ミャンマー研究というテーマ自体が、「軍事政権=悪」という影響下にある。
そこで彼は、軍事政権による国の運営、なかでも国家予算の運営を分析しようと試みます。先行研究では、やはり、軍事費に場当たり的にほとんどの予算を使ってしまい、国民への福祉・社会開発を犠牲にしているという論調ばかり。はたして実際にそうなのか。
調べていくうちに、ミャンマーの軍事費は、周辺アジア諸国との比較では、その凶暴なイメージほど突出しているわけではないとわかりました。確かに、軍事に国家予算の多くを使う国のひとつではあるけれど、GDP比や兵士数の人口比などでは、同じように国民の自由の侵害が問題になりますが、ずっと親しみやすい観光大国であるシンガポールのほうが上をいっている。
そして、彼は次のような実験をします。彼自身が、もし国の予算配分を決定する政府の「運転席」に座ったら、と仮定するのです。独立を血で勝ち取った建国からスタートし、内政の移り変わり、隣国との緊張関係、経済制裁のような外圧など、国家予算配分に影響を与えうるすべての要因を考慮し、自分なりの国家予算計画を、1948年の独立から現在まで、年ごとにつくるというシミュレーションをおこないました。そして、実際のミャンマー政府の財政記録とくらべてみた。その結果、彼のシミュレーションと一致しちゃったのです。
軍事政権ですから、軍事費を大事にするのは当たり前ですが、場当たり的じゃない。誰がその運転席に座っても、同じ歴史的要因のなかで政府を運転すれば同じ結果になる。
もちろん、独裁に近い政権ですから、国家予算に乗らない裏のお金はたくさんあるはずですし、政府公表の数字のなかには政府に都合良く誇張されたものもあるはずです。それでも独立以来65年間の厖大な記録を俯瞰すると、政策決定の軸が見えてくる。そして、軍事費と、国民の生活に直結する社会開発費のバランスにおいて、前者が後者を無闇に犠牲にする無軌道性は見当たらない、ということを証明しちゃったのです。
この論文の発表会は、ちょっとした波乱の場になりました。なぜかというと、僕の講座に、ひとりのミャンマー人がいたから。軍事政権に追われて日本に亡命した反政府運動家です。
アルゼンチン人の彼の学術的結論としては、ミャンマー政府に味方するような意図は全然なく、国家予算配分という限定的なことにおいてのみ無軌道性はない、と証明しただけなのですが、反政府運動家にとっては、たまらない。そんな学術研究に何の意味があるのか?と詰め寄っていた。ほんとに何の意味があるんだろうね。これは僕自身の葛藤でもあります。
でも、現在起こっている人権侵害の問題を、頭から糾弾するのではなく、独裁政権を転覆させるというような方法でもなく、その政権自体がそれを解決する道筋を模索してゆく。こんなアプローチがあってもいいと思うのです。
ちょっと喩えが飛ぶかもしれないけど、日常に起こるどんな凶悪犯罪でも、犯罪者を捕まえて裁き、罰する一方で、どうしてそういう犯罪者が生まれたか、何が彼をそうさせたか、我々は議論するよね。しかし、そういう余裕が、国際関係には、どうもあるように思えません。なぜか? その疑問を真っ正面に据えることこそ、我が「平和と紛争」学の使命だと思っています。
平和と戦争はあいまいだ
はじめに日本の平和について話しましたが、ここで、平和についての平和学での議論をちょっと紹介しましょう。平和学には、「積極的平和」と「消極的平和」という考え方があります。ノルウェー人のヨハン・ガルトゥングさんという学者が考案した概念です。
消極的平和とは、紛争の原因になりそうな問題はいろいろあるけど、武力衝突や戦争がない状態。深刻な貧困、差別、人権の問題など、社会がもっている構造的な問題が人間を犠牲にすることを「構造的暴力」と言うね。
対して積極的平和は、武力衝突や戦争がないのに加えて、紛争の原因になりうる要因もない状態のことを言います。さて、日本はどちらでしょう。
――消極的平和かな。
はい、よくそう言われます。よそで戦争しているアメリカを国内に居候させている状態は、日本も連帯責任があるから消極的平和にも至らないのでは、とも考えられますが、アメリカが戦争している国々との関係を無視した上での、日本国内に限っての消極的平和と言えるのかな。
構造的暴力は、一国のなかでの社会問題だとわかりやすいですね。日本なら、部落差別とかホームレス問題、非正規雇用問題とか。外国なら、内戦の原因となる少数派部族への弾圧などかな。
しかし、一国の構造的な問題は、その国だけで完結しているかというと、そうじゃない。
たとえば石油や天然資源のグローバルな争奪戦。資源は豊富にあるけれど政治的に不安定な国に、先進国が巨大な資本をバックに介入する。金にまみれた外国の利権の追求が、その国の国内の覇権争いをさらに激化させ、内戦を誘発してしまう。遠いアフリカの国々の構造的な問題は、我々の日常の消費生活と直結しているんだね。構造的暴力は、グローバルな視点で見るべきものかもしれない。
一方で、戦争に至るかもしれない国と国との緊張は、それぞれの当事国の内政問題と直結しているようです。お隣の中国や韓国では、国内の政策に世論の批判が高まると、その注意をそらすために、わかりやすい外の敵、つまり日本との戦後補償や従軍慰安婦問題、そして尖閣諸島、竹島の領土問題を、その時々の政権が政局化する、とも言われます。僕が為政者だったら、絶対に同じことをやるだろうと思う。だから、これはもう、問題というより、権力者の行動原理を読み解く前提として捉えるべきだろうな。
「核」は、核戦争は別として、その他の戦争を抑止しているという見方もあって、これを消極的平和のなかに入れる人もいるのだけれど……。
――さっき、日本の平和は日米安全保障条約のおかげという話が出ましたが、アメリカの核の傘の下にいるから、という面もあるのかな……?
核兵器をもってから、超大国どうしは戦争していない。冷戦下の1962年、ソ連がアメリカの目と鼻の先のキューバにミサイル基地をつくろうとして、極度に米ソ間が緊張し、核のボタンが押されそうになったけどね。日本にとっての仮想敵は、ソ連/ロシア、中国だとしても、それらの国々とアメリカとの戦争が抑止されていれば、その傘の下にいる日本も、まあ安泰ということかな。「核」問題についても、5日間のなかで触れてゆこう。
平和学における平和の定義について、もう少し続けると、平和は健康な状態、戦争は病気だ、という考え方もあります。これについてはどう思いますか。
――五体満足とかよく言うけど、でも、もともと病気をもって生まれてきて、身体は病気でも、心は健康だとか、そういう状態もあります。だから、健康と病気は対立するものではないし、それを平和と戦争に当てはめられるとは思わない。
説得力のある意見だね。平和学の議論では、君が言ったことと近いのですが、健康というのは、病気の不在ではないという考え方がある。病気は撲滅できない。健康のむしばみを抑える抗体をもっているのが健康だ、ということです。つまり、戦争の原因はなくせないけれど、それに対する抗体の養生が大切だと言っているんだね。じゃあ、その抗体って具体的に何だろう。
平和学では、教育こそが大事だということで、「平和教育」の研究もさかんですが、僕自身、幼年期から大学時代まで、出会った教師はだいたい反面教師って突っぱねていたから、自分が教育者となった今、教育の効果と実益については、あんまり自信ない(笑)。でも、個人個人の心に抗体をつくることで頑張ろうという姿勢はいいよね。
――世界にある戦争の原因を少しでも減らしていくことが、「抗体」になる?
うん、そういう考え方もある。争いを引き起こす大きな要因のひとつは、構造的暴力だよね。でも、構造的暴力をなくそうとしたとき、その除去作業が思ったより困難で、「体制」から弾圧にあったらどうなるだろう。それがエスカレートして、武力で鎮圧されてしまったら? こちらも銃で対抗するしかない……。こうして内戦が起こるんだろうね。
戦争への「抗体」って、虐げられている人たちに、「戦争になるといけないから我慢しろ」って言うことにもならないかな。虐げられた人々が、自ら立ち上がる抵抗運動を否定することになっちゃう? それとも、抵抗は絶対に非暴力でやらなければいけないということだろうか。
非暴力主義を教義とし、かつ実践したのは、インド独立の父、マハトマ・ガンディーですね。彼は、非暴力による不服従は暴力より圧政者に対して有効だと言っている。だけど、臆病と暴力の二者択一を迫られるとしたら、躊躇なく暴力をとる、とも言ってるんだ。つまり非暴力とは、圧政者の暴力にもひるまない精神力の上に成り立つものだと。
ガンディーさんは平和学にもよく登場するけど、非暴力主義というのは死を覚悟しなきゃならない状況で威力を発揮するもので、気軽なものじゃない。
戦争のルールは、どこまで有効?
次に、戦争のほうを見てみよう。戦争とか内戦とか紛争とか、ごちゃまぜに使ってきたので、ちょっと混乱しているかもしれないね。この用語について、簡単に説明します。
戦争は、英語でwar が一般的です。第二次世界大戦もwar だし、アメリカのメディアでは、現在、アフガニスタンなどで続くテロリストとの戦いもwar と表現している。
これに対して、たとえば、アフリカのある国で現政権と反政府ゲリラが戦うような内戦には、conflict が多く使われます。でも、内戦はcivil war もよく使うので、ちょっとややこしい。
日本では、一般的にwar を戦争、conflict を紛争と訳すようです。厳密に定義しだすと、僕自身、何がなんだかわからなくなるので、実用的なものにとどめますね。
「戦争」は、国どうしが巨大な軍事力を用いてドンパチやる、そういうイメージです。一方、アフリカの内戦などは、武力といっても、戦闘規模も武器も、先進国から見ればかわいいもんですから、ちょっと上から目線で、「紛争」と呼称されるようです。でも、当事者にとっては、国内で起こったことがすべてですから、ちょっと違う。
僕がかかわった西アフリカの小国、シエラレオネの内戦は、旧式の自動小銃が主体で、戦闘自体はローテクなものだったけど、内戦の犠牲者は50万人だった(戦前から幼児の死亡率が断トツに高い貧困国なので算出が難しいのですが、内戦が引き起こしたさらなる貧困によるものを入れると、このくらいになると言われます)。現地の人々は、war と表現していたのを思い出します。
「紛争」は、武力行使に至っていない状況にもよく使われるかな。中国との尖閣諸島問題、韓国との竹島問題なんかは、英語ではdispute(係争) もしくはconflict と呼ぶこともあります。
そもそも、war とかconflict って、いけないものなのだろうか。「敵」が現れたとして、その軍隊が攻め入ってきたとき、迎え撃つのって、いけないこと? 1回目は何とか撃退したが、「敵」は一向に攻撃をやめる気がない。もう、相手の陣地まで行って叩くしか止める方法はない……これって、いけないことだろうか。
日本国内なら、人と人の争いに対処するための、いろんな法律があるよね。江戸時代では、やられたらやり返す「仇討ち」が制度化されていた。今は、どんな場合でも、私刑はやっちゃダメだよね。法は時代とともに変化する。
国と国との関係で、このような問題が起こったときに、その対処の「流儀」を規定する国際法といわれるものがあります。国内法のように、ひとつの立法機関があるわけでもないので、いろんな事件が起きるたびに国家間で決めたことや、不文律でも慣行として守られてきたことなどの総体を言います。
では、国際法は、仇討ちみたいな前近代的な行為、つまり戦争を禁止しているかというと、すべての戦争を禁止しているとは言えない。ある条件が揃い、一定のルールに従えば、戦争は「やってはいけないもの」ではないのです。
国際法で制限する戦争の「流儀」を破ると、戦争犯罪に問われたり、国際社会から非難を受けたりすることがある。でも、その効力って、どの程度あるのか。国内法であれば、法律を破れば、警察のような組織が、違反者に対して睨みをきかせ、場合によっては強制力で制圧するよね。このような仕組みが、国際社会にあるのか。あるとしても、誰がそれを行使するのか。こういった国際法の現実も、授業を通して考えてゆこう。
戦争に関する国際法には、ふたつのカテゴリーがあります。まず、戦争へと至る武力行使を、どのようなときに容認するか。
現代の国際法の主なもののひとつ、国連憲章で認めている武力行使は、(日本の憲法第9条との関連でよく話題になりますが)個別的自衛権、それと、1人じゃ心細いからと自衛のお仲間をつくって、親しい友人たちと一緒に防御する集団的自衛権。
そしてもうひとつ、国連として、国際社会全体にとっての脅威に立ち向かうというときの軍事的措置。日本では、これを集団安全保障と言いますが、僕は「国連的措置」と呼びます。この3つが国連憲章で認められているんだ。
国際法のもうひとつのカテゴリーは、戦闘中の軍事行動の倫理を問う戦時国際法、もしくは国際人道法です。主なものは、第二次大戦後、1949年に締結されたジュネーヴ諸条約、そして1977年の追加議定書と呼ばれるものです。
簡単に言うと、人道性という観点から、攻撃していいのは敵の戦闘員か軍事基地などの施設だけとされている。一般市民はもちろん、病院など一般市民の生死にかかわる施設、歴史的な遺産、そして原発も攻撃しちゃいけない。でも、現実の軍事作戦では、付隨的被害といって、一般市民の巻き添えが必ず起こります。それを最小限に留める義務も定めている。
では、テロリストとの戦いはどうでしょう。はたして戦闘員と民間人の区別はつくのか。
僕は、アフガニスタンで米軍と仕事するハメになるので実感としてわかるのですが、これは、ほんと難しい。なにせ敵の戦術は、民間人にまぎれて接近してきて、体に巻き付けた爆薬を点火する自爆テロですから。
軍事作戦は、味方に犠牲が出なければそれに越したことはないから、アメリカは現在、その最も有効な方法として、無人爆撃機(誰も乗っていない爆撃機です)を使っています。高性能のレーダーとカメラを搭載したロボット飛行機で、地球上のどこでも、遠隔操作で敵を攻撃できる。
CIAが潜伏させている現地の工作員が、この時間のこのあたりに敵がやって来そうだと情報を送ってくる。それで、何千キロも離れたアメリカ本土にいる操縦士がコンピューター画面を見ながら、ジョイスティックでミサイルを撃つんですね。いわゆるピンポイント爆撃です。といっても、針の穴を通すようなものではないので、確実に殺すために、爆発力を大きくせざるをえない。テロリストは、民間の居住地に潜んでいるから、当然、攻撃は、そこの住民も巻き込む。そもそも工作員からの情報が間違っているかもしれない……。
一説によると、テロリストひとりを殺すのに、50、60人の何の罪もない民間人が犠牲になるといわれています。もともと地上部隊を送るリスクが大き過ぎるところだからこそ無人爆撃機を使うので、国際法上の正当性を検証すべく、民間人の巻き添え被害を調査しようにも、その現場に近づけない。
ちなみに第二次大戦前の国際法の議論のなかで、「軍人」が操縦する軍用機だけに交戦権があるということが条約化されそうになったんです(このときは、飛躍的に発展する兆しのあった航空機の開発を阻害するものとして、空の戦いに関する制限全般が見送られました)。一応「軍人」が操縦はしているけど、まさかそれに乗っていない、なんて想像外だったでしょう。兵器の進化に法が追いついてゆけないんだね。
もうひとつやっかいなのが、僕が深くかかわったアフリカのシエラレオネで起こったような内戦です。戦闘状態であろうが平和時であろうが、人間の尊厳を保護することを規定しているのが国際人道法です。一般市民、非戦闘員は当前、捕虜や戦闘不能になった敵も保護しなきゃだめ、拷問なんてもってのほか。こんなことを定めているものだね。
ですが、内戦に至るような国の内情は大変に不安定で(だから内戦が起こるともいえるのですが)、そういう国の常として、慢性的な貧困問題を抱え、教育の普及もままならず、国民の大半が文字も読めない。反政府ゲリラは、ほとんどが最下層の一般市民です。こういう内戦の常として、生きたまま手足を切断するなど、個々の殺し方が筆舌尽くし難いものとなってゆく。そういう彼らに、国際法的にやってはいけないことの分別を、どう理解させればいいのか。
戦争を制限する唯一の拠り所となる国際法と、現実に起こっていることのあいだには、たいへん深刻なギャップがあるようです。そして、そのギャップに飲み込まれるように、多くの人々が犠牲になってゆく。このギャップの前にくじけるのではなく、それを「前提」として捉え、打開策を考えられないか。
僕は、人をたくさん殺した人や、殺された側の人々の恨みが充満する現場に、まったく好き好んでじゃないけれど身を置き、人生の成り行きで仕事をしてきました。正直言って、楽しい思い出はありません。だって、今、目の前にいる人間が大量殺人の責任者で、自身も実際に手をかけているのがわかっているのに、笑顔で話し合わなければならないのですから。
こういう話は、日本の日常生活とかけ離れていて、別世界で起こっていることのように聞こえるかもしれない。でも、所詮、人間がすること。同じ人間がすることなのです。
なるべく、日本人が直面している問題、過去から現在に引きずっている構造的なものに関連させて、僕が現場で経験し、考えたことを君たちにぶつけてみたいと思います。扱う国と時代を行ったり来たりすることになると思うけど、ついてきてくださいね。
ところで、先生のおひとりに聞いたのだけど、この学校にはジャズ研があるんだって?
――はい。ジャズ研からは2人参加しています。
高校からジャズをやるなんて、すごいな。僕はジャズが好きで、アフガニスタンにいるとき、45歳でトランペットを始めました。それ以来、毎日欠かさず練習していて、どこにでもトランペットを持ち歩いているんだ。やっぱり音楽は若いときに始めたほうがいいよな。うらやましいよ。講義が終わったら、ぜひセッションしましょう。
[著者紹介]
←「講義の前に」その1へ
〈講義の前に 了〉
1章へつづく
1章へつづく
伊勢崎賢治
『本当の戦争の話をしよう』
朝日出版社|Amazon
プレハブ校舎にて、「紛争屋」が高校生に本気で語った、日本人と戦争のこれから。
「もしもビンラディンが、新宿歌舞伎町で殺されたとしたら?」
「9条で、日本人が変わる?」
「アメリカ大好き、と言いながら、戦争を止めることは可能か?」
平和を訴えても、「悪」を排除しても、戦争はなくならない。
「もしもビンラディンが、新宿歌舞伎町で殺されたとしたら?」
「9条で、日本人が変わる?」
「アメリカ大好き、と言いながら、戦争を止めることは可能か?」
平和を訴えても、「悪」を排除しても、戦争はなくならない。