12.27.2014

伊勢﨑賢治 『本当の戦争の話をしよう』第一回

第1回
伊勢崎賢治さんの『本当の戦争の話をしよう』を2015年1月15日に刊行いたします。伊勢崎さんが「気がついたときには、こちらが丸裸にされていた」と語る、2012年1、2月に福島県立福島高等学校でおこなった5日間の講義録です。まず、序章の「講義の前に」からお届けいたします。「紛争屋」がプレハブ校舎にて、高校生に本気で語った、日本人と戦争のこれから。ぜひお読みください。(編集部)

講義の前に


「経験者の話」を聞く前提

こんにちは。今日から5日間、みなさんと戦争、そして平和というものを考えていきたいと思います。休日に、こういうテーマの授業に志願して集まってくれた18人のみなさんは、高校生のなかでも、きっとユニークな人たちなんだろうと思う(笑)。今は高校2年生で、春から3年と聞いているけど、というと、何歳かな?

遅生まれは16歳で、だいたい17歳です。

そうか、若いね。僕の2人の息子よりも。僕が君たちぐらいのときだったら、休日を返上して授業に出るなんて、しなかっただろうな、絶対(笑)。

ふだん、僕は東京外国語大学という、世界で話されている26ヵ国の言語と、その地域の文化や政治を研究する大学で教えています。僕が受けもつ大学院のゼミに集まる学生は、全員外国からの留学生たちです。アフガニスタン、イラク、イラン、ミャンマー、ボスニア・ヘルツェゴビナなど、現在戦争や内戦の問題を抱えている国、もしくは大きな内戦がやっと終わり、再発の不安を抱えながら新しい一歩を踏み出しつつある国からやってくるんだ。そこで彼らと何をやっているかは、おいおい話しますね。

今は大学で働いていますが、その前の仕事場は彼らの側、紛争の現場でした。国連や日本政府の立場で、戦争や内戦で混乱している場所に行き、対立している武装勢力と交渉、説得して武器を捨てさせる―「武装解除」といいますが、そんな仕事をしていました。ずっと紛争を飯のタネにしているわけだから、自嘲気味に、他人の不幸で儲ける「紛争屋」と名乗っています。


みなさんの高校は、震災で校舎が一部使えなくなって、この授業もプレハブのなかでおこなっていますが、僕はプレハブに入ると、フラッシュバックで、荒れた紛争の現場を思い出します。日本のプレハブって、KOBE HOUSEと呼ばれて、けっこう世界で有名なんですよ。1995年の阪神淡路大震災のときにプレハブがいっぱいつくられましたが、仮の建物だから、復興が進むと役目を終えて取り壊される。それらが、どこかのリサイクル業者に流れて、貧しい国にたどり着いたんでしょうね。

僕が初めてKOBE HOUSEに出会ったのは、国連の一員として東ティモールという国に派遣されたときでした。身一つで送られた現場はまさに焦土。建物という建物はすべて破壊されていて、活動しようにも僕らが雨露をしのぐシェルターなどない。道路も寸断されているから物資の補給路もない。そんなとき、国連本部が現場の僕たちにヘリコプターで落としていった建設資材が、KOBE HOUSE だったんです。そのプレハブで、そして震災後の福島で、みなさんに僕が経験したことを話すのは、何か特別なものを感じます。




さて、講義の進め方ですが、ふだんの大学の講義は、カリキュラムといって教師が決めた流れにそっておこないますが、今回は着地点を決めずに、僕が現場で悩み、そして今でも悩んでいる問題を、できるだけ素直にみなさんに投げかけたいと思います。そして、みなさんの反応を受け、一緒に次を考えるようなかたちでやってみたい。みなさんの意見によって、講義の内容も、僕自身の考えも変わってゆくかもしれません。

実は、僕は非常に緊張しているのです。それは、みなさんが高校生だから。加えて、扱うテーマが平和と戦争です。

戦争は、究極の政治決定ですね。戦争と対極の平和も、とくに日本では、その象徴である憲法9条をどうするかということが、まさに政局を二分する政治問題です。正直、そんなこと、みなさんに言いたくない。もし、中高生のときの僕の息子に他の大人がそんなことをしたら、政治を押し付けるなよって思っちゃう。

という僕ですが、新聞やその他のメディアで、けっこう政治的な発言をしています。僕の名前をインターネットで検索すると、いろんな批判をされていますので、よかったら参考に眺めてみてください(笑)。

あらかじめ言っておきますが、この授業で、僕の顔色を見る必要はまったくありません。僕を否定してかまわないし、そうあるべきだと思う。どんなことでも自由に発言してください。

それと、僕が現場で悩んだこと、今でも悩んでいる問題を素直に投げかけると言いましたが、みなさんにとって、僕が言うことは、普通の日本人があまりさらされないような実体験からくる、反論し難い現場の声のように聞こえるかもしれません。よく日本人は「平和ボケ」だと自嘲気味に言いますが、とかく海外、それも戦争の現場の経験者なんて言うと、むやみに特別視されがち。そんな人に「俺はこうだったんだ」って言われたら、そうかと引き下がらざるをえないでしょう。

でも、経験者って、実はあまりあてにならないんですよ。だって経験とは、そもそも、その個人の主観というプリズムで見たスナップショットの連続で、それをまた同じ主観のなかで編集したものでしかない。報道だって同じ。カメラで撮影した映像も、まずアングル自体、撮影者が決めたものだし、構図の一部を切り取って強調することもできる。

有名な話ですが、米軍のイラク侵攻のときも、サダム・フセインの像が群衆に引きずりおろされ、小さな子供がフセイン像をスリッパでペンペン叩いている光景が、繰り返し、繰り返し報道されました。靴で人を叩くというのはイスラム教の世界では大変な侮辱です。

あの映像だけを観ると、イラクの人が国を挙げて「フセインを倒してくれてありがとう」と言っているかのように受け取ってしまうけれど、カメラを遠くにひくと、数百人がかたまってワイワイ騒いでいるだけで、まわりは静かなんだよね。いちおうそれは米軍に感謝するイラク人がいるという事実を報道してはいますが、同時に、そういう人々はほんの一部でしかないという別の事実を、視界から外せる。

そんなわけで、いわゆる経験者が話す経験値というのは、すべて、その本人に都合がいいように演出したものと思ってください。これが、僕の話を聞いていただく前提です。

日本は平和ですか?

では、手始めに、僕たちをとりまく平和について考えてみましょう。みなさんは、日本は平和だと思いますか。

世界的に見れば平和だと言えると思いますが、そもそも平和ってどういうことを指すのか、定義がわかりません。

うん、実は僕にとっても、あまりはっきりしていないのです。戦争と平和が対立する概念かどうかということも、そうとも言えるし、そうじゃないとも言える。なぜかというと、ほとんどの戦争が、平和を目的に起こされているからです。平和を乱す敵と戦おうということで戦争が起きる。少なくとも指導者はそう国民を説得するわけですね。

じゃあ、あんまり平和を求め過ぎると戦争になっちゃうのだろうか。このわからないものを、わからないなりに考えていきましょう。平和、もしくは、平和な状況を定義しながら、日本はどうか、思いつくことを挙げてください。

戦争がなく、治安が比較的良いことを平和と定義するなら、日本はとても平和な国だと思います。夜、外を出歩いても犯罪に巻き込まれることはほとんどないし、福祉も安定しているし、安全な飲み水もある。

そうだよな。僕は、人生の半分ぐらいを海外で暮らしてきましたが、日本ほど治安の良い国にはお目にかかったことがありません。安眠するために、高いお金を払って武装したボディーガードを雇うことが、ある階層以上の人々にとっては、ごくふつうの国もある。日本では、安全は空気みたいなもので、基本的にタダという感覚。別に自腹を切る必要もない。

僕も平和だと思う。中国や韓国、ロシアと領土問題があるし、北朝鮮問題もあって、緊張が高まっているようには感じるけれど、でも、このようなことは世界中で起きているわけだし。日本も含めて、それぞれが適切な態度をとりつづければ、戦争は起きないと思います。本来の平和とは少し異なるかもしれないけど、現時点ではこの状態でもいいんじゃないか。
それに、リビアとか、内戦を起こした国を見ると、日本が平和じゃないなんて、とても言えません。

少し前に日本のメディアにも登場したリビアでは、ムアマル・カダフィという独裁者が、42年間にわたる圧政を布いていました。それに不満をもつ民衆の反政府運動が2011年に大規模なデモに発展し、封じ込めようとする政府治安部隊との衝突が激化、内戦状態になりました。

そして、軍事力で圧倒的に勝る政府側が、民衆を虐殺しているという報道がなされるようになると、欧米を中心に国際社会が反応し、ついに国連が動きます。フランス、イギリス、アメリカを中心としたNATO(北大西洋条約機構)軍による軍事介入を国連安全保障理事会が認めた。反カダフィの人たちに加勢するために、政府軍に対する爆撃を開始したのです。NATOによる空爆は2011年3月から7ヵ月間にわたり、空爆回数は9600回を超えたといいます。

結果的に、この軍事介入は功を奏し、カダフィ政権は倒れ、カダフィも民衆に殺された。これは、内戦、つまりリビアのなかの内輪喧嘩に、外の人間が武力で、それも片方に加勢することですが、こういうの、どう思う?

それがいいかどうかとか、わからないですが……。独裁で、リビアの政治は良くないし、国民は苦しめられていたけれど、経済水準はある程度高くて、医療も整っていたみたいで何とも……。よく調べない限り、下手なことは言えないって思います。

よく報道を追っていますね。確かに独裁下のリビアでは、言論の自由はなかったし、民主主義も否定されていたけど、経済も治安もそれほど悪くはなかった。もちろんカダフィに歯向かう発言をすれば、すぐに逮捕されて拷問され、殺される人も大勢いた。けれど、独裁を受け入れれば、民衆の生活自体は悪くなかったといわれています。貧困がない、治安が良い、それだけで人々が平和と感じるわけじゃないというケースが、このリビアかな。

そういう国とくらべると、日本は平和だと思います。テロや国内の暴動が少ない。第二次世界大戦後、戦争をしていませんし。

テロは確かに少ないけれど、みなさんが生まれる前の1995年、オウム真理教という団体が地下鉄サリン事件などを引き起こしました。この事件は、綿密な計画のもと実行されたテロ事件として、僕たちの脳裏に深く刻まれています。それ以降、日本では、大きなテロ事件は発生していませんが、この状態がずっと続いてくれる保証はあるのでしょうか。そして、戦争とのかかわりについていうと、確かに日本単独では戦争していませんね。憲法上、できませんから。でも、戦争には関与してきました。

1991年の湾岸戦争にも日本は1兆円以上のお金を出したし、2003年にアメリカがフセイン政権を倒したイラク戦争では、大規模な戦闘の終結宣言がなされた後でしたが、自衛隊の部隊を派遣しました。自衛隊を送ったのに、戦争したという実感が我々にないのは、どうしてだろう。さらに、お金を払っただけでは、戦争したことにならないのでしょうか。そんなことも議論してゆこう。

小さなもめごとがあるほうが、平和にはちょうどいい?

平和を戦争や内乱が起こっていない状態や、世界の平均をとった上での安全度をさすとしたら、日本は平和かもしれません。でも、平和とは、そういうものではないと思う。見せかけの平和は、平和じゃないと思います。

どういう部分が見せかけだと思いますか。

日本は戦争がないかわりに、外交の弱さを抱えています。たとえば北朝鮮の拉致問題では、相手の言うことにうなずいているだけの外交をしている。

うん、拉致問題はひどい。戦争状態にもない他国の政府が勝手に入ってきて、国と国との政治にはまったく関係のない個人をさらっていくのだからね。日本政府が、これを他国の国家権力による犯罪と認定するのに時間がかかった。拉致被害者家族は当初、日本社会からも奇異な目で見られ、二重の苦しみを味わってきたんですね。日本政府は北朝鮮に対して、ずっと経済制裁という兵糧攻めをしています。兵糧攻めにすれば音を上げて「降参」って、拉致被害者を返してくれるんじゃないかと続けているわけだけど……。

中国もロシアもいるし。

うん、日本だけが兵糧攻めをやったって意味がないわけだ。中国とロシアが日本のいうことをすんなり聞いてくれるとは思えない。拉致被害者のご家族はご高齢です。このままグダグダしていると、解決を見ないまま、ご家族の寿命がつきてしまうことにもなりかねない。

そういう国家間のもめごとがないのが「平和」だと思う。もめごとがあると、緊張関係で戦争に発展することもあるだろうし。

難しいよね。一方、ちょっと不謹慎に聞こえるかもしれないけれど、僕は、少しは衝突があって、緊張が表面化していたほうが平和にとっていいんじゃないかと思うこともあります。人間、共存するには、何かしらの「はけ口」が必要なのかなって。小規模の衝突があって、これをさらにエスカレートさせたら全面的な戦争になるかもしれないという事態と、その場合の損害を、政治家や国民が現実味をもって予測できる。そんな機会が、小さな事件として、ちょこちょこあるぐらいの環境が、平和が維持されるにはちょうどいいのかもしれない、って。

僕は立川高校という、東京がまだ「府」だったころ2番目にできた、バンカラな雰囲気を残す学校に通っていました。当時の僕は、ちょっとカッコつけて学ランを着て、高下駄を履いて登校していたんだ。かなりとんがった、扱いにくい少年だったと思います。高校では柔道を、大学では極真空手をやっていた。といっても、有段者じゃないから、たいしたことないですよ。基本的に辛抱強くないもので。

極真空手は寸止めしない格闘技ですが、よく先輩や指導者級の人たちが言ってたんだ。「格闘技は野蛮じゃない。平和のためにある」って。格闘技をやると、何をすれば相手に致命的なダメージが与えられるかがわかる。だから相手を殺さないケンカができる。これを社会が、国家が学習すれば、平和の役に立つと。僕の「小規模衝突有効論」は、このころの経験から来ているのかな。

でも、武道を嗜む国民にしては、日本は過去、その好戦性を縦横無尽に発揮して大きな戦争を主導しただけでなく、敗戦が目前に迫っても、精神論が戦略を支配する、みたいなことになってしまったのだから、この論はあまり当てになりませんね。他の意見はあるかな。

私も表面的には平和だと思います。でも、東北で感じたことはないですが、関西では部落差別とか、そういう問題がいまだに残っているとも聞きます。それに、東日本大震災や原発事故が起きて、いろいろ気になって調べたのですが、下請けの下請けで原発ジプシーと呼ばれている人たちが命の危険のあるところで働いていたりもする。沖縄の基地問題もずっとありつづけているし、完全に平和とは言えないんじゃないか。

表面的には何不自由ない社会で、大多数の平和のために、底辺の特定の人たちに、それも見えないところで、しわ寄せがいってしまうという構図ですね。日本では「格差」という言葉が定着していますが、これは特定の集団の話だけでなく、迷惑施設としての原発建設を受け入れなければならない「大都市圏」対「地方」という構図にも当てはまる。福島が、まさにこれなのでしょう。

日本の平和は何のおかげ?

日本は平和か否かと問われれば、様々な問題を抱えているけど、どちらかと言えば平和だ、という意見が多いようですね。じゃあ、この日本の平和は何によってもたらされているのでしょう。

いちばん大きな要因は、日本に、戦争して犠牲を払ってでも守るべき国益がなかったからだと思います。そもそも憲法第9条で戦力、武力を永久に放棄すると定められているから、ほとんどの国民が、外交問題の解決に「戦争」という手段を、まず考えはしない。
それと、日本とアメリカの軍事力に対抗できる勢力がなかったから、結果として平和が保たれている。

日本の平和は何のおかげかと聞くと、9条と日米安全保障条約を挙げる人は多い。日本が米軍の傘の下にいる限り、対抗する国はいないだろう、ということですね。米軍は抑止力になっていると思いますか?

今はなっていると思います。攻めたほうがデメリットが大きい。

あとは、自衛隊がけっこう大きい。守ることにおいては強いんじゃないかと思います。

僕は毎年、イラクやアフガニスタンの学生たちを沖縄に連れて行くんです。「迷惑施設」としての米軍基地の実体は、東京にいるだけでは見えない。平和な日本の正体、そして、アメリカが始めた戦争が現在でも進行する彼らの母国で、いつかは訪れるかもしれない「アメリカがつくる“平和な”戦後」のひとつのかたちを見せるためです。

第二次世界大戦後、日本が二度と歯向かわないように武装解除し、一切の武力をもたせずに占領統治をしたアメリカですが、朝鮮半島で冷戦という共産圏との新たな対立構造が始まると、手の平を返したように、日本を子分として再武装させます。それが現在の自衛隊であり、占領軍から在日米軍と名称は変わっても日本国内に米軍基地を維持する体制なのですが、当然、そういうアメリカと日本政府の動きに反対する勢力も現れました。それが、日本の社会運動史に燦然と輝く、大学生やみなさんのような高校生まで加わった六〇年安保闘争です。安保、つまり日米安全保障条約は、米軍の駐留の継続を認める条約ですね。

こういう民衆の動向を察してか、日本本土の米軍基地は縮小、返還され、当時はまだアメリカ統治下だった沖縄で、それらが増強されてゆきます。そして、1972年に沖縄が日本に返還された後でも、それは変わらず、米軍が日本で占用する全面積の75%が沖縄に集中することになりました。

僕が生まれ育った東京の立川は、かつては米軍基地の町だったんです。1977年に返還されましたが、僕が子供のころは米兵がたくさんいました。

米軍基地が近くにあって、良かったことと悪かったことってありますか。

うーん、個人的な感覚だけで言うと、とりたてて悪い思い出はないかな。かつての立川は、米兵相手の売春を含む夜の産業がさかんで、それらを仕切る裏の危ない組織も一般市民の生活と共存する町でした。文化的にもアメリカナイズされた独特の場所だった。僕らの世代はアメリカ文化に強い憧れがあるんだよね。

米軍の兵士と日本人とのあいだに生まれた二世、ハーフが多くて、遊び仲間に何人もいました。米兵と日本人女性に恋が芽生えて、子供をつくって、米兵は任務が終わると国に帰り、子供とお母さんは残される。今では、ハーフは、ファッション的にカッコいい存在かな。でも、昔は混血児と言われて、差別の対象でした。

僕は母子家庭で育って、小学校2年生くらいまでは、そういう夜の女の人たちや、キャバレーのバンドマン一家なんかが住む安アパートで暮らしていました。僕の母親は、ホステスたちをお客さんとして、裁縫することで生計を立てていたんです。今考えると、よくそれで生活できたと思うけど、貧しいものどうし、みなで助け合っていたんだね。台所とトイレが共同の四畳半でしたが、和気あいあいと暮らしていて、僕は女の人たちにチヤホヤされて育ち(笑)、悪い思い出ってないんだよな。

小学校中学年になると、同じ立川の砂川町という、米軍基地に薄いフェンスひとつで隣接する場所に住みますが、ここは米軍基地の拡張計画に住民が反対した「砂川闘争」で有名なところです。反対派住民と警察隊の大規模な衝突があったのは、僕が生まれる直前まででしたが、運動や裁判はずっと続いていました。

僕はというと、クラスメイトも含めて、そんな運動はまったく意識の外で、フェンス越しに友達になった米兵家族の悪ガキたちとツルんで、「米領」に侵入し、無修正のポルノ雑誌を漁って「日本領」に持ち帰って小遣い稼ぎしたりしていた。先輩たちは、ベトナム戦争で戦死して空輸されてきた米兵の死体洗い。当時の日本の物価水準では破格のバイト料のおこぼれに与って、また悪いことしたり……(笑)。

米軍基地は騒音がひどいし、時々、軍用機がオーバーランして農家に突っ込んだりして危なかったけど、僕にとっては、ちょっと猥雑な、古き良き思い出しかありません。

そうこうしているうちに、政府は拡張計画を断念、1977年には米軍基地が全面返還となりました。こう見ると、砂川闘争は、住民運動の勝利みたいに映るけれど、結局は、遠く離れた沖縄にしわ寄せがいって、僕らのなかでの米軍基地は終わってしまったんだな。

戦後65年余のあいだ、直接的には、誰も戦争で殺さず、誰も戦争で殺されていない日本は、先進国のなかでは、本当に稀な存在です。その意味では、日本は平和と言えそうですが、じゃあ、その平和は何のおかげか、というと、9条のおかげだと言う人もいるし、アメリカの軍事力のおかげと言う人もいる。僕はというと、その両方だろう、としか言えない。自信をもって言えるのは、そのどちらかだけのおかげではない、ということです。

北海道にソ連が上陸してくることを想定して日夜訓練してきた自衛隊ですが、そうはならずに冷戦時代を乗り切った。そして、中国が世界に台頭する現在も、尖閣諸島のような領土問題を抱えながら何とか平和なのは、何があっても戦争をしないと自己主張している9条と、結果、戦争をやらずに今日までやってきた、確固たる実績が醸し出す、周辺諸国への安心感。そういう面も、確かにあると思う。けれど、やっぱり、世界で突出した軍事力をもつアメリカの庇護下にあることも大きい。

アメリカが国外に駐留させる米兵の数では、アフガニスタンのような戦闘地域を除けば、日本は世界一で、約5万5千人です(それに次ぐのがドイツの4万7千。2014年3月時点、米国防総省資料より)。そして米軍駐留のために、その受け入れ国が払う負担でも、日本がダントツの世界一です。日本では「おもいやり予算」と言うよね。仮想敵国がいるとしても、世界の半分を行動範囲とするアメリカ第七艦隊の司令部を横須賀に置き、「世界の警察アメリカ」の世界戦略に深く組み込まれている日本を攻撃するには、よほどの度胸が必要でしょう。沖縄の負担のおかげで日本は平和なのだけれど、そのアメリカが戦争している。日本の平和って、ほんと、何なのだろう。こういうことを5日間で考えてゆきましょう。

[著者紹介]


伊勢崎賢治
『本当の戦争の話をしよう』

朝日出版社Amazon
プレハブ校舎にて、「紛争屋」が高校生に本気で語った、日本人と戦争のこれから。
「もしもビンラディンが、新宿歌舞伎町で殺されたとしたら?」
「9条で、日本人が変わる?」
「アメリカ大好き、と言いながら、戦争を止めることは可能か?」

平和を訴えても、「悪」を排除しても、戦争はなくならない。
「全ての問題には必ず何らかの政治的決着――戦争や武力闘争も含めて――があるとして、それをできるだけ早期に、そして、なるべく人が血を流さないものに軟着陸させる」