6.23.2011

中川恵一
イラスト 寄藤文平
21. 「いつ・どこで・どんなものが・どの期間」に注目する。

福島第一原子力発電所の事故以来、ニュースでは、
――「浄水場の水から、乳児の摂取量の上限となる暫定基準値を上回る量の放射性ヨウ素が検出」
――「海水の放射性物質、基準上回る。ヨウ素131の濃度は、今月2日に基準値の750万倍」
といった表現をひんぱんに目にするようになりました。(ただし安全を見越して、基準値自体が低い値に設定されていますから、「○○倍」という言い方も若干問題かもしれません。)

放射線の人体への影響を考えるには、「いつ・どこで・どんなものが・どの期間」に検出されたのか、を確認することが大事です。


まず、「いつ」か。放射線防護の観点から、平時と緊急時が区別されます。(平時は「平常、通常」の意味で「戦時」の対語です。)

平時においては、一般公衆の年間放射線量限度は1ミリシーベルト(mSv)。原発の作業員を含む、放射線作業従事者は年間50ミリシーベルトかつ5年間で100ミリシーベルト、緊急時には年間100ミリシーベルトでした。この作業従事者の緊急被ばく限度の100ミリシーベルトは、3月26日に250ミリシーベルトに引き上げられました(放射線審議会声明)。

「どこで」。福島原発事故から1か月を経た2011年4月の状況では、(1)原発事故の現場(現場作業員)、(2)原発に近隣する地域(近隣住民)、(3)その他の地域(一般公衆)、に大別して考える必要があります。

「どんなものが・どの期間」について。放射性物質には固有の「半減期」があります。放射性ヨウ素131(I‐131)の半減期は8日。3月15日以降、福島原発からの放射性物質の大きな漏洩(ろうえい)がないと考えられるので、I‐131から生じる放射線量は8日ごとに半分になっていきます(3か月でその影響は千分の1以下に)。

 

放射性ヨウ素の対策は、「はじめが肝心」です。他方、放射性セシウムや放射性ストロンチウムの海や土壌への拡散・流出と蓄積にはずっと注意していく必要があります。これらの物質は半減期が長いからです(長いもので半減期は約30年)。

4月11日、政府が設定した「計画的避難区域」「緊急時避難準備区域」は、こうした長期的な観点(半減期の長い放射性物質に警戒する必要)に基づいた措置と言えます。この点については、本の最後に取り上げます。


22. 「100ミリシーベルトで0.5%」のとらえ方──その1。

今、福島第一原発の事故で、放射線被ばくを心配される方がおおぜいいます。

たしかに、私たちの細胞は、放射線によりダメージを受けます。しかし、生命が地球上に誕生した38億年前から、私たちの祖先はずっと放射線をあび続けてきましたから、細胞はDNAのキズを〝修復″する能力を身につけています。自然被ばくのレベルから放射線量が増えても、余裕を持って対応できます。

ところが、大量の被ばくになると、〝同時多発的″にDNAの切断が発生するため、修復が間に合わなくなり細胞は死に始めます。500ミリシーベルトといった被ばく量になると白血球の減少などの「確定的影響」(しきい値がある障害)が発生します。逆に、しきい値以下の線量では、確定的影響は見られませんが、200ミリシーベルトという低い線量でも、発がんの危険は上昇します。

 

被ばく量と発がんリスクの上昇についての関係は、広島・長崎の被爆者のデータが基礎となっています。原爆での被ばく量は、爆心地からの距離によって決まりますから、被爆時にどこにいたかがわかれば、被ばく線量は正確に評価できます。

たとえば長崎では、爆発したときに出た放射線(初期放射線)は、爆心地から半径3キロ付近で7ミリシーベルト、3.5キロ付近で1ミリシーベルトだったことがわかっています。この他に、初期放射線によって放射化された土や建物からの放射線(残留放射線)もありましたが、急速に減少し、短期間でほとんどなくなりました。(長崎では爆心地から100メートル地点での初期放射線量は約300グレイでしたが、原爆投下24時間後には0.01グレイまで減少したとされています。)


23. 「100ミリシーベルトで0.5%」のとらえ方──その2。

この点、チェルノブイリなどの原発事故では、住民の被ばく量の見積もりは困難です。たとえば、今回の福島第一原発事故でも、原発から30キロ以上離れている飯舘村(いいたてむら)での放射線量が高いため、「計画的避難区域」に指定されています。

原発から大気中に放出された放射性物質が、北西の風に乗って、この地域に流れ込んだことが原因です。原発事故の場合、同心円状の距離では、被ばく線量を特定できませんから、個人の正確な測定がなされていなかったチェルノブイリ原発事故などのデータは信憑性(しんぴょうせい)が低いという難点があるのです。

広島・長崎のデータでは、100~150ミリシーベルト以上の被ばくでは、がんの発生が、被ばく線量に対して、直線的に増えていました。しかし、これ以下の線量では、発がんリスクの上昇は〝観察″されていません。

このことは、「100ミリシーベルト以下の被ばく線量ではがんは増えない」を意味するわけではありません。そもそも、200ミリシーベルトの被ばくで、致死性のがんの発生は、1%増加するに過ぎません。50ミリシーベルトで、本当に、0.25%増えるかどうかを検証するだけの「データ数」がないのです。

「100ミリシーベルト以下の被ばく線量ではがんは増えるかどうかわからない」というのが本当のところです。

ただ、インドのケララ地方のように、放射性物質を含む鉱石(モナザイト)のため、屋外の自然被ばくが年間70ミリシーベルトにまで達する地方があります。しかし、そうした地域でも、調査の結果、がん患者は増えていません。実際、多くの専門家が100ミリシーベルト以下であれば、発がんリスクは上がらないのではないかと考えています。

200ミリシーベルトで、致死性のがんの発生率が1%増えるわけですが、もともと、日本人のおよそ3人に1人が、がんで死亡します。つまり、100ミリシーベルトで、がんによる死亡リスクが33.3%から33.8%に、200ミリでは、34.3%に増えるというわけです。

 


24. 私たちの生活はリスクに満ちている。

現代日本人は、リスクの存在に鈍感です。今回、突然降ってわいた、「放射線被ばく」というリスクに日本全国で大騒ぎをしていますが、他にも、私たちの身の回りに、リスクはたくさんあります(国立がん研究センター がん予防・検診研究センター 予防研究部)。

たとえば、野菜は、がんを予防する効果がありますが、野菜嫌いの人の「がん死亡リスク」は150~200ミリシーベルトの被ばくに相当します。受動喫煙も100ミリシーベルト近いリスクです(女性の場合)。

 

肥満や運動不足、塩分の摂り過ぎは、200~500ミリシーベルトの被ばくに相当します。タバコを吸ったり、毎日3合以上のお酒を飲むとがんで死亡するリスクは2倍くらい上昇しますが、これは、2000ミリシーベルトの被ばくに相当します。つまり、今回の原発事故による一般公衆の放射線被ばくのリスクは、他の巨大なリスクの前には、〝誤差の範囲″と言ってよいものなのです。(とくに100ミリシーベルト以下の被ばくのリスクは、他の生活習慣の中に〝埋もれて″しまいます。)

ただし、喫煙や飲酒などは自ら〝選択する″リスクですが(リスクと知らずに選択している場合も多い)、原発事故に伴う放射線被ばくは、自分の意志とは関係ない〝降ってわいた″リスクです。放射線被ばくは、その意味で、受動喫煙に近いタイプのリスクと言えるでしょう。

「ゼロリスク社会、日本」の神話は崩壊しました。今回の原発事故は、私たちが「リスクに満ちた限りある時間」を生きていることを再考させる契機です。


第8回へ
(続く)
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