7.15.2011

國分功一郎

第7回

第一章 暇と退屈の原理論
―ウサギ狩りに行く人は本当は何が欲しいのか?(承前)

ラッセルの『幸福論』
ここまで、パスカルの考察をもとにして議論を深めてきた。それによって、〈暇と退屈の倫理学〉の出発点を得られたように思う。

人間は部屋でじっとしていられない。だから熱中できる気晴らしをもとめる。熱中するためであれば、人は苦しむことすら厭わない。いや、積極的に苦しみを求めることすらある。この認識は二十世紀が経験した恐ろしい政治体制にも通じるものであった。

今度は、この基本的な認識をもとにしてこの後どのように議論を進めていけばよいか、どんな問題に答えるべきか、そうしたことを考えたい。

そのために二人の哲学者に登場してもらおう。

一人目はバートランド・ラッセル[1872~1970]である。ラッセルは二〇世紀を代表するイギリスの大哲学者だ。『ライプニッツの哲学』や『哲学史』などの哲学史研究から、『数学原理』などの数理哲学まで、哲学の中の幅広い分野をカバーする仕事をした。

また、他方、反ベトナム戦争、反核運動などの平和運動でもよく知られており、ノーベル平和賞を受賞した大知識人でもある。人類が誇るべき偉大なる知性だ。

そのラッセルもまた、彼独自の仕方で〈暇と退屈の倫理学〉を構想している。それが見いだされるのが、彼が書いた啓蒙書の一つ、『幸福論』(一九三〇年)*15である。
*15―Bertrand Russel, The Conquest of Happiness, Liveright, 1996
バートランド・ラッセル、『ラッセル 幸福論』、安藤貞雄訳、岩波文庫、一九九一年
この本は翻訳が文庫にもなっており、日本では入手しやすい書物であるが、それほどよく読まれているとは思われない。もしかすると、扱われている題材が非常にソフトで、知的刺激を欠くと思われていることがその理由の一つかもしれない。しかし、その判断は早計である。この本は実に鋭い時代意識に基づいて書かれたものなのだ。

幸福である中の不幸
ラッセルは冒頭で、自分が幸福について考えを述べるにいたった理由を説明している。

「動物は、健康で、食べる物が十分にあるかぎり幸福である。人間も当然そうだと思われるのだが、現代世界ではそうではない」*16
*16The Conquest of Happiness, p.15
『幸福論』、一一ページ
取り立てて不自由のない生活。戦争や貧困や飢餓の状態にある人々なら、心からうらやむような生活。現代人はそうした生活をおくっているのだが、しかし、それにも関わらず幸福でない。満たされているのだが、満たされていない。近代社会が実現した生活には何かぼんやりとした不幸の空気が漂っている。

自分が論じたいのは、そのような現代人の不幸、すなわち、「食と住を確保できるだけの収入」と「日常の身体活動ができるほどの健康」を持ち合わせている人たちを襲っている日常的な不幸である、とラッセルは言う。

人はそれを贅沢病と呼ぶかもしれない。飢餓や貧困や戦争に比べればなんのことはないと言う人もいるかもしれない。

だが、日常的な不幸には、そうした大きな非日常的不幸とは異なる独特の耐え難さがある。何かと言えば、原因が分からないということである。

飢餓や貧困や戦争にははっきりとした外的原因がある。あるいはそれが分かっている。しかし、日常的な不幸にはそれがない。なんとなく不幸であるのに、なぜだかが分からない。だからこそ逃れようにも逃れられない。そのことがこの不幸をますます耐え難くする。

ラッセルはこの何だかよく分からない不幸に対して、「一つの治療法」を提案しようと試みるのである。

ラッセルとハイデッガーの驚くべき一致
ラッセルがこのように考えるに至った時期のことを忘れてはならない。『幸福論』は一九三〇年に出版されている。つまりラッセルはこの時期に、日常的な不幸が一つの大きな問題となって社会を揺るがしていることに危機感を抱いたということだ。

わたしたちはこの本の最後でマルティン・ハイデッガーという哲学者の退屈論に取り組むことになる。これは退屈論の最高峰と言うべきものなのだが、実はハイデッガーがその退屈論を講義していたのが、一九二九年から一九三〇年にかけてである。まったく同じ年のことなのだ。そして、読めば分かることだが、ハイデッガーが扱っているのも、ラッセルと同じく、食と住を確保できるだけの収入と、日常の身体活動ができるほどの健康を持ち合わせている人たちの不幸なのである。

実はこの符合は、ハイデッガーとラッセルのことを知っている者にとっては少々驚きの事実である。なぜなら、二人は政治的にも哲学的にも犬猿の仲であり、まさしく水と油の関係にあるからだ。

ハイデッガーは二十世紀の大陸系哲学を代表する哲学者であり、ラッセルは二十世紀の英米系分析哲学を代表する哲学者である。これら二つの傾向は今に至るまで対立し続けており、両者ともに相手を哲学として認めようとしていない。ラッセルがその著書『西洋哲学史』の中でハイデッガーを全く取り上げなかったのは有名な話である(ラッセルによればハイデッガー哲学は、哲学ではなくて「詩」である)。

また、ハイデッガーはナチズムに荷担したことでもその名を知られているが、ラッセルは反ファシズム運動の活動家でもあった。ハイデッガーの退屈論には、その後の彼の行動を予感させる議論が満載されているのだが、ラッセルはおそらくその議論を認めはしなかっただろう。

だが、こうした強烈な対立にも関わらず、二十世紀初頭を体験したこれら二つの偉大なる知性は、同じ時期に全く同じ危機感を抱いたのである。取り立てて不自由のない生活の中に巣くう不幸。物言わぬ霧のようにただよってくる退屈。それに危機感をいだいた二人の哲学者は、イギリスとドイツで同時にこれへの対応を試みたわけだ*17
*17―彼らの議論はその内容においても呼応する点があることも注目される。ハイデッガーは「大地」の重要性を強調した哲学者だった。ラッセルもまた同じことを述べている。今日の人々の不幸の原因を、大地との接触の欠如に求めているのである。「私たちは〈大地〉の子である。私たちの生は〈大地〉の生の一部であって、動植物と同じように、そこから栄養を引き出している」(The Conquest of Happiness, p.54〔『幸福論』、七二ページ〕)。ハイデッガーがその後ナチズムに急接近していくことを考えるなら、この時期に反ファシズムの思想家であるラッセルがハイデッガーと同時に退屈論を構想したことは、極めて重要な意味をもつ。退屈論はファシズム的な解決策を招き寄せる。ラッセルはそれに抵抗するだろう。しかし、ラッセルはハイデッガーと共通する論点を提示している。なお、ナチスが政権を取るのは、すぐ後、一九三三年のことである。

退屈の反対は快楽ではない
実際にラッセルの退屈論を検討しよう。

退屈とは何か? ラッセルの答えはこうだ。退屈とは、事件が起こることを望む気持ちがくじかれたものである。

どういうことだろうか? ラッセルの言わんとするところを理解するためには、ここで「事件」が何を意味しているのかを明確にしなければならない。

ここに言われる「事件」とは、今日を昨日からを区別してくれるもののことである。

人は毎日同じことが繰り返されることに耐えられない。「同じことが繰り返されていくのだろう」と考えてしまうことにも耐えられない。だから、今日を昨日から区別してくれるものを求める。もしも今日何か大きな事件が起きれば、今日は昨日とは違った日になる。つまり、事件が起きれば同じ日々の反復が断ち切られる。事件によって今日が昨日から区別されるとはそういうことである。

したがって人は事件を望む。だが、そうした事件はなかなか起きはしない。だから退屈する。これが、「事件が起こることを望む気持ちがくじかれたもの」という定義の意味するところである。

こう考えると奇妙なことに気がつくだろう。退屈する心が求めているのは、今日を昨日から区別してくれる事件である。ならば、事件はただ今日を昨日から区別してくれるものであればいい。すると、その事件の内容はどうでもよいことになる。不幸な事件でもよい。悲惨な事件でもよい。

「他人の不幸は蜜の味」と言われる。誰かが他人の不幸を快く感じたとしても、それはその人の性質が根底からねじ曲がっていることを意味はしない(もちろん少しはねじ曲がっているかもしれないが)。この蜜の味には、ある構造的な要因があるのだ。

しかもそれどころではない。事件を望む気持ちは、他人の不幸はもちろんだが、我が身に降りかかる不幸にすら及ぶだろう。退屈する人間はとにかく事件が欲しいのだから。人間は自分が不幸になることすら求めうる。

したがって最終的に次のように述べられることになる。「ひと言で言えば、退屈の反対は快楽ではなく、興奮である*18
◎ *18The Conquest of Happiness, p.49
『幸福論』、六三ページ ※強調は引用者
退屈しているとき、人は「楽しくない」と思っている。だから退屈の反対は楽しさだと思っている。しかし違うのだ。退屈している人間が求めているのは楽しいことではなくて、興奮できることなのである。興奮できればいい。だから今日を昨日から区別してくれる事件の内容は不幸であっても構わないのである。




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