國分功一郎
第1回
パスカルは「人間の不幸などというものは、どれも人間が部屋にじっとしていられないがために起こる」と言った。耳が痛い。じっとしていられないのはなぜか。なぜうろうろしてしまうのか。無聊をかこつからに違いない。無聊は「退屈なこと、心が楽しまないこと、気が晴れないこと」。「なんとなく退屈だ」と感じたことのない人はまずいない。空元気を出しても、斜に構えても、この気分から逃れる術はないように感じる。では、退屈を散じるために何があるか、手持ちの材料を点検してみるとまことに頼りないことがわかってくる。「我々の最も深いところから立ち昇ってくる「なんとなく退屈だ」という声に耳を傾けたくない、そこから目を背けたい…。故に人は仕事の奴隷になり、忙しくすることで、「なんとなく退屈だ」から逃げ去ろうとするのである」。これがハイデガーの言葉であると知って、いささか驚く人も多いだろう。退屈をめぐる哲学と倫理学が、ここに要請される。(編集部)
序章――「好きなこと」とは何か?
人類の歴史の中にはさまざまな対立があり、それが数えきれぬほどの悲劇を生み出してきた。だとしても、人類が豊かさを目指して努力してきたこと、豊かさが人類の目標であったこと、それは事実として認めてよいものと思われる。
人々は社会の中にある不正と闘ってきた。なぜなら、社会をよりよいものにしようと、少なくとも建前としてはそう思ってきたからだ。
しかし、ここでとても不可解な逆説が見出される。人類が目指してきたはずの豊かさ、それが達成されると人が不幸になってしまうという逆説である。