人類の夜明けをめぐる本棚会議
本棚会議vol.2『先史学者プラトン』刊行記念
<前編>
本棚案内 山本貴光+吉川浩満 井手ゆみこ(ジュンク堂書店人文書担当)
5月25日にジュンク堂書店池袋本店さんで行われた「本棚会議」の様子をお届けします。本棚会議とは、ジュンク堂書店池袋本店4Fの人文書フロアで開催しているイベントで、本棚のあいだで話を聞き、時には棚をまわってたくさんの本を眺めながら、著者の方とそぞろ歩く会です。今回は第2回の本棚会議とのこと、『先史学者プラトン』を翻訳された山本貴光さん・吉川浩満さんと、ジュンク堂書店池袋本店・人文書ご担当の井手ゆみこさんが、本棚をご案内してくださいました。冒頭、井手さんが『先史学者プラトン』のことを、ちょっと謎につつまれた本だとおっしゃいますが、さて、どんな本棚めぐりになるのか。ぜひどうぞ。(編集部)
井手:「本棚会議」は、いつも、当店の喫茶でやっているトークイベントとは違って、もうちょっと先生たちと近い距離で、しかも棚を見ながら、気軽にお話を聞けるというイベントです。今回は、実際に棚をまわりながらお話いただけるということで、一般のお客様もいらっしゃるので、ゆずりあって見ていただけたらと思います。
吉川:営業時間内なので、本もご購入可能ですので。たくさん本を買いたい人はかごをお持ちになると、楽かもしれないですね。
まず、『先史学者プラトン』のことをちょっとご説明すると、プラトンという古代ギリシアの哲学者の著作を実際の考古学のいろんな案件と付き合わせていったらどんなことが見えてくるのか、っていう感じの本です。若干……なんていうか、ちょっとやばいところにも踏み込んだ、面白い本です。
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| 『先史学者プラトン』について語る |
山本:うん、ポイントとしては、プラトンの時代から見て、数千年前の歴史の話をプラトンが描いているということがある。それはアトランティスという帝国が出てくるお話なんですが、そのプラトンの対話篇自体が、与太話なのか、ほんとに歴史を書いてあるのか。そうした解釈もいろいろあるわけです。この著者のメアリー・セットガストさんは、いったん、プラトンは歴史を書いてるという立場に立って検証してみましょうと提案しているのですね。で、そのときの材料は、先史時代なので、文字資料じゃなくて、考古学による物的資料なんです。それをいっぱい付き合わせて、さあ、プラトンが書いたことは物語なのか事実なのか、それを検証しようっていう内容です。
吉川:そもそも、副題の紀元前1万年―5千年っていうのが、まず、インパクトありますよね。
山本:うん。
吉川:もちろん、紀元前1万年っていう時代があったであろうことは、われわれも薄々知ってはいるんですけれども、でも、まあ、その時代にどんな文化があったのかっていうのは、じつのところわれわれはよく知らなかったりする。なんとなくの常識だと、紀元前4千年とか、だいたい四大文明(メソポタミア文明・エジプト文明・インダス文明・黄河文明)と呼ばれるようなものが出てきたあたりから人間は人間っぽくなったみたいなイメージあると思うんですけど、じつはぜんぜん違っているという。
山本:そうね。もうひとつつけ加えるなら、先史とは歴史以前ですね。で、なにが有史で、なにが先史かという区別は、先ほども少し述べたように文字が使われていたかどうかです。これも、いろんな意見や説があるものの、一応、いまのところ、最初期の文字は、紀元前3千年ぐらいの古代メソポタミアの楔形文字ということになります。
さっき吉川くんがいった、副題の1万年から5千年とは、それより前の話です。ただし、その時代にも、なんだか文字っぽいものはあったという見解もあります。そこは今後揺れ動くかもしれません。今日のところは、とりあえず紀元前3千年ぐらいで先史と有史が区切れると仮に置いておきましょう。
吉川:あともう一個、また雑談。哲学にご興味ある方にも、プラトンっていうのはちょっと特別な哲学者です。さっき、文字以前・以降っていうのは先史時代と歴史時代を分けるメルクマールだっていう話がありましたけれど、哲学においてはプラトンが、まあ、思考における文字以前と文字以降のメルクマールといえるわけで。プラトンの師匠のソクラテスは、有名なことですけれども、文字を書き残さなかった。
山本:自分では作品を残さずに、弟子のプラトンがぜんぶ、「先生はこう言いました」というかたちで、対話篇で書き残しているんですね。といっても、その対話自体、ソクラテス先生が文字通りそう述べたのか、プラトンの創作なのかは分からないわけですけれど。
吉川:そういう意味ではけっこう、複数のレイヤーというか視点から、文字の以前と以降っていうのを、見られるかもしれない。
山本:そうだね。
井手:棚をまわるまえに、もうちょっとだけいいですか。ちょっと気になっていたんですけど、『先史学者プラトン』の原著というか、この本自体がどういう位置にあるのか、あとは、これを出すことになったきっかけなどを教えていただければ。ちょっと謎につつまれた本なので。
山本:そうですね。今回、訳者あとがきを入れてないので、けっこうお叱りをいただいていることもあるので、ここで弁明してから進みましょうか。
著者のメアリー・セットガストさんという方は、ご自身で、なんと自称してたっけ。
吉川:インディペンデント・スカラーだね。
山本:うん、独立研究者という肩書で、つまりアカデミアなどに所属しないかたちで研究をして、ものを書いて発表するっていう方です。著作としては、今回私たちが訳した『先史学者プラトン』と、それから『ザラスシュトラが語った時代』(
When Zarathustra Spoke)という、続編みたいなものがもう一冊。さらに、マルセル・デュシャンがモナリザにひげを書いた、いたずらみたいな絵があるんですけど、その絵を書名に冠したモダンアートの話をした本(
Mona Lisa's Moustache: Making Sense of a Dissolving World)がもう一冊あります。著作としては、その3冊です。翻訳はこれが初めてですね。
吉川:いいとこ突いてるっていうか、どれもおもしろそう。ザラスシュトラについての本は、ニーチェの有名な『ツァラトストラかく語りき』と対比させたうえで、『ザラスシュトラが語った時代』と、ちょっとずらしたタイトルにしてある。
山本:つまり、ザラスシュトラがいつごろの人かということを、同じように考古学的に追い詰める。この本の最後のほうも、実はそういう議論をしている。
で、『先史学者プラトン』については、私が調べた狭い範囲だけれど、専門家からも好意的な書評が複数出ていました。まあ、その……そんなに変な本ではない(笑)。
ただし、プラトンが書いた古代の戦争の話が、彼女が同書で仮説として言っているようなマドレーヌ文化(後期旧石器時代末、西ヨーロッパに広がった文化。ラスコーほか多くの洞窟芸術が作られた)の時代に起きた戦争のことなのか否かは確認のしようがない。今日の最後にもうひとつのテーマとしてその話になると思いますが、ある意味、知の限界を探るこころみでもある。
それについてせっかくなので一冊だけご紹介しますと、マーカス・デュ・ソートイという数学者が『知の果てへの旅』という本を書いておりまして、この翻訳が、新潮クレスト・ブックスから出たばかりです。
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| 『知の果てへの旅』 |
吉川:この階にはないですかね。あとで探してみてください。文学の棚にあるので。
山本:『知の果てへの旅』は、自然科学における知の果ての話をしています。たとえば、サイコロをふったとき、これは偶然の出来事なので、人間にはどの目が出るか、完全に当てることはできない。どうしてそうなのか、なぜこんな簡単なことを人間が予測できないのか。この疑問に対して物理、量子論、確率統計、複雑系の理論など、いろんな角度から自然科学における知の限界をたどる。そういう旅に連れていってくれるのが、ソートイさんの本。
で、セットガストさんのこの本は、いうなれば人間の歴史についてやっている。過去、人間はいろんなことをやってきたけれど、どこまでその実像に迫れるか。過去の出来事という、知の果てに迫ろうという、そういう旅です。この2冊を並べると、またさらに面白いんじゃないかなと思います。
吉川:この本は翻訳が今年出たので、新しい本だとお考えの方もいらっしゃるかもしれなくて、そうだとしたら申し訳ないんですけど、原著の刊行は1987年です。底本にしたのは1990年の版ですけど。なので、まあ、けっこう古いっちゃあ、古い。だからそのあいだに、考古学上のいろんな発見もあったかもしれない。そこはまた、個別にキャッチアップする必要があるかな。
井手:じゃあ、さっそく棚をまわりましょう。
山本:今日は、ざっくばらんに行きましょう。もし、途中でなにかあったら、いつでもおっしゃってください。
吉川:もし購入をご検討されている本とかあったら、尋ねていただければ。「あり」とか「ありとは言えない」、とか
「やれたかも委員会」みたいにお答えしますので(笑)。